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健康データベースを作りたい<目的編>(構想vol.1)

以前投稿したnoteの中で、自分の夢を語った。内容としては

健康の多様性を実現するために、健康情報のデータベース化とアクセス可能なプラットフォームを作る

ということだ。この夢を数年前から持ってはいるのだが、最近になって改めて声に出してみると色々な声が聞こえてくる。本当にありがとうございます。

もちろんポジティブな意見をいただくが、この夢はいささか世間ウケというところでは良くないようだ。自分がこの夢に向かって攻めあぐね、およそ3年間ほどやれ起業だのやれ哲学だのやれパーソナルトレーナーだのやれ医療人類学だのやれChatGPTを使うだのとさまざまなところに手を出しているところをみてかもしれないが、どうやら虚言のように取られることが少なくない。そもそも私が行ってきた上記のことは全て夢に通じている。

で、いい加減この健康データベースというものが作れるというのが現実的になった(これに関しては前回note参照)と感じたので、ブループリントを作り始めたいと思う。なお、作れそうだとは思っているが先は見えていない。これは構想vol.1であるが、この先設計、組立、中途資金調達など無限に書けそうなものである。それどころか構想だけでvol.30ぐらい書けてしまいそう。

目的は何か

さて、なぜ健康データベース、プラットフォームを作りたいか、なぜ健康データベースでなければいけないのか。これらについて語らないといけない。

その目的は「健康の多様性を実現するため」なのだが、なぜ健康を多様化しないといけないのか。それが引っかかるようだ。医療制度が整い、論文も揃い、長生きもできれば昔治らない病気も治るようになった。この「素晴らしい健康」というものをなぜ多様化しなければいけないのか。
それは単純で、一元化されているからである。答えは一つ、解法も一つ。そのような考えが蔓延しているようでならない。もっとも、それは目的を果たすことができればいい。つまり、健康になることだ。
だが、ここに毎度私は問いかけている。「健康とは何か」。
ただでさえ、WHOが「心身ともに健康な状態が良い」、「well-being」と言葉を濁して説明している。私は、ここに遊びの領域があると思う。つまり固定化される必要もなく、他人に規定されるわけでもなく、自分自身が正しいと思っている領域、ということだ。それは先ほどの「素晴らしい健康」と対立しかねない概念である。
実際、この議論は発散することが多い。そもそも具体的な医学とwell-beingの概念が同時に存在しにくい。細胞の話をするとき、患者の感情は見ない。患者の感情を見るのは心理学に分類される。つまり分けて考えることが多いのだ。もちろん臨床の場では部門わけというものはされにくいのだが、とはいえ現場でも概念的に混在しにくいというのはあると思う。

この「well-being」という概念と現代医学の「素晴らしい健康」、あまり両立できていないのではないだろうか。
そこで出てくるのが多様性、すなわち脱一元化である。この「素晴らしい健康」というものは享受しつつ、「well-being」という、曖昧なものを個人個人が達成するにはこの脱一元化というものが大事なのだ。

一元的思考を脱するを達成するにはどうすればいいか。そのためにもっとも簡単な方法は一元的思考を破壊する、すなわち多様的思考を浸透させることにあると私は思っている。
ここでようやくデータベースと繋がってくる。つまり、健康に関する情報を一挙に載せることにより、この一元的思考を破壊することができるのではないだろうか。それこそがデータベースを作ることの大きな目的である。

データベース作ってどうするか

さて、その「一元的思考を破壊する」ためだけにデータベースを作るのか。大きな目的はそうだが、それだけではない。そもそも例として現代医療を一元的思考としたが、これは各々の一元的思考があり、これが他人に拡散していくのである。そのためこのデータベース作成は医療からの脱却ではない。この構造そのものの脱却でもある。

個々の一元的思考とは何か。大雑把に定義し、説明するならば「これこそが健康のためだと思い込むこと」である。現代医療はそこに置いて多くの人に当てはまるが、例えばビーガンの方やマイナーな健康法を行っている人の中でこの考えに至っている人は少なくない、というのは私がリサーチした感想だ。もちろん、それはまさにwell-beingなことであり良いことだ。だがここで問題としたいのは、その健康法などを信仰するあまりに排他的になることだ。これは他人の攻撃もそうだが、自分に対する不可侵領域を作ったりもする。そしてこのような振る舞いが同じような人を作り出してしまい、健康業界に若干というか、かなりひりついた雰囲気を感じる。

そこでデータベースが出てくる。こちらも同様、一元的思考を破壊し、多様性を認め合う構造を作ることができると思う。副次的というか、ある意味で主目的でもあるのが、これにより健康手法にとらわれる人が少なくなると私は考えている。先に言っておくと、私は健康手法などどうでもいいと思っている。結局はその人が健康に過ごすことが大事であり、そこに至る過程は複数あってもいいと思う。だが健康素人が手法に囚われてしまうと「手法が間違っているのではないか」とか「これは正しい情報なのか」とかなり疑りながら進める。実は重要なところは別にあるかもしれない、という構造的な誤りに気づかず、業界の小競り合いに巻き込まれてしまうのだ。

さて、一度ここで議論を終えていこうと思う。まずはデータベースを作る目的というものはかなり具体的に書いたと思う。
今回も軽く触れたが、次回は「データベースができることによって起きる出来事」について深く考えていきたいと思う。



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