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読書メモ:RITUAL 人類を幸福に導く「最古の科学」について

昨日、シェア型書店の紹介をした際に購入した本を1冊読み切ることができた。「問題解決大全」の著者の読書猿さんの本棚で販売されていた本で、もともと書店で見て迷っていたのを思い出し即決で購入。面白すぎてほぼ1日で通しで読み切ってしまった。


儀式は社会のあちこちに潜んでいる

この本は「儀式」に注目した書籍である。儀式というと、宗教を連想しがちだが、身近なところにも誕生日のお祝いや新年のお祝い、成人式などの式典や地元のお祭りなどのイベントや、席次のマナーや挨拶の仕方など日常生活のあちこちに儀式は潜んでいる。
本書では、その儀式の役割や効果を科学的/人類学的に解き明かしていく。

儀式があるのは、人間だけではない

まず、最初に紹介されるのは、儀式を持っているのは人間だけではないという点で、非常に興味深かった。例えば、ゾウやカラスは埋葬に近い習慣を持つし、鳥なども条件付けが整えば独自の振る舞いを本能的に覚えるようになる。また、フラミンゴの求愛のダンスやあえて高く飛び上がり肉食動物に対して自らの能力を誇示するガゼルのストッティングなど、「儀式的」なさまざまの動物の習性が挙げられる。

フラミンゴの求愛行動


コントロールできないものをコントロールする努力

儀式の個人への効用として最初に挙げられるのが、自分自身の「秩序」を維持する働きである。例えば、スポーツ選手は「あらかじめ定められた動作をする」、ギャンブラーは「ギャンブルのツキを得るために殺生はしない」など自分なりのルーティン的な儀式を持っている。
これらは迷信というだけではなく、これらの動きや振る舞いに不安やストレスを軽減する効果があり、構造化された一連の動きがコントロールできないものをコントロールするための心理的な効果を発揮している。
社会的にも、農業(天候のコントロールができない)や戦争などの社会不安があるような場合に、このような儀式が頻繁に行われ、このようなコントロールできないものをコントロールできると感じられることが儀式の効果と挙げられる。

個人に引き返せない代償を支払わせ、「節目」をつくりあげる

他にも、個人への効果として「節目」を作りあげる効果が挙げられる。
例えば、卒業式/成人式/結婚式など人生の節目に儀式を行うことで、個人の認識に強力な干渉させる。このような式典もそうだが、会社に入った時の新人研修(しごき)や部活の合宿、共通体験となるような「地獄の●●合宿」など、社会の様々な場面で最初に大きな代償を支払わせるような儀式や伝統が脈々と受け継がれている。
これはヒトには「大きな代償を支払うほどそのものに価値がある」と思うように認知的な不協和を解消する性質があるためで、このようなイベントは引き返せないほどの犠牲を払えば払うほど効果が生まれる。
本書内では、予言が外れた宗教団体のメンバーが外れて以降もなおも狂信的に教義を全うしようとするような事例で紹介されている。

自分が通っていた男子校も同じで、新入生を上級生が囲んで「威嚇(カンゲイ)する」習慣や古風に大遠泳をする習慣があり、まさにこの効果を狙ってやっていたのだなぁと改めて理解できて面白かった。
(この共通体験は、卒業してから何年たっても同窓生の話題のタネになっていて効果がすごい)
また、結婚式などもわざわざ友人を全部呼んで大金を払う「引き返せなさ」がポイントなのかもしれない。
(それでも離婚してしまう夫婦がかなり多いのはおいといて・・・)

地獄の入部合宿のイメージ

社会の紐帯としての儀式

儀式は社会の紐帯であり、一見無意味な儀式的なマナーを覚え、そのように振る舞うことこそが共同体を維持する役割を担っている。
(むしろ、このようなマナーは無意味であればあるほどよく、この無意味さに付き合えることが教養とされる中世の社会などもある)

以前読んだ「人間はどこまで家畜か?」という書籍の中で、人間は社会性を発達させていく中で、個性を抑制することに対してストレスを感じない(むしろ喜びすら覚える)方向へ発達してきた。という話が紹介されている。
本書も同じ路線で、儀式の社会的な効用を紹介している。

社会を形作っていくうえで、共通の要素を持つことが必要で、以下のようなものが挙げられる。

  • 共通の表現パターン(マナー)
    →例えば、共通言語や礼典のありかたなどの共通の振る舞い方

  • 共通の物語
    →例えば、子供の時の所属や同じ趣味・学閥など共通のフィクションの中にいること

⇒まさに、儀式を繰り返すことで、集団の中に共通のパターンと物語を築き上げていくことが必要で、そこに目的や意味は必ずしも必要ではないが、何らかの形でコミットさせることが必要。

「厳格さ」こそがフリーライダーを排除し、共同体を維持

さらに印象深かったのが、この種の儀式は「厳格である」ことでフリーライダーを排除する機能を持っているという点だ。
例えば、ただただ厳しい(練習も厳しいしカルチャーも厳しい)運動部と合理的な運動サークル(練習はヌルく、カルチャーはヌルい)があった時に、厳しい練習に耐えられるタフネスを持った学生は前者、楽しくやっていきたい学生は後者を自然と選ぶ。
こうすることで、厳格なカルチャーを持った運動部は、練習についてこれない可能性が高い学生を自然に排除できる。すごい合理的。
さらに、この厳しいカルチャーの構成員であることがその人の誇りになっていき内面化されることで、より厳格なカルチャーが持続されていく。

大きなものの一部になれる(信じる者の幸福)

最後に、儀式の大きいポイントとして、共同体の一体感を持たせ、個人に共同体の一部であるという認識を持たせるという効果が紹介されている。本書では、熱した石炭の上を歩く「火渡り」の儀式を多く紹介しているが、特に火渡りをしている本人だけではなく、周囲の家族・共同体にもその興奮や感動が伝播していく様相が紹介されている。そして、儀式に参加したことによる多幸感やフロー感覚など多くのメリットが発生する。
より身近な例だと、ライブの高揚感やサッカーの試合の応援など社会の様々な場面でより大きなものの一部になった感覚が得られる。
そして、これらは当たり前だがこの儀式に対してのめりこみ、主体的に参加したものやその儀式に対して共感できる人ほど得られる効果が大きい。

まとめ

本書は儀式というキーワードで、人間社会がどのように作られてきたのか?単純な合理性を超えたところにある「大きなものの一部」という人間社会の深遠さ、人間の文化の奥深さに触れた気持ちになれる本だった。



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