【こんがらがる正直な今】7/25@花巻|岩手
求めていたものが果たしてなんだったのか、なんでそれを求めていたのか、わからなくなる時があります。
いろんな人に出会い、いろんな人がその人なりの正義や正解を持っている。
どれも素敵で、筋が通っていて、生きている気持ちだと感じる。
でも、自分の気持ちがわからなくなることがある。
こんなに熱い気持ちを両手に抱えている自分が、恥ずかしく思えるほどにこんがらがる時がある。
今日は、そんな1日だったので、もう一回思考の整理をしようと思ってパソコンを開いた。
止まることなく一気に書き上げてみようかと思う。
読むに堪えない文章になってしまうかもしれないが、よろしければお付き合いください。
そもそも
私の人生のテーマは「主体性」だ。
これは高校生の時からずっと変化していない。
それ以前を遡ると
優等生タイプで、先生のいうことをよく聞くことができる良い子だった小学生時代。
相手の考えていることや思っていることがわかりすぎてしまうタイプだったので、先生に喜んでほしい、大人たちに喜んでほしい、と一生懸命頑張っていた。
誰かが喜んでくれることは私にとってすごく嬉しいことだったし、
私は人のマイナスの気持ちを大きく吸い込んで揺さぶられてしまう繊細さを持ち合わせていたから、自分の周りにいる人にはハッピーでいてほしかった。
みんなが心地よくあるために、自分を抑えたり我慢したりすることも多かった。
優しいね。とよく言われたけど、それは別に優しかったわけでもなく、自分のためでもあった。
自分が傷つきやすく脆くて、小さな棘を正面から食らってしまうタイプだったから、その棘がどこにも生まれない世界を自分の周りに作ることで必死だったんだと思う。
ただそれだけ。自分の弱さ、繊細さに悩み、不安を抱えて眠れない時期もあったくらいだが、今はその繊細さが私の世界の解像度を高め、深さをつくってくれていることを実感することができている。
マイナスの気持ちを抱えた人が私の周りに自然と集まってくる。
ちょっと疲れたなぁ、と思った時に寄りかかって一休みできるような大樹でありたい、と20歳の頃くらいから思うようになった。
そんな願いや思いは22歳の今も変わっていない。
指示に従うということ
とにかく、指示に従うことが得意だった。
先生の指示を黙って静かにまち、それをそれ通りにこなす。
学校という教室の中では、この行動が何よりも一番先生のためであり、先生が褒めてくれる行動だった。
模範生徒として、よくできる生徒として、先生によく褒められ、友達に信頼される小中学生時代だったと思う。
指示が出るよりも先に動けば怒られ、指示通りにできなければ指導される。
そんな世界の中で、私は指示通りに動くことを完璧に習得していた。
指示に従える子が素晴らしい子なのだと本気で、そう思っていた。
高校生になり
高校に入り、世界は一変した。
指示に従える子が良い子であるという価値観が全く通用しない世界だった。
それもそのはず、
私は日本一を本気で目指すソフトボール部を高校に選んだ。
中学で県選抜に選んでもらい、全国大会に出場した経験から、もっと上の世界が見たいと思うようになった。
そして、自分はどこまで上達できるのか、という自分の伸び代に大きく期待していた。
指示待ち人間
高校で突きつけられた事実は、私が指示待ち人間であるということだった。
「指示が出る前に動け」「1言われたら10やるんだ」「自分の頭で考えて動け」
この言葉たちは私にとっては、今までの全く反対と言ってもいいほどの世界だった。
指示に従いなさい、と教わってきた世界の反対の世界だった。
これまで誰かの指示で動いてきた私は、どうやって自分から動いたらいいのか、全然わからなかった。
そして、第三者を喜ばせようとして、誰かに依存していた私の行動は、その第三者を失った途端に行き場を失くしてしまったんだと思う。
評価が怖い・失敗が怖い
