少しの不便さがちょうどいい。フィルムカメラはじめました。
SNSを見なくなった、みたいな記事を書いてから4ヶ月も更新してなかった。SNSを見なくなったから、noteも見てなかった。有言実行ではある。
友人がnoteの話をしてくれて「そういえば全然更新してないや」と思い、パソコン片手にカフェに来た。(在宅勤務なので、家でパソコンを開くと仕事モードになってよくない)
ここ最近自分の中でいろいろな変化があったので、記録しておこうと思う。
大きく括ると、自分の生活の中でアナログの割合が増えた。
本、音楽、カメラ。人生で大きなウエイトを占めるものたち。
それぞれでアナログの良さを実感している。
電子書籍派だったけど、紙の本も読むようになった。目にやさしくて、内容がスッと頭に入る感覚がある。
iPhoneで音楽を聴いてたけど、レコードやCDでも聴くようになった。音楽だけでなくアートワークもより楽しめるし、音も違う気がする。曲順含めてアルバム自体を好きになる。
そして、カメラ。
初めて自分のカメラを買ってから15年くらい経つ。その間、ずっとデジタルカメラを使ってきた。
ある日、フィルムカメラ一筋の友人が機材を借してくれた。「お金かかるから…」とずっと敬遠していたフィルム。最初の一歩がハードル高くて。そこを、ひょいと飛び越えてきた友人に感謝。
結果、私はフィルムカメラを日常的に使うようになった。
自分的に良かった点がいくつかあるので、以下に記載する(仕事?)
・プレビューを見返せない
シャッターを切ったら、その出来栄えは現像するまでわからない。
デジタルだと撮影→写真を確認→また撮る のチェック工程があった。構図を変えてみようとか、設定変えたほうがいいなとか。
作品撮りならいいのだけど、日常の中でもこれだった。
写真を好きな自分が、半端な写真を許さなかった。ちょっとしたプレッシャーを生み出していた。
そこに少し、疲れてたのかも。
プレビューを見返せないことで、諦めがつくようになった。なるようになれって感じで。
完璧主義から一歩離れられて楽になった。
・SNSに載せるという目的が無くなった
最近SNSを更新していない。リアルタイムでの写真が手元に無いから。
前はインスタのストーリーズを頻繁に更新していた。そこが自分の表現場所だった。
お出かけをしたら、写真を撮る。まずは横で1枚。ストーリーズに載せることを考えて、縦でも1枚。
誰にも頼まれてないのに、義務みたいになってたかもしれない。
今は、その場で撮った写真が手元に来るのは1ヶ月後くらい。SNSを見る頻度が減ったこともあって、「もういいか〜」って手放すきっかけになった。
ただ、友人から「やこの写真好きだから、更新減って寂しい」って声をもらうともどかしい気持ちになる。
・コミュニケーションが生まれる
友人と遊んでから、写真を現像するまで、大体1ヶ月くらいの期間が空く。
前回会ってから1ヶ月後に「前に会ったときの写真だよ〜」と1,2枚共有する。すると「この日楽しかったね〜」と新たな会話が生まれる。
それが嬉しいなって。
今までは、遊んだあとはスピード感あふれる即日写真共有をしていた。
すぐに思い出に浸れて、それはそれで良かった。
あとからお土産を渡すみたいに思い出を共有するのも、また良いものだなと。
・自分が撮りたいものがわかった
撮れる枚数に上限があるのがフィルムカメラ。フィルムを買い続ければ上限はないけど、富豪ではないのでそんなことはできない。
枚数が限られていたら、私は何を撮りたいんだろう?
フィルムカメラを手にしたとき、自分がどんな選択をするのか気になった。
答えは、「周りの人たち」だった。
今まで、真正面から人を撮ることはあまりしてこなかった。景色の中に人がポツンといるような、絵のような写真が多かった。
ただ、フィルムカメラで撮りたくなったのは、「周りの人の顔」だった。
構図は日の丸構図。写真教室だと「単調だから、意図が無い限りは避けましょう」って言われるような構図。
写真は、自分が過ごした時間を後で思い返すきっかけ。
私の生活は、私だけでは成り立たない。ひとりでも生活はできるし、ある程度楽しい。
実際に今、人生は楽しい。
でもその楽しさのほとんどは、周りの人が彩ってくれている。
友人、家族、行きつけお店の店員さん、同僚、みんながいるからもっと楽しい。
それを残しておきたい。自分の記憶力では心許ないから。いずれ忘れてしまうから。
SNSに載せるためではない、人に見せるためではない。プレビューは見返せないし、撮った写真は手元に無い。
なんでもすぐに、できる時代。楽しいけど疲れることもある。
できないことに安心したくて、私たちはアナログに帰りたくなるのかな。
とはいえデジタルにも良さがたくさんあるから、いいとこどりでバランスとっていきたい。
サポートいただけたら、とってもうれしいです。が、無理のない範囲で。