文化大統領・韓国のヒップホップグループ『ソテジワアイドゥル』について
『ソテジワアイドゥル』は、1992年にデビューした3人組のヒップホップグループ。1991年に結成され、グループ名はリーダーの人名「ソテジ」、「ワ」は「と」、「アイドゥル」は「子どもたち」=ソテジと仲間たちという意味で名付けられた。若者の好みに合ったヒップホップダンスグループを掲げ、今なお伝説のグループとして韓国内の同業者からの支持が厚い。
それまでバラードやトロット(演歌)が主流であった韓国音楽界に革命を起こしたとされ、当時の韓国音楽界の流れを変えて現在のK-POPへ繋がる重要な役割を果たしたグループと評価されている。文化大統領と称されることもある。ソ・テジが好きだったアメリカの3人組ヒップホップグループ「Beastie Boys」をベンチマークしたという。ビースティ・ボーイズもソテジワアイドゥルのようにロックサウンドにヒップホップとラップを加え、歌謡界にセンセーションを起こしたグループだった。
K-POPジャンルの音楽を世に広めたグループではあるが、アイドルではない。日本では若い歌手に対してアイドルという言葉を使うことが主流となっており、アメリカなどの海外では男性アイドル = ボーイ・バンド、女性アイドル = ガール・グループと表現していた。しかし、当時の韓国では歌手に対して¨アイドル¨という単語を使うことがなく、またデビュー当時からメンバー自らが作詞・作曲・ダンスなどセルフプロデュースを行っていたため、彼らのファンたちもソテジワアイドゥルはミュージシャン(歌手)であることを掲げていた。また、SMエンタテイメント所属(当時はSM企画)だったヒョン・ジニョンと共に「韓国語は構造上ラップが不可能だ」という当時の専門家たちの先入観を崩し、ダンスとラップを大衆化させた。
1992年3月、ソ・テジ、イ・ジュノ、ヤン・ヒョンソクの3人でデビュー。デビューアルバムである1集『Yo!Taiji!』は収録曲「僕は知っている」のヒットもあり、150万枚以上の販売を記録。その年最高のスターとして頭角を現し、このアルバムは韓国音楽界において初めてラップ音楽を商業的に成功させたという評価がされている。1996年、すでにカリスマ的地位を確立し人気絶頂であったが、突然グループの解散と引退を宣言した。グループ解散後、ソ・テジは1998年にソロアーティストとして復帰。ヤン・ヒョンソクとイ・ジュノはそれぞれ音楽プロデューサー業へ転向し、ヤン・ヒョンソクはYGエンターテインメントの代表、イ・ジュノは1996年から2012年まで活動した男女混成ダンスグループYoung Turks Clubのプロデューサーとして知られている。