これまで、たくさん褒められ、誰かの評価を常に気にしていた私は高校時代でも評価の目をずっと気にしていた。
怒られること、悪い評価を受けることに怯えていたんだと思う。
そして、変に行動して失敗し、怒られる、呆れられることがとにかく怖かった。
部活動の監督をしてくださっていた先生は、とにかく厳しくて怖かった。
先生の目を気にしてそわそわし、何かを言われればもじもじするしかなかった。
その結果として、私は指示待ち人間であり、受身的であり、金魚のフンだった。
誰かの後についていくことしかできない、自分から動くことができない。
ファーストペンギンとはほど遠い自分だったと思う。
必死に毎日を生きていた
苦しい3年間ではあったが、本当に全力で毎日を過ごしていたと胸を張って言い切れる。
3時に起きて宿題をし、5時に家を出て朝練に向かう。
電車の中で部活ノートを書き、朝練で汗だくになり、また怒られ。
眠たい目を擦りながら、勉強にも手を抜きたくないと必死にノートをとった。
休み時間にも部活ノートをかき、そうじゃない時は少しでも体力を保とうと机に突っ伏して眠っていた。
その結果、クラスの中に全然友達が出来なくて、担任の先生にこっそり相談したこともあった。
特進クラスに所属していたため、7時間目までを終え、少し遅れて走ってグランドに向かい、急いでアップとキャッチボールをして練習に加わる。
すでに問題が起こり、ミーティングの途中や先生からのお話の途中に入るなんてこともしょっちゅうあった。
空が真っ暗になるまで練習をして、ドロドロベトベトの身体で家路につく。
家に着くのはいつも21時とかそんなくらいだったかな。
ご飯だけにはありついて、そのまま床で毎日寝ていた。
そして、3時に起きてシャワーを浴びて、また宿題から始まる毎日。
この毎日が休みなく続いた。
身体も心も、全力だったと思う。
だけど、こんなんではダメだ、まだまだだ、といつも思っていた。
先生がそんなふうに私たちをいつも奮い立たせてくれていた。
自分の情けなさと毎日向き合った。
自分のダメな部分と、チームメイトのダメな部分と本気で向き合った。
先生も、私たちに本気で向き合ってくれた。
これ以上ないくらいに怖かったけど、愛があり人として尊敬できる、偉大な先生だった。
ソフトボールの技術だけではなく、人としてどう生きるのか、をいつも教えてくれた。
人生において大事なことをたくさん教えてくれた。
悔しさの残る最後
高校生活は悔しい最後だった。
私たちの代はヘタクソな代で、試合に出てるメンバーも、ベンチに入っている三年も少なかった。
これまでお世話になった保護者さんや応援してくれた方々、そして何よりも先生に、恩返しがしたいという私たちの思いはどこにもぶつけられることなく、インターハイの初戦であっけなく負けてしまった。
私たちはそんな程度だったんだと思う。
所詮、そんな程度の覚悟だったんだと思う。
とにかく悔しかった。
何よりも、最後まで先生に自分たちの変わった姿を見せることができなくて、呆れられたまま、「ほらな。」と一言だけ言われて終わってしまったことが悔しかった。自分達が情けなかった。
弱い自分たちを変えられなかったこと、弱い自分を打破できなかったこと、厳しい言葉をはねのけて強くなれず、ただただ言われるままに落ち込み、最後まで勝ちきれなかったこと。
私たちの代は、自信がなくて弱虫で、何もできなかった。
みんなに向ける顔も価値もないと、私たちの送別会はやらないでほしい、と下級生の親御さんに泣いてお願いしたこともあった。
そんな、高校生時代でした。
でも、この高校に入学して、この部活に入部して、この先生に本気で教わることができて本当によかったと思える3年間でした。
あんなにも本気で何かに打ち込む環境をもらえたことが大きな財産でした。
50人のチームで、同じ目標に向かって、自分達の限界を超えて日本一を目指す経験はどこでもできなかった経験だと思います。
