見出し画像

【優しさという場所に逃げてきた自分】

高校の部活動の時に、毎日書いていた部活ノートを読み返してみました。
とにかくがむしゃらにボールを追いかけて、
自分の弱さと正面から向き合った3年間。
仲間の弱さは全部認めてケツ叩いて鼓舞しあっていた。
ソフトボール漬けで、狭い世界しか知らなかった自分。
その世界に自分の全てを注ぎ込んでいた自分。
その自分と対話して気づく今の自分。

【 2019年 1月10日 反省 】

______________________________________________

トスバッティングの1球に真剣になれていない。
まだできた・もっとやれたの世界がまだまだありすぎる。
下手くそだからその1球を無駄になんてできないのに、
これくらいでいいやの世界が多すぎる。
こんな取り組みで勝てるわけがないし、2年生の姿で
チームを引っ張ることなんてできない。

周りに言いたいことや、気づいたことがあっても言えない自分がいる。
「自分もできていないからまずは自分に矢印を向けて、自分が完璧にできてから相手にも伝えよう」っていう風に、自分に矢印を向けているようでそこに逃げているだけ。このままだといつまでも今の自分のままで変わっていけない。
自分に矢印を向けることは大切だけど、あえて人に矢印を向けてみたらどうか。
そして厳しくそれを伝えること。言ったからには自分も覚悟をもって絶対にそこまでやり切らないといけないし、逃げることはできない。
「自分が変わってから」と思っているといつまでもその考えに甘えて何も変わっていけない。だから、あえて人に指摘することを増やして、指摘したからには後ろ指を刺されないように自分に厳しく、絶対に手を抜かずにやっていく。
__________________________________________________

たったの1球でさえも手を抜いてはいけない世界。
そして、たった1球の失敗をひどく叱られる世界。
それくらい厳しい戦いに向けて練習しているってこと。

なんで「これくらいでいいや」の世界を作ってはいけないかって言ったら、
本番でいざ自分がその場に立った時に、それまでの全ての練習が、
「自信」となって自分のパワーになるかどうかを決めるから。

最後に自分を強気にさせるのは自分の過去の取り組みだけで
これだけやったんだからあとは全力でやり切るだけ、って思えるかどうか。
だから、今のこの取り組みが絶対に大切で、
後から後悔しても過去は戻ってこない。

自分はやってるから、
自分は手抜いていないからって自分のことしか考えられていない。

チームのやつが、最後に自分の力を発揮できなかったら
それほど悔しいことはない。だったら今、自分を守るんじゃなくて
そいつに伝えてあげなきゃいけないんじゃないか。

そのままだと最後に自分に負けて終わるぞ、って。


自分に矢印を向けることで誰かを指摘することから
逃げているということ。
結局は自分が後ろ指さされるのが怖くて誰にも言えないだけ。
ただの逃げでしかない。

人に優しくすることより、
人に厳しくすることの方がよっぽど難しい。
優しい優しいってよく言われるけど
いろんなことから逃げて、自分を守った結果が
優しくなっただけで、何にもすごいことじゃないんだ。

2年前の自分へ
人に厳しくなれる人になってください。
その分自分は何倍も努力してください。
今の自分はみんなに優しくすることで自分も楽をしている気がします。
そして今みたいにがむしゃらに頑張れる場所はありません。
強くなるなら今。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?