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11PMの後にスタートしたワイドショー番組『EXテレビ』

EXテレビ』は、1990年~1994年まで日本テレビ系列で放送されていた深夜のワイドショー&バラエティ番組である。番組タイトルのEXはバブル期の流行語の一つ・ヤング・エグゼクティブ (young EXecutive)に由来する。

BPO「放送倫理・番組向上機構」

1980年代半ば頃から「オールナイトフジ」・「TV海賊チャンネル」・「ミッドナイトin六本木」といった深夜のお色気番組の過激化が社会問題となり、1985年に当時、内閣総理大臣を務めていた中曽根康弘首相が性風俗店の摘発やお色気番組の規制に力を入れ、その煽りを受けて民放各局は「脱・お色気」としてお色気番組の放送を自粛していた。またBPO(放送倫理・番組向上機構)は、1969年に「放送番組向上委員会」という名前で設立され、活動していた。

現在でも放送できてしまうレベルの内容だが、当時でも物議を醸した。

本番組の制作陣たちは「11PMとは違う番組にしたい!上岡龍太郎という関西で面白い人がいる!ということを知らせたい!」というテーマに沿ってEXテレビを製作した。1990年4月2日、三宅裕司が司会を務める月曜日が初回放送。放送当時は深夜の自主規制が強化されたのと同時にアダルトビデオへの人気が高まっていた時期だったため、成人男性はお色気番組(深夜番組)を観ない状況だった。しかし、木曜日初回の放送で上岡龍太郎が1時間丸々一人喋りをした回を見た男性視聴者から「最近、地上波からエッチな番組が減っている。男が一人で何をごちゃごちゃ喋っとんねん、早くハダカを見せろ、ハダカを」という苦情電話が多く寄せられた。この苦情電話を知った上岡と紳助が「女性の裸は視聴者からのニーズがある」と捉え、一度思い切りやってみようという話になり、実現したのが「低俗の限界」という企画だった。

放送当時、番組へ寄せられた視聴者からのクレーム

低俗の限界・ワイセツ編と題して放送されたこの回はEXテレビ史上最高の視聴率を叩き出した。高視聴率を獲得した一方で250本を超える苦情電話や番組に対するクレームが殺到する事態となった。初回が好評だったため、第2弾の放送も決定した。

竹中 労がゲスト出演した低俗の限界・第2弾

第2弾ではルポライターの竹中 労をゲストに迎え、硬派なトークを上岡・紳助と繰り広げた。上岡龍太郎と島田紳助はこの放送から半年後に第3弾も放送する予定で3回目はもっと派手な内容にしようと企画していたが、前回の苦情・批判などの影響のためか視聴率が下がり、不評に終わる結果となった。結局、この企画は計2回の放送に留まった。

この番組は各曜日ごとにテーマが設けられており、その中で火曜に放送された、番組内では「テレビ論」と称していた実験的テレビ番組企画は一際異彩を放っていた。番組は東京勢の出演者と大阪勢の出演者の対立を煽ることも視聴率のアップに利用していた。11PMの後番組として期待されていたが、内容に一貫性が無く、前番組のような大きな人気は得られなかった。1994年4月をもって番組は終了。放送終了後は、ワイドショーとスポーツニュースを複合させた深夜バラエティ枠『どんまい!!スポーツ&ワイド』が放送されるようになった。

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