苦しいことの方が多い高校生活だったけど、日本一を目指しているのなら、そんなのは当たり前。
頑張って、一生懸命やって当たり前。結果が全ての世界の中で、どれだけ覚悟を持ってやり切れるのか。自分に打ち勝ち、格上の相手に自信を持って挑むことができるのかどうか。
ソフトボールの世界は、私を大きく成長させてくれました。
強くしてくれました。
強くあること、根性があることが良いことなのかは今もまだわからないままだけど、でも、人として深みのある、思考力のある、粘りがあって諦めない、限界を越える世界を追い求めて自分に厳しく頑張ることのできる「わたし」になりました。
大学生になり
そんなこんなで大学生になりました。
受験は頑張ったというよりも、今まで勉強する時間が本当に皆無だった分、自分が本気で勉強したらどこまで学力を伸ばせるのか、その世界をワクワクして追い求めているような、そんな感覚の受験期でした。
朝の6時から夜の11時まで、マクドナルドや塾の自習室など、場所を変えながら自分で勉強していました。1日17時間の勉強は全く苦ではなく、限界を突破する自分を感じながら勉強を続けていました。
この時も、自分を追い込んでとにかく頑張る私だったなぁと思います。
そして、それが特段つらいわけでもなく、むしろ自分の輝きになっていました。
大学での出会い
大学に入ったばかりの頃、私は高校時代に培ったものをすごく誇りに思っていました。誰よりも本気でやったという事実に天狗になっていたんだと思います。
人としての立ち振る舞い、失礼のない行動、靴や荷物を揃える心がけ、向上心を持って努力を惜しまない気持ち、常に謙虚であり自分にベクトルを向けて内省する習慣。
そして、誰よりも根性があり、肝が座っていると、そう思っていました。
みんながみんな、あのくらい厳しい世界を経験した方がいいよなぁ、なんて本気で考えていました。
そのくらい、自分に自信があって、高校時代に経験したことや自分が身につけたものが誇りだったんだと思います。
もう、怖いものなんてない、というような気持ちでした。
でも、蓋を開けてみると、大学の友達や部活の先輩は人として立派な人ばかりでした。
心穏やかで優しく、真面目で努力を惜しまず、仲間を気遣い、大切に思い、自分のことよりも相手に手を差し伸べることが自然にできるような、人として素敵な人ばかりでした。
この時に、すごく驚いた自分がいたことを鮮明に覚えています。
厳しい世界を通らなくても、そうじゃない世界を生きていても、人として立派に、人として大切なことを身につけてみんな大学生になれるんだ。と思いました。
高校時代の経験が圧倒的だっただけに、なんかすごく驚いたし、なんだか不思議だと思いました。
それぞれの人は、どんなバックグラウンドで、どんな人から何を学んできたんだろうと思いました。
でも、私は高校の時の自分の心意気だけは絶対に手放したくなかった。
一球一球に対して手を抜かない姿勢、細部に神は宿るからこその細かい心遣い、道具やグラウンドに対しての敬意の気持ち、あいさつや返事、感謝の気持ち。
高校で学んだことを自分の軸にして、そこで教わった大切なことを、人生の中にちゃんと鮮明に落とし込んで生活していました。
世界の子どもたちに会いたい
大学生になって私がやりたかったことは、「世界中の子どもたちに会いに行く」ということでした。
高校の頃、私たちの代をみて先生は「時代は変わった」と言っていました。
厳しい言葉を投げ掛ければ投げかけるほど、そこに心の火がついて成長を見せる生徒たちだった時代から、厳しくすればするほど落ち込んで自信をなくす生徒たちになったと。
先生は「俺は学び直す」と言って、その当時、練習よりも新しい学びを求めていました。
そっか、私たちは時代の狭間にいるんだ、と。そう知りました。
日本人は自己肯定感が低いと言われているけど、本当にそうなのか?
謙遜の文化がアンケート結果に影響しているだけなのでは?
