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【前編】大都市マニラの光と闇①【戦跡を巡る】

※本記事では一部ショッキングな画像があります。苦手な方は閲覧しないようお願い致します。

沖縄本島自転車一周と台湾自転車一周を同時に遂行するという超絶暇人ムーブをキメて、日本に帰る前にフィリピンの首都マニラにやってきました。

わずか2泊3日の短い滞在となりますがフィリピンの首都マニラの様子をお伝えしたいと思います。

危険都市マニラ
実はABB、過去にセブ島に行ったことはあるものの、マニラは初めての訪問です。
失礼な話ですが、まずマニラと聞いて良いイメージがある方は少ないでしょう。
まず治安が東南アジアの都市としてすこぶる悪い。
定期的に日本人が現地マフィアと揉めて殺されたりしています。
特殊詐欺をやらかした悪い日本人がこの街に逃げてくるイメージもありますね。

コラソン・アキノ空港から中心部に向かう。
マニラ都市圏は2360万人の人口を擁する。
世界で6番目に多くの人が住む
東京に負けず劣らずの大都市。
GRABの運転手に「簡単に人を信用するな」
と言われ、気を引き締める。

有名な犯罪の手口が「ホールドアップ」。
銃を突きつけ脅し、金品を奪う手口がこの街では多発しています。
基本的に相手はただお金が欲しいだけ。
命を奪おうとは思ってませんしそのデメリットがでかすぎる。
もし遭遇したら抵抗せずに素直に金品を渡すのが定石。

台湾から来た平和ボケ状態ですとヤラれてしまいますので頭をエジプトやバルセロナを旅した時のモードに切り替えます。
まずパスポートや現金、時計などはホテルの金庫に入れ、その様子を動画に収めます。(ホテルのスタッフが盗っ人の場合も考慮する。)

過剰に危険だと騒ぐのも現地民へのリスペクトにやや欠ける気もするし、やりすぎと思われるかもしれませんが全ては自分の責任。
自分の身は自分の身で守るのが世界旅行者の常識です。

マニラ市内を走行する現金輸送車。
もはや戦車。

この街ではマクドナルドやKFC、小さな個人店においても軽武装した警備員が常駐しています。
行政が派遣しているのか、店が雇っているのか。
気になったので聞いてみると彼らは民間の企業で訓練を受けたサラリーマンであるのことであった。
フィリピンの人口は約1億1000万人に対してそれをカバーできるだけの産業が無く、仕事は少ない。
銃で武装した警備員は一大産業で、この国では安全は金で買わないといけないということだ。

流石に街中をモヒカンのギャングが「ヒャッハー!」しながらバギーにのって暴走している世紀末都市とまでは言わないが、確かにバンコクやクアラルンプールでは感じることができないピリついた雰囲気を感じる街。

汚物は消毒だ~!!

そして今回ABBが滞在したのは不良欧米人とフリーランスの夜のお姉さん達が多数出没するアレなエリアであった。
フィリピンの多くは流暢な英語を喋るので、ソレを目的にした連中が多い。
ろくすっぽ調べもせずに最安の宿を取るので大抵こういうパターンに陥る。
全然良いんだけど。

フィリピンの食文化はアメリカの
植民地時代が長かったせいか、
タイやインドネシアに比べて乏しいと思う。
なんかアメリカっぽくて5歳児が好きそうな料理が多い。

太平洋戦争とマニラ
この街では旧日本軍とアメリカが1945年の2月3日から1カ月に渡り市街戦を繰り広げ、双方に多大な損害を出している。
旧日本軍は1942年の1月にアメリカ軍を追い払ってマニラを占領し、約3年に渡って支配した歴史がある。
旧日本軍からしてみればアメリカからアジアの国であるフィリピンを解放した英雄のような気分であったかもしれないが、実はアメリカのフィリピン植民地経営はフィリピン人を激しく抑圧して搾取していた!
なんてことは無くて上手くいっており、今後の独立も約束されていた背景がある。
フィリピン人からしてみれば、「おい日本!せっかく良い感じだったのに何余計なことやってくれてんだよ!」的な感情であったのは言うまでも無い。
実際に上に書いた市街戦では、「旧日本軍」VS「米軍+フィリピンの民兵」の構図で戦闘が行われている。

スペイン支配時代に建設されたサンチャゴ要塞。
旧日本軍の司令部が置かれていた。

やっかいなのが、旧日本軍にとってフィリピン民兵とそうでない民間人の区別がつかないこと。
この要塞の地下は牢獄となっており、敵であるとみなされた多くのフィリピン人が投獄され虐殺されたという事実がある。

要塞内の地下牢獄。
これは誰がどうみても旧日本兵である。
要塞は沿岸部に位置しており、
地下牢獄は満潮時には海水が流入する。
この仕組みを利用して弾薬や銃剣を使用することなく、
画像のように多くのフィリピン人が鎖に繋がれ
旧日本軍によって溺死させられた。
詳しい経緯は記載されてはいなかったが母子の犠牲者。
はっきりと「日本軍に殺害された市民」
と記載されている。

恥ずかしながら私は日本人であるにも関わらずマニラでこういった悲劇が起こっていたことを知らなかった。
これはわずか80年前に起きたこと。

歴史認識では今でも某近隣諸国と意見が一致しないことが多々ある。
「日本は真実の歴史を教えていない!」
こういったことを良く言われるのはご存じの方も多いと思う。

色んな意見があると思うので詳細には語らないが、今回の旅では「確かに。」と思わざる負えなかった。
少なくとも公教育でマニラで過去に起きたことを教わった記憶が私には無い。

だけれども今では日本とフィリピンはこういった悲しい歴史を乗り越え、友好関係を築いており、国民の多くは親日的である。

現地に足を運び、この目でみて教養を深め、自分の頭で考えて自身の考えをもつこと。
これがとても大事だ。
旅は人の思想と思考を深め、人を強くする。


付近では観光用の馬車が鎮座していますが勧誘に乗るとそのまま人通りの無い所に連行され
金品を要求されるそうです。※駐在員曰く


それでは。

次回後編「超格差社会の街マニラ」





















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