見出し画像

昭和のワイドショー番組『テレビ三面記事 ウィークエンダー』について

「テレビ三面記事 ウィークエンダー」は、1975年~1984年まで毎週土曜日の夜10時台に日本テレビ系列局ほかで放送された日本テレビ製作のワイドショー番組である。全国ニュースで伝えられることがないB級事件についてリポーターがフリップボードや再現フィルムを使って解説するのが特徴的である。当時、日本テレビでは朝のワイドショー『あなたのワイドショー』の金曜日枠内で類似コーナーとも言える「テレビ三面記事」が放送されており、この番組はそれを週末のプライムタイム枠に持ってきて、男性向け、大人向けの夜の放送に向いた事件内容にスライドさせたスピンオフ番組と言える。

「テレビ三面記事 ウィークエンダー」の一部シーン

■リアルタイム世代
本来は大人が視聴する番組であるため放送当時、既に成人していた1942年~1953年生まれの2024年現在、70代 - 80代の人たちがこの番組のリアルタイム世代に当たります(番組放送当時は20代、30代)。インターネットやSNSなどを利用していない人も多い年齢ですね。

■当時のコンプライアンス / 批判 / クレーム
この番組の放送がスタートした1970年代と言えば、広瀬正雄郵政大臣が放送法の番組準則に「暴力とかあるいはわいせつとかいうことを掲げておきますと、放送事業者の反省がもう少し具体的になってくるのじゃないだろうか」と苛立ちを見せ(1971年)、国会では「11PM」や「23時ショー」などの番組名が挙げられ、問題視されていた。こうした世論の高まりに対してNHKと日本民間放送連盟を母体とする現在の放送倫理・番組向上機構(BPO)の前身である『放送番組向上委員会』が各テレビ局に意見提言をしたり、衆議院逓委員会に「放送に関する小委員会」が設置されて審議されるなど、低俗番組の解決は広く議論されていた。
■1975年 日本民間放送連盟による性表現(11章)の放送基準
※(70)性に関する事柄は、視聴者に困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意する。
※(71)性衛生や性病に関する事柄は、医学上、衛生上、教育上必要な場合のほかは取り扱わない。
※(72)一般作品はもちろんのこと、たとえ芸術作品でも過度に官能的刺激を与えないように注意する。
※(73)性的犯罪や変態性欲・性的倒錯などの取り扱いは特に注意する。
※(74)全裸は原則として取り扱わない。肉体の一部を表現する時は、下品・卑わいの感を与えないように特に注意する。
※(75)出演者の言葉・動作・姿勢・衣装などによって、卑わいな感じを与えないように注意する。
●『テレビ三面記事 ウィークエンダー』の放送がスタートした1975年(昭和50年度)の地上波の自主規制 - コンプライアンスではこのように制定されており、これらの項目に違反したものは規制されていく時代だった。

番組の司会を努めた漫画家、放送タレントの加藤芳郎

●『テレビ三面記事 ウィークエンダー』への批判
最高視聴率36.4%を記録するなどの人気番組だった一方で番組に対する非難も多かった。1978年には日本PTA全国協議会が選んだ子供に見せたくない番組「ワースト7」の中にランキングされ、「表現が過激」・「興味本位すぎる」との批判も常に寄せられていた。また、青少年への悪影響(性描写に関して)や事件当事者への配慮の欠如、信憑性なども非難された。

広瀬正雄郵政大臣 / 放送倫理・番組向上機構(70年代は放送番組向上委員会)

初期の「再現フィルム」は殺人事件ばかりをリアルに扱っていたために放送開始後間もなくして抗議を受け、それは局のPR室だけでなくインフォメーションセンターや報道部にまで回り、当時の朝日新聞の電話で受け付けた意見を掲載していたコーナー『0023コーナー』ではこの番組のことで意見が殺到したことで急遽この番組に関する特集を組んだほどであった。果ては司会の加藤芳郎宅にも「イメージダウンになるから変な番組に出るな」・「あまりふざけるな」など抗議の電話が行ったほどであった。

■レポーター陣

番組に出演した歴代のレポーター陣たち

1975年4月5日に開始直後は青空はるお、天地総子、石原裕子、うつみ宮土理、大沢嘉子、大野しげひさ、大山のぶ代、西川きよし、野沢那智、水の江瀧子がリポーター役でレギュラー出演した。その後は、桂朝丸、泉ピン子、横山やすし、青空うれし、すどうかずみ、高見恭子、エド山口、加原夏美、芸能リポーターの井口成人、スイッチョンなどに交代する。特に泉ピン子はこの番組で飛躍的に知名度を得た。桂朝丸が降板後は、桂べかこ→春やすこ→桂雀々(最後の1年だけ)と引き継がれた。のちに山谷えり子、しまざき由理もリポーターを務めた時期がある。ちなみに2003年に放送された『ダウンタウンのバラエティ50年史』において当番組の一部がダイジェストで1分ほど放送され、朝丸、うれし、すどう、はるお、加藤の映像が流された。

■番組終了の経緯
番組末期の1984年時点でも視聴率は約20%を維持していたが、スポンサーが30分番組を2本提供したいという営業上の理由により終了した(人気低迷や自主規制の影響ではない)。

いいなと思ったら応援しよう!