そう思って、世界の子どもに会いに行くという目標を掲げていました。
家族の影響
海外に行きたいと思えたのは、家族の影響だったなと思います。
お母さんは私が幼い頃から、よく家に留学生を受け入れてホストファミリーをしていました。シャイな私は発言することなんてほとんどなかったけど、いろんな文化に触れることができた幼少期は豊かな環境だったなぁと思います。
3つ上のお姉ちゃんは小さい頃からよく洋楽をきいて歌っていました。
私もその影響で洋楽をカタカナに起こして歌ったりしていたり。
高校時代からは海外へ行くようになり、大学時代にはいろんな国へ出向き、ドイツで1年間のボランティアをしたりしていました。
そんなお姉ちゃんを見て、自然と海外を見に行ってみたい、という思いは強くなっていたように思います。
そして、お母さんはいつも「とにかく海外に行ってみなさい。今の世界は狭すぎるよ〜」と、私に伝えてくれていました。
いざスイスへ
海外に行くと決めたら、一人で行こうと思っていました。
高いお金を払って、日本人でみんなで行ってももったいない。
自分で飛行機をとって、ホテルを予約して、向こうの団体にメールで申し込みをし、スイスに一人でボランティアに行きました。
スイスの子どもたちと一緒に1ヶ月を過ごすボランティア。
英語もわからない、みんなの輪に入れない。
初日の夜に、早速ひとりで泣きました。
みんなが何を言っているのかわからず、明日から私はなんの仕事をしたらいいのかわからず、ただただ不安だったんだと思います。
文化の違いにびっくり
スイスでは驚きの連続でした。
ボランティアとして行ったのに、「自由にしててね〜」なんて言われて、仕事をもらえないどころかなんの指示も出ない。
そのころの私は、高校生の時のまま、指示待ち人間でした。
何をしていたらいいのか、何か仕事を探さないと、と思っていろんな人に何をしたらいいのかと指示を仰ぎにいっていました。
承認を求めるという依存、だったんだと思います。
自分の選択や行動が不安だから、許可を求めてしまう。
今の小学生はこの「承認の確認」がすごく多いと感じます。
それだけ、大人の監視の目が強く、縛りが強く、彼らはそのルールの中で、ルールをはみ出さないように恐る恐る行動をしている。
怒られたくないから、悪い評価を受けたくないから、先に確認する。
私もそんな18歳でした。
スイスの子どもたちは…
そんな自由すぎる環境やあまりに指示が出ない環境で私が戸惑い不安を感じる中、現地の子どもたちは自分でいろんなことを決定し、自信を持って行動していました。
その姿は本当に堂々としていた。
参加する、しないも自分で決めた後は堂々としている。
参加しないと、ちょっとは後ろめたさもありそうなもんだけど、堂々とソファーに座って休んでいる。
自由時間の彼らの過ごし方も圧倒的に主体的だった。
そんな環境を目の当たりにして、「私が高校生の時になりたかった姿はこんな姿だったんだなぁ」と思いました。
ルールがない・指示が出ない
そうか、この環境が必要なんだ、と気づいて日本に帰りました。
日本では大人から与えられることの多すぎる子どもたち。
親は不安を抱えて良いものをどんどん子どもに与えようとしてしまう。
全部が大人の裁量で決められ、言われたことをやればいい世界に長く浸っていると、自分で考えることをやめてしまう、自分の意見を持つ必要がなくなってくる。
こんな環境に、私は課題意識を感じて、千葉県でプレーパークをはじめました。
子どもたちの大好きな遊びの時間がこれ以上奪われないように。
彼らが自分で選択して行動できる安心の場所をつくれるように。
主体性を引き出す環境
主体的に慣れる環境というのは、大人の支配が一切感じられない場所であると思っています。
自分が何をしていても、何をしていなくても良い悪いの評価を受ける心配がない場所。
そんな場所にきて、初めて誰に従うでも誰に合わせるでもなく自分の声を聞いて自分のために行動ができるようになると思っています。
私は「自分のため」でいいと思います。
「自分のため」の比重が大きくなればなるほど、その気持ちは溢れ出して相手に向くものだと思っています。
プレーパークのその後
プレーパークをはじめ、その後は色々と必要だと思ったことはとりあえずやってみる、という大学生活でした。
