パーソナルトレーナーが考える「パーソナライズする」ということ

私は一応パーソナルトレーナーとして、そして自称医療人類学者として自己紹介しています。なぜ一応なのか、というとパーソナルトレーナーという名前がとても強いからであり、なぜ自称なのかというと独学で研究しているからです。

もちろん仕事として「パーソナルトレーナー」という呼称でやっているわけですが、どうもこの「パーソナル」という言葉が、なかなか定義が難しい言葉なのではないか、と「自称医療人類学者」の私は思うわけです。今ではChatGPTなどでその人に合った答えを出してくれるし、「パーソナルトレーナー」なんていなくても「あなたにパーソナライズされた」トレーニングメニューを提示してくれるアプリもあります。

ではこのパーソナルトレーナーのパーソナライズと、アプリのパーソナライズ、それは一体何が違うのか、考えていきましょう。

パーソナライズされていないとは

パーソナライズということがあるなら、全くパーソナライズされていないということもまたあるわけです。まずはこの「パーソナライズされていない」という状態を考えていきます。

パーソナライズされていない、ということはレコメンド、つまりおすすめが一才されていない、ただのデータベースのみということになります。この数多ある健康情報がただ雑然と並んでいて、何が自分にとっていいのか、という情報の精査も一歳ない状態です。

簡単に言えば、ただの健康に関する情報のことを「パーソナライズされていない」と考えることができます。

第一のパーソナライズ:統計的レコメンド

まず最初のパーソナライズの段階は、統計的レコメンドです。これは統計的に、おそらくあなたに当てはまるだろうというものをレコメンドしています。例えば

50代 女性 スポーツ歴なし

という情報があれば、医学的にどのようなステージでどのような問題を抱えやすいか、というものをデータベースから似たものを統計的に分析します。例えば50代女性ならば閉経で女性ホルモンの低下があるはずだから、自律神経の乱れがあるはずだ、というのもある意味統計的(統計を出すまでもないですが)でしょう。

ではこのような女性にどのようなメニューを提案するか。運動歴がないならまずは体操のようなものから始めつつ、運動習慣をつけさせる。そして食事は今後も考えて刺激の少ないもの…などなど。

アプリやChatGPTでももちろんこの程度のレコメンドはしてくれるわけですが、このような分析はパーソナルトレーナーも行っています。大体の年齢、筋肉量からメニューを考えるというのは基本中の基本ですね。

このような過去の情報や、似たような事例、一般的知識から導き出されるレコメンドを「第一のパーソナライズ」とします。これだけでも広告で「あなたに最適なパーソナライズされたメニューやサプリメントをお届け」と謳うんでしょうね。

弱点:対応できるのはデータ化できるものだけ

このようなパーソナライズは実際人間である必要もなく、とても低コストに実現できます。しかしこのパーソナライズができるのは、入力されたデータ、そして蓄積されたデータだけになります。つまり「50代 女性 スポーツ歴なし」といった3つの情報以外、体重すらもわかりません。そしてその人がどんな問題を抱え、どんな感情なのかは蓄積もされてません。そのようなものからはアドバイスができないのです。ChatGPTがプロンプトが重要だという理由の一つです。

第二のパーソナライズ:個人的レコメンド

次のパーソナライズは、第一のパーソナライズの弱点を超えた個人的レコメンドです。これは与えられた情報の他、face to faceで得られる表情、空気、最初の情報ではなかったことを引き出す行為そのものなど。簡単にはデータ化することができないものを、個人がニュアンスとして解釈し、それを元にパーソナライズします。これが第二のパーソナライズです。

弱点:パーソナライズには認知が必要

「機械に取れなかったデータを人間が認知することができる」というのがこの第二のパーソナライズの特徴ですが、逆に言えば認知ができない領域が存在すればそれをパーソナライズすることができない、ということになります。

第三のパーソナライズ:隣人的レコメンド

第二のパーソナライズが、機械が取れなかったデータを人間が取れるようになった、という違いがありました。第三のパーソナライズは、データ化、観測されないものを考慮します。例えば、家族との関係というものは血縁という科学的事実とは別の信頼性があります。親友は、友人とはまた違った安心感があります。そのような、B to Cの関係を超えたパーソナライズ、これを隣人的レコメンドと言いましょう。

