2019夏 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館にて
どんな言葉よりも、写真よりも、現物が全てを物語る。天井の剥がれ落ちた教室、垂直に突き刺さった自動車、散乱したノート。津波の痕跡を目の当たりにして、言葉が出ない。
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2019年夏の東北旅行、3日目最終日。
2日目は気仙沼プラザホテルに宿泊。3日目は宿から気仙沼駅まで歩き、30分ほどBRTに乗って陸前階上(はしかみ)駅にやってきました。鉄道時代のホームと跨線橋が一部だけ残されている同駅。これは遺構としての保存なのか、解体待ちなのか、はっきりとは分かりません。あまり時間もないので、早速歩いて「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」に向かいます。
津波の被害を受けた気仙沼向洋高校の旧校舎を当時のまま保存し、将来に震災の記憶と教訓を伝える「目に見える証」として2019年3月10日に開館した同館。中に入るとまずは写真や映像の展示で当時の様子を学んだ後に、旧校舎遺構を見学する流れになっています。
この写真は確か1階の保健室跡だったかと思います。天井は剥がれ落ちて床に散乱。奥には自動車のタイヤも見えています。最上階の4階まで津波が到達していますので、この保健室は一旦は津波で水没したということに。いざ遺構を目の前にすると、想像以上の惨状に言葉を発することができません。
旧北校舎(右)と総合実習棟(左)の間。流されてきた車が折り重なり、一番上の車は垂直に突き刺さっています。現実とは思えない、思いたくない光景が次々と目の前に現れるのです。
たくさんの本やノートが床に散乱している教室もありました。ページがめくれ汚れてしまった卓球部練習ノートが、震災が起きたその日までこの場所に確かに学校生活があったことを物語っています。8年半前まで楽しい話し声が響いていたであろうこの場所が、今は遺構と呼ばれている現実。本当に本当にやるせない気持ちになります。
地震発生当時、気仙沼向洋高校には約170名の生徒に加えて教職員の方々が校舎内にいたそうです。生徒と教職員のうち十数名は、まず指定避難場所である地福寺へと避難。しかし教職員が地福寺よりも高い場所へ避難したほうが良いと判断し、一同はさらに陸側の陸前階上駅へ。駅に着いたところで、より陸側の高い位置にある国道から「津波が迫っているから逃げろ」という声が聞こえ、さらに陸側の階上中学校へと避難。こうして地震発生時に校舎にいた生徒全員は津波の被害を免れたとのこと。教職員の1つ1つの冷静な判断力によって、多くの命を守ることができたのです。
(震災当時の学校の様子は、高校が公開しているこちらのページに詳しく記載されています。※PDF注意)
伝承館の見学を終えてからは、陸前階上の1つとなり大谷海岸の道の駅にて昼食を購入、BRTで柳津まで出てから鉄道で帰路につきました。
2019/9/6
気仙沼835→陸前階上910ー気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館見学-陸前階上1120→大谷海岸1126-1139→柳津1301-1331→小牛田1408-1424→仙台1513-1606→新白河1903-1920→黒磯1943-2000→宇都宮2052-2135...
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今回の旅行記はこれにて終わりです。これまで鉄道撮影に主眼を置いた旅は何度かしていたものの、こうして鉄道を目的から外して、純粋に旅を楽しむというのは実はこれが初めてだったのではないかと思います。一人旅の良さももちろんありますが、ふたりで旅をすると一人では見えない景色が見えてきて楽しいもの。またぜひ一緒にいろいろな所を旅したいと思っています。
そして何より、僕にとっては今回がはじめての被災地訪問でした。被災地を応援したいという気持ちはずっとあったものの、今来られたら被災者の方々はどう思うだろう、行って僕に何ができるのかな、なんて考えているうちに8年半という時間が経ってしまいました。行って分かったのは、実際に被災地に行かないと何も分からないということ。僕がこれまで被災地のことを何も分かっていなかったということを実感させられたのでした。被災者の方の気持ちが分かります、なんて気軽にいうことはできないけれど。少しでも分かち合えるように。被災者の方の気持ちに近づけるように。そのためには、実際に行ってみるのが一番です。前へ進む被災地の変化を感じるべく、いつの日か必ず再訪したいと思います。
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今回記事を書くにあたって眺めていた、旅の途中で貰ってきたパンフレットたち。この旅では残念ながら訪れることのできなかった場所のものもたくさん見つかりました。本当なら4月の初旬に再び東北を旅する予定を立てていたものの、この騒ぎで諦めざるを得ない形になってしまい今に至ります。いつの日か落ち着いたら、必ず。それまではいろいろな勉強をして、下調べをして、楽しみに待っていようと思います。
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最後に、この旅を終えた日にInstagramに投稿するために書いた文を引用してこの旅行記を終えたいと思います。旅を終えたばかりの素直な僕の思いが綴られています。それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。
浪江町 陸前高田 気仙沼
ぜんぶ、あの日の後の報道でその名を知った地名だった。
2011年3月11日 東日本大震災
あの日から、約8年半。
はじめての被災地
これからも、忘れてはならないこと。
穏やかな海が、時に人間にとって脅威となること。
その時がいつくるか分からないということ。
大切なものはなにか
それを僕たちに教えるために犠牲が生まれたのだとしたら、
それは、それは本当に大きすぎた。
この1本の松の木が、奇跡でもなんでもない松林の中の
1本であったことを想像できようか?
僕が被災地を訪れないまま過ぎた8年半という時が、
長すぎたのか短いのかはまだわからない。
行ったところで何もできない、そう思っていた。
それでも今回旅をして、変わり続ける被災地を
もっと知りたい、応援したいと、
そう思った。
1日も早い復興を願って
また来るね、東北。
2019/9/6