一人暮らしをはじめ、その家を定期的にみんなに解放することで子どもたちの居場所づくり。
引きこもりの子どもたちのお家を訪ねて社会の接点になろうと、心を充電する家庭教師を初めてみたり。
オンライン教育コミュニティcrankleを初めて、教員側から公教育をもっと良くできないかと試行錯誤してみたり。
放課後アクティブラーニング教室をやってみたり。
学生団体を立ち上げて助成金を頂いたり。
やりたいことに全力で向かっていたけれど、どこかで苦しさが追い詰めてきていました。それに全然気づけなかった、というか、頑張れば頑張るほど良いと思っていた。
頑張ることが素敵なこと
寝る時間を削ってまで頑張ることが素晴らしいことだと思っていた。
熱があっても学校を休まずに授業を受けることが大事だと思っていた。
そんなこんなで、朝の5時からバイトをし、9時に授業へ行き、午後はまた別のバイトへ行き、夜は23時までzoomに参加する。
そんな感じの毎日を送っていました。
深い眠りについてしまうと朝起きれないから、あえて床で寝ることで3時に起きれるようにする。
一人暮らしの家に帰るのは寝るためだけ。
そんな毎日でした。
でも、それが良いと思っていたから、それで満たされていた。
まぁ、単純に体力がありすぎて有り余っていた状況ではありました。
それも大きな理由だったと思います。
あの高校生活を乗り越えてしまったから、底なしの体力でした。
大学3年生の冬
そんな毎日を送り、気づかないうちにやりたかったことに追われるようになり、一人でいろんな締め切りを抱え、責任を抱え、苦しい時期になりました。
千葉を飛び出して、逃げるように広島へいき、
一生分くらい泣きました。
そして、自分の中から出てきた心の声は「我慢しないで生きる」でした。
「我慢しないでいきたい」と思っている自分が本当はいたんだなぁと。
それで千葉に帰り、酷い風邪をひいて身体の浄化が起こり、
これで楽になるんだ、と思っていた。
動けない
そうしたら、今度は全く動けなくなった。
無理やり動かしていたエンジンだったから、ちょっとゆっくり走ろうなんてそんなふうに思う程度では全く進めない。
思っていた以上に、全身で持ち上げていたものが大きく、それに押しつぶされるように、どん底まで落ちていった。
家から出られず、家の中もぐちゃぐちゃで、ただ横たわって泣いている。
そんな日々が続きました。
波に揺られる
そこからの時期はなかなか、自分のペースが掴めない1年半でした。
頑張ろうと思うと力んでしまい、ヘトヘトになる。
力を抜こうとすると、力が入らなくて前に進めなくなる。
ちょろちょろと流れる小川のようになりたいと思いながら、自分自身に振り回される毎日でした。
小川のようにゆっくりと流れ続けている、止まらなければ凍らない。
そんな動きがいいなぁと。
少しずつ、いろんなことを手放して、「自分を休めてあげる」ことを許せるようになりました。
「休んでいい」を認めてあげられるようになるまでには時間がかかりました。
でも、自分をまずは大切にしていい社会であってほしいと思います。
そんなこんなで
無理せずに生きられる、やりたいことに素直に向かっていける、自分の人生を自分の手で豊かにしていける、みたいな世界を目指すようになった。
「自分を大切にする」
そこに当たり前のように自然食だったり、微生物や菌の働きだったり、自然との共生だったり。
そんな観点が入ってきて、「暮らし」を追い求める自分になった。
お金が全てを解決してしまうこの社会は寂しすぎるから、もっと不便であれ。
不便である先に人と人のつながりの必要性が生まれ、助け合いが生まれ、孤独がなくなってくれ。
そんなふうに思うようになった。
人の愛
人の愛や気持ち、つながりの大切さを思えるようになったのは、
Les worldという団体が主催する無人島100Fesというイベントに参加したことが大きなきっかけでした。
ここでは詳しくは説明しないけど、
人と心でつながることがどれだけ豊かであるか。
私たちの中にはどれほど温かく大きな愛が秘められているのか、そんなことを身体で感じて、涙の止まらない経験でした。
ここにある迷い・葛藤
「自分を大切にする」を軸に「ありのままの自分」を追求する世界。
自分の人生を自分の手で豊かに作り上げていく実感のある世界。
自然や動物と共にいき、自分に良いものに囲まれた世界。
