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【湯守の話】1湯守という立場

湯滝風呂の裏にある源泉桝で温度調整の作業をする私。22年9月撮影。

 
西屋では、女将の私が湯守を兼任しています。
 湯守歴はかれこれ10年近くになりますが、SNSで「女将兼湯守」という表記を使うようになったのは1年前くらいから。手っ取り早く自己紹介するのにこれほど分かりやすい表現もなく、最近はどこでもかしこでもこれを名乗っています。しかし、女将はともかく「湯守」があまり一般に馴染みのない存在のためか、
「どんな役割なの?」
「そもそもなぜ女将がいかにも番頭仕事な湯守をしているの?」
と質問されることも少なくありません。
そこで、湯守とは何なのか、なぜ私が湯守になったのか、その経緯を数回に分けて綴りたいと思います。
(2017年3月~4月にかけて公開したHPのエッセコーナーから加筆修正)

Wikipediaによると、湯守とは、
「かつては温泉が存在する土地の領主から管理を任された人のことで、
温泉の利用権を持つ地位も与えられていた、公共的な役職の一つだった」とあります。明治時代になってその制度はなくなりましたが、湯守の一族は引き続き温泉の権利を持ち、あるいは温泉旅館の主となっていったようです。

大正時代に撮影されたと思われる、白布温泉源泉の一つ。

 白布温泉は、代々西中東の3軒の共同管理で源泉を守ってきました。
中でも東屋は、開湯した年に時の領主より「湯の司」を仰せつかったという
言い伝えもありますが、確かな記録がなく実際のところは不明です。
もしもそれが史実だったとしても、温泉の管理上何かしらの優先順位や付加価値が与えられているわけではありません。少なくとも3軒の間で、過去に温泉や土地の貸し借りやトラブルがあったような話は一切聞きませんから、誰が中心でも新入りでもなく、この雪深い山奥の小さな里で互いに協力し合って源泉を守り、幾百年歩んできたのでしょう。

現在は地下の配管を通して各宿に源泉を引いていますが、
昔は写真のように木製の樋(とよ)で源泉を運んでいました。
樋の途中で集めた湯の花を固めて、お土産用の
「固形湯ノ花」を作っているところ。
空気に触れないと白布温泉は結晶化しないので、
今ではこの作業はできなくなりました。

 70年ほど前まで、白布温泉ではどの宿も冬季期間休業としていました。
湯ノ花はその間の大事な収入源のひとつでした。写真には写っていませんが、秋に切り出したモミジの幹で造った樋には湯の花を採取するためのスペースがあり、毎月15日に3軒交代で湯の花を集めていたそうです。

 温泉は、私達にとってかけがえのない自然の恵みであり、今も昔も変わることのない大切な宝です。湯守は、そんな温泉を守る存在です。宿と山とを足しげく巡り、今日に至るまで、温泉と人との出会いを言祝いできました。

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