これはもはやメニューをパーソナライズする、というより自分と顧客そのもの、顧客にとっての自分をパーソナライズ、特別な人間になる、ということになると思います。自分はジムのお客さんのお話を聞いているうちに、気持ちが溢れらしく泣かれたことがあります。これはどうやら話が重要ではなく、その話をする関係であることが嬉しかったようでした。ここには第二のパーソナライズとは違ったものが確実に存在します。

第三のパーソナライズは何があるのか

第三のパーソナライズには表現できないものがある、ですがそれは何なのでしょうか。私の予想としては、これは人間対人間であることがあります。第一、第二のパーソナライズは次のような構造でした。

人間or機械⇄データ⇄人間

このようにデータを介してコミュニケーションを行うわけですが、第三のパーソナライズではデータは必要なく、直接的なつながりになります。するとデータに文字起こしできないものを直接的な人間との関係で見るわけです。例えば「健康に関すること」となれば身長、体重、年齢、運動歴、食事内容、体の状態といったものがデータとして必要であり、データとして捉えるということが前提となります。しかしこれがストッパーとなり、データ以上の構造に踏み込むことができないとも言えます。この枠そのものが第三のパーソナライズへの壁となります。これは「パーソナルトレーナー」は「健康」という枠組みの中で働くものといった不文律があるからとも言えます。

しかしパーソナルトレーナーと顧客の間に、まず真っ先に健康という枠組があることによって関係性がスムーズにスタートすると言えます。トレーニング指導やストレッチの手伝いをするうちに、健康というデータを必要とせずにコミュニケーションを行うことができるようになるわけです。このコミュニケーション、関係性こそ第三のパーソナルの正体だと思います。

健康と関係のない健康

この健康という枠組みを取っ払うことができたとき、どのようなことが生じるのか。それは間違いなく健康について深く語ることができるようになる、ということが私は思うのです。健康という枠は既に規定されたものですがその人の人生にとっての健康というものは決して枠内に収まっているとは限りません。枠組みが外れたからこそ、本来の、まさに個人的な健康について語ることができるようになるのです。

第三のパーソナライズから行うこともできるのか?

健康という枠組みを通してパーソナルトレーナー対お客さんという構図を作ることがメリットだ、と言いました。しかし全くの逆もできるのではないでしょうか。全くの人対人の状態から、健康という枠組みを規定すること。これは健康の定義を大きく拡張することができるのではないかと考えています。
「健康」という言葉はとても硬派な印象があります。素人が簡単に踏み入ることができない、専門的な領域であり、トレーナーとお客さんも先生と生徒のような関係になります。この関係は固定化されるという安心感と共に、近寄りがたさも象徴していると私は思います。
しかし本来健康というものはもっと柔らかく、多様な領域を横断しています。この多様な領域に拡張するのに第二のパーソナライズから第三のパーソナライズのジャンプアップが必要になるわけです。
しかしこの第三のパーソナライズからスタートができないか?お客さんではなく、友人から始めることができないか?ということです。既に領域拡張されたところからスタートすることができれば、より良いパーソナライズができそうな気がします。

パーソナライズの不可逆性と展望

しかし私の体験から考えるに、第三のパーソナライズから第二のパーソナライズにするのはどうやら難しいようです。拡張された健康の定義から縮小した定義の健康を語ると、それがどうやら重要ではないように感じてしまうようなのです。腐ってもパーソナルトレーナーとしては一般的な枠組みの健康も大事だと思うが故に、この点は悩ましいところです。逆に言えばこの構造を明らかにすれば、もっと豊かな健康を作れると確信しています。
この第三のパーソナライズはビジネス的に言えば間口の拡張であり、健康の定義の拡張の世界、すなわちダイエットやボディメイクを超えたwell-beingの世界です。この領域をトレーナーとして扱うこと、これこそが真のパーソナルトレーナーだと私は思うのです。


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