お金や資本主義のシステムに搾取されることなく、本質的な豊かさを求めて「人」と生きる世界。
ざっくりと私の目指している世界はこんな世界で。
ここの世界に向かう一つの道として「教育」という側面からアプローチできたらいいなぁと、そう思っている。
この世界って、高校時代のあの環境とは相容れないものだよなぁ。
これが率直な感想であり、なんだかあの高校生活に背中を向けて逆方向に歩いていく自分を感じたりしている。
ここが、なんとなく自分の中で引っ掛かっているんだろうなぁ。
高校生の彼らや部活動が持つパワー・感動・輝き
高松商業高校でも、高校生とお話しする機会をもらってお世話になったが、
高校生の輝きって本当にかっこいいと思う。
そして、厳しかろうとそうでなかろうと、必死に全力をかけて部活動に打ち込む彼らはかっこいい。
そして、「全力になれる環境」はやっぱり財産だと思う。
厳しい監督さんだって、すごい大きな愛のもとに厳しい指導をしている。
あえて、厳しい状況を突きつけ、彼らの大きな成長を願っている。
それはもちろん一人の人として。
「俺よりすげぇ人間になってほしい、それだけなんですよね」
「結局は、いいかぁちゃんになってくれたら嬉しいんですよねぇ」
そんなふうに、話をしてくれた監督さんの優しい笑顔が忘れられない。
つまり、高校の部活動の世界って、そういう世界ですよね。
厳しい中を仲間と支え合いながら切磋琢磨しながら、上を目指して限界突破する。
その世界はその世界で私は美しいとも、やっぱり思えるんですよね。
何に迷っているんだ自分
私は何に迷っているんだろうか。
恩師に会いにいき、学校の中での話を聞かせてもらった。
学校の先生たちはみんな手抜かずに一生懸命やりきっていると。
それがカッコよくて刺激になるんだと。
どこかのクラスの授業が空きになれば、みんな積極的に手をあげて授業交換をし、授業が自習になるなんてことは滅多にない。
勉強熱心で、研究熱心で、向上心のある先生方に囲まれていて楽しいと。
定時に帰る毎日ではなく、みんな職員室で一生懸命頑張っているんだと。
確かに、誰かのために100%頑張れたり、一生懸命手を抜かずやり切ることってすごい大事でかっこいい生き方だよなぁと思う。
若い人は
それに対して、やっぱり若い人は
少しでも楽にやろう、どうやってサボろう、
みたいなところに思考が行きがちだと。
自分からどんどん仕事をもらって、全力で頑張るみたいなパワーではないんだと。
いやぁ、確かに甘ったるいよなぁと思う。
そんなこと言ったら、私の目指している
「自分を大切にする世界」なんて、すごい甘ったるいよなぁとか思う。
ここらへんの良し悪しみたいなのが、自分の中で全然整理がつかない。
その夜はこんなことを考えた
その夜はこんなことを考えました。
我ながら、うんうん、こういうことなんだよなぁ、と思います。
頑張るから頑張らないへ
頑張るから頑張らないに180度意識が変わったのは自分がかなりのところまで
苦しくなった経験があったからです。
あの3年間で途轍もない根性を得てしまったことを恨んだりするほどでした。
一番の財産だと思っていた「根性」を手放すことになった。
じゃあ、限界を迎えずに走り続けられる自分だったら、
きっと今も全速力で走り続けていただろうなぁと思います。
3時間睡眠でも手を抜かずにやり切る自分を誇りに思っていたと思います。
「自由」に向かうこの時代
この時代は「自由」に向かっているよ。
宇宙からのメッセージは「自由」に切り替わったよ。
と、聞いてすごくいろんなことが腑に落ちたことがありました。
昔から、学校に行きたくない子どもなんていたはずだ。
でも今の子たちはそれを声に出して本当に不登校になってしまう。
「自由」に向かうこの時代だからこそ、そこが強くこの社会に反映されつつあるんだろうなぁと思います。
宇宙からのメッセージを一番強く受け取って生まれてきてくれている子どもたち。
彼らの感覚が正しいんだろうなぁと、信じたらいいよなぁと。
生産に向かう社会の終わり
資本主義については、まだまだ勉強中だけど、
「自由」への気運が高まっていることは、資本主義の終わりをこの社会が感じ始めていることも大きな理由なんじゃないかと思う。
戦後は物質的な豊かさと心の豊かさが比例していた。
たくさん作れば作るほど豊かな時代だった。
