世界で初めて卒業システムを導入したアイドルグループ『MENUDO』について。
『MENUDO』は、1977年にデビューしたプエルトリコ出身の男性アイドルグループ(ボーイ・バンド)である。メンバーたちは、16歳でグループを脱退しなければならず、メンバーチェンジを繰り返しながらグループは存続していくのが特徴である。主に1980年代に中南米およびアメリカなどで爆発的な人気を誇り、男性歌手のリッキー・マーティンが在籍していたことでも知られている。世界で初めて卒業システム(脱退&加入)を取り入れたアイドルグループであり、韓国では1996年にデビューしたSMエンタテイメント所属のボーイズグループH.O.T、日本では1998年にデビューした女性アイドルグループのモーニング娘。がMENUDOの卒業システムをベンチマークしたことが有名である。
SMエンタテイメントの創設者であるイ・スマンは当初、MENUDOの卒業システムからヒントを得て「10代による10代のためのグループ」というコンセプトを掲げ、10代でなくなったメンバーは入れ替えられる予定であった。しかし、デビューさせると予想以上に人気が出てしまいSMエンタテインメントはその計画を取り止め、結果的に解散まで5人組での活動を継続させた。シャ乱Qのボーカルだったつんく♂は、モーニング娘。をプロデュースする際に音楽評論家の福田一郎から「プエルトリコのアイドルグループMENUDOを参考にしなさい。」とメンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法を提案された。卒業システムを取り入れた結果、モーニング娘。は日本で初めて新陳代謝・世代交代方式(既存メンバー「卒業」・新規メンバー加入・オーディションが行われた個々の回を「期」と呼ぶ)を導入し成功したアイドルグループとなった。
1977年、プエルトリコでメヌードは誕生した。音楽関係に携わっていたエドガルド・ディアズが、自らの従兄弟である3人のリッキー・メレンデス、オスカル・メレンデス、カルロス・メレンデスのメレンデス3兄弟と、その友達のフェルナンド・サラベリー、ネフティ・サラベリー(サラベリー兄弟)の5人を集め、ディアズ自らがプロデューサーとなり、16歳になったらグループを脱退するという条件を加えて結成された。
1977年に1stアルバム「LaFantasumas」でデビュー。以後、プエルトリコだけではなくラテンアメリカ各国での人気に拍車をかけ、1985年~1986年にかけて日本にも来日し、テレビ番組やコマーシャルに出演したり、プロモーションビデオの撮影、日本武道館でコンサートを行うなどアイドル的人気を集めた。1989年にグループを脱退したリッキー・マーティンはその後、ソロ歌手に転向して「Livin' la Vida Loca」・「The Cup Of Life」といった曲をヒットさせた。現在でもメンバーを交代させながらグループは活動中である。
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