人は、どんな状況であれ感動する時は皆同じである。
ショーシャンクの空にという映画で、刑務所内でオペラを流すシーンがあります。凶悪な犯罪に手を染めた犯罪者達が、皆足とを止めてオペラに聴き入れるシーン。
人は皆何かに感動が出来る。それはどんな状況であれ、本能的な部分にインプットされている。純粋に芸術や音楽というものを美しいと感じられる、素晴らしい物を素晴らしいと感じられる感性を持った生き物が人間である。
思い返せば丁度二年前、僕は地元の釣り公園で釣りをしていた時。外は照りつける日差しが暑い8月の夕暮れ時。釣り場に並ぶ人々は、それぞれの釣りを楽しんでいた。そして小雨が降った昼間とは打って変わって、美しい夕日が釣り場を照らした時、大きな虹が空にかかった。
僕は思わず「うわぁ凄え虹だなぁ」と呟いたら、僕の仲間は手を休めて、暫くその虹を眺めていた。そして美しいものは連鎖するもので、気がつけばその場にいた釣り人は竿を置いてその虹を眺めていた。
まるでその虹の上を滑り降りるようにして、優雅に飛ぶパラグライダーの人。徐ろに携帯を取り出して撮影をしている人もいた。
僕はその光景を見た時に、丁度ショーシャンクの空にのあのシーンを思い出していたんです。
人はどんな状況に身を置いたとしても、美しいと感じられるものは皆同じである。
そしてその感情は連鎖していく。人から人へと、言葉を交わすことなく、自然と連載していく。
もしこの世の中を大きな闇が塞いだとしても、人々の持つ小さな希望が、少しづつ集まっていつしかその闇を晴らしてしまう。
そのキッカケとなるものが、芸術であり音楽である。そしてその美しい物が持つ壮大なパワーは、どんなものに対しても屈する事はない。
それはお金でも、武力でも、大衆でもない。
もっともっと人間が持つ深い部分を刺激する。または眠っている物を叩き起こしてくれる。それこそが人間の持つ本当の力であると僕は思う。
そして人々がその力を持っている以上。人は人と繋がれるし、人は一体になれるのだと知ることが出来る。
産まれも育ちも関係がない。その感性さえあれば、十分なのだとも思える。
だからこそ人は希望を持ち、生きようと立ち向かい、助け合い生きていけるのだと僕は思う。
どんどん世の中が変化していっても、人々は変わらず感動できるものは同じ。いくら科学が進歩しても、人は人が作り出す芸術に感動する。人の持つ美しい感性に触れる事で、心が洗われるのではないか?と僕は思う。
そして僕は最近特に思う。その感性を持って産まれる事が出来て良かったと。
人々が、一人一人と顔を上げ、大きな歓声を上げた。その歓声は混じり合い、一つになった気がした。
そしてその場面に居合わせた人々は、ある時ふと思い出すのだろうか?
「皆が一つになったあの一瞬の出来事を…」
僕はあの場面を見てこう思ったのだ。
「これだけでいい。人が望むものはこれだけでいいのだ」
静かな海と堤防。無造作に置かれた釣り竿は、微かな微風に触れて穂先を揺らしていた。
魚がかかったのか?風なのか?
そんな事も誰もが気に留めず、ずっと空を眺めていた。
「やがて虹がかすれて消えていくまでずっと…」