その社会の中で、一生懸命頑張ってたくさん生み出すことのできる生産者的な人が重宝され、高い評価を受けてきたんだと思う。
これは単なる推測でしかないけれど。
一生懸命頑張り、時間を惜しんで努力する、そんな人たちが一生懸命復興させてくれたこの国であり、その根性魂みたいなものが良いものとして今もなお大切に残っているんだと思う。
手放す時代
でも、私はこれからは手放す時代だと思っている。
それは諦めるとか、簡単に逃げるみたいなことではなく、
本質的な豊かさを探して、シンプルに生きるということである。
多くのものを手に入れる人が豊かであるという時代は終わり、少ないものもみんなで分け合い、必要なものを多く持たず、本当の豊かさを見つけていく時代なんだと思う。
だからこそ、そんなに必死になっていろんなものを手に入れようとしなくても、自分の心の声に耳を傾ける時間を作って、自分の心が喜ぶことをしたらいいんだと思う。
これは甘い考えなのかなぁ
こんなことを言っていたら50代60代の先輩たちに、そんなこと言ってんじゃねぇと言われてしまうんだろうか。
でも、国のために働き、搾取され、国のための人材を育成し、集団や所属意識ばかりが肥大していく世界よりも、
一人ひとりの生きる上での幸せがちゃんと見過ごされないように穏やかにまわる社会であってほしいんだ。
実際に、集団よりも個人個人を大切にして考えている国だってある。
そこの幸せに自分の力でなかなか辿り着けない状況だってある、そんな時にこそ、こぼれ落ちる人がいなくなるように、何か行動を起こさないといけない。
この世界にはいろんな波があって、自分がダメな時もあれば相手がダメになる時もある。
そこはお互い様だと思う。
まだ何も知らないから
言えることだと思う。全て。
国という大きな組織の中で生きているということ。
お金の仕組みや社会の仕組み。
いろんなものが複雑に絡まり合って抜け出せない環境。
でも、何にも知らない奴だけが言えることもある。
思い描けることも思いつくこともできることがある。
地図を持っている奴が「あの山の向こうの景色を見てみたい」なんていうわけがない。
でも、地図を持っていない私だから「あの山の向こうには最高の世界があるんじゃないか」と本気で考え、山を登ることができるかもしれない。
どうせ、と思っていた空気が、一人の行動で変わるかもしれない。
ありがとうとこれから
厳しい世界の中で生きてきて社会を作ってきてくれた上の世代の方には本当にありがとうを伝えなくてはいけない。
頭の固い年寄りは早くいなくなれだの、世代交代だの、そんなことを簡単に口に出してはいけないと思う。
彼らが積み上げてきたものを吸収し、大切に引き継ぎつつ、子どもたちが今持っているメッセージをきちんと感じ取って新しい世界に合わせてアップデートしていかなくてはいけない。
必要のない人や世代なんてひとつもなく、お互いがお互いの状況や背景を理解して、一緒になって変わってく必要があると思う。
自由になりたい若者へ
もっと自由に、自分を大切に生きたいと思っているのなら、厳しい中で歯食いしばって頑張ってきた人たちの中で簡単に「僕は楽したいです。」なんて口が裂けても言ってはいけない。
自分がそう思うなら、そうできる環境を自分から動かして作っていかなくてはいけない。
自分が正しいと思っても、それを簡単に押し付けて解決するものではないし、自分だけが楽しようなんて、それは甘い考えだと思う。
頑張ってくれる人がいるから、自分が楽できる、みたいな世界はあまりに幸せじゃない。
自分の望む世界や、ライフバランスがあるのなら、みんなの肩の荷が少しずつ降りていけるように自分が環境の一部となって少しずつでも空気を変えていかなくてはいけない。
今の私の頭のなか
は、ざっとこんな感じだ。
他にも毎日考えていることは色々とあるけれど、
またこうして文章に残したいと思います。
この世界や教育のことを知れば知るほど、自分の期待やアイディアは小さくなっていってしまうかも知れないから。
今のうちにいろんなことを考えて、思い描いて、そのワクワクを忘れないようにするんだ。
ここまで読んでくださったかた、めちゃくちゃお付き合いいただきありがとうございました。
また、色々と語り合いたいです。
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