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家族でも友達でも恋人でもない誰かと(アニメ『魔女見習いをさがして』の感想)

私は『おジャ魔女どれみ』のことをよく知らず、全く観たことがなかったので、すごく見当違いな感想を持ってしまったかもしれないのだけど、この『魔女見習いをさがして』という映画(おジャ魔女どれみ20周年記念作品)は、正直、すごく面白かった。

観終わった翌日にもう一度観たが、やはりとても楽しい作品だと思った。

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この映画が視聴者に訴えかけているのは、「魔法の力は私たち一人ひとりの中にある」という、力強い主張である。

一見するとその魔法の力は、単に「なりたい自分になる力」であるにすぎないようにも思える。事実、この映画の主人公である、レイカ(20歳)とミレ(27歳)とソラ(22歳)という3人の女性は、物語を通じてそれまでの自分の殻を破り、新しい未来、より自分らしい自分へと一歩踏み出す。

だが私には、この映画は、単なる自己実現の物語を超えた何かを主張しているように感じられた。いうならばそれは、この世界にいまだ存在していなかったものに居場所を与えて、この現実に存在させる力である。

この映画の主人公である3人の女性たちの関係を、どう言い表せばよいのだろう。最も近い言葉は、「友達」だと思うが、彼女たちは出会って間もないにも関わらず、そんじょそこらの友達よりもずっと、自分の心の内をお互いに晒し合っている。それが可能なのは、彼女たちが幼い頃に『おジャ魔女どれみ』を夢中で観ていて、今でも好きだということを共有しているからである。

家族がいないレイカと、友達がいないミレと、自分に自信がないソラの3人が、この映画の最後に手に入れたものを言葉にすることは難しい。なぜならそれは、いまだこの世界に存在しなくて、それを言い表す言葉がまだないからだ。

一方で、物語を通じて彼女たちが「手に入れなかったもの」は明瞭である。それは「家族」であり、「同い歳の友達」であり、「恋人」だ。


物語の終盤で、3人は聖地巡礼の旅に出る。

さて、その旅の中で、彼女たちは一人の男性に出会い、ソラはその男性に恋愛感情を抱く。そしておそらく生まれて初めて恋の告白をするのだが、その行動はソラにとって、彼氏を作るとかいうことよりも、自分の想いを自分のものとして表現するという意味で、自分自身の殻を破り、より広い世界に向かって開かれる出来事だった。

私は3人の主人公の内、このソラのエピソードが映画のストーリーの終盤に配置されていたことには意味があると思う。それは「恋」という感情が、この作品のテーマである「魔法」そのものではないかと思ったからだ。

恋は、たとえそれが誰かを追う憧憬であったとしても、もしかしたら本当に求めているのは、その恋の対象ではないのかもしれなくて、求めさせるのは、この心が持っている、今とは違う「新しい世界」の扉を開く意志なのではないかと、この映画を観て私は思った。


幼い頃、世界は確かに美しく優しく、不思議に満ちていて、不可能なことなど何もなかった。その時に恋していたのは、もしかしたら特定の誰かではなく、この世界それ自体だったのかもしれない。そしてその頃夢中になったフィクションの世界もまた、確かにその世界の一部だったはずである。

もし大人になってからの恋が、その幼い感情に起源を持つものであるならば、それは幼い頃に満たし損ねていた心の未熟さの表れなんかではなく、自分自身の胸の中から世界に向かってポジティブに拡散する感情であるに違いない。「この世界を愛したい」という。

3人がこの映画の物語の最後に作った居場所。そこは「家庭」でもなければ「会社」でも「学校」でもなくて、この世界に恋をした3人だからこそ生み出すことができた「新しい現実」だと私は思う。

大人になるとは、既存の世の中をただ受け入れることではなく、変えていく力を持つことだ。あの日に確かに感じていたあの幸福な時間を回復したいと願う衝動が、単に何かを取り戻すことを超えて、この世界に魔法をかけ、全く違う新しい世界を現出させるのである。



以上、作品の具体的な内容とはあまり関係ないことを書き散らかしてしまった。ついでに余談を少々。

あなたは魔法の存在を信じているだろうか。

私は、魔法の存在を信じているわけではないけれど、あり得ないことではない、と思っている。それは私が過去に、若干の不思議な体験をしたことがあるからだ。

ちょうど20年前の10月頃のこと。

当時バイトしていた職場の30代後半の上司の顔が、14歳くらいの少女の顔に変わったことがあった。その時その上司は、自分が中学生の頃の思い出を私に話してくれていたのだが、目の前のその人の姿までが、まるでタイムスリップしたみたいに中学生の女の子の姿になっていたのだ。数分後、その話が終わったら、その人はまた元の年齢の姿に戻った。あまりにも不思議だったので、私はそのことをその人に伝えた。「今、14歳くらいの少女の姿に変わっていましたよ」と。その人はそのことを、少しだけ信じてくれた。

他にも、大好きなお店で紅茶の茶葉を買って帰る途中、そのショッピングバッグがあり得ないくらいポカポカ温かかったりとか、花屋の前を通りがかったら花に表情が見えて、花が笑っていたり絶望したりしていたこととか。目を閉じて歩いたら落とし物をいくつも拾ったり、通りすがりの犬にやたらとなつかれたりとか、人の話す嘘がハッキリと見破れるような気がしたりとか、そんなちょっぴり不思議な日々だった。

でも、きっと幼い子供の頃は、世界はそんなものではないくらい、もっともっと不思議に溢れていたに違いない。

でもそこは、今見えている世界、感じているこの世界と、同じ場所のことなのだ。ただ同じ場所から、別の現実が立ち上がっているという、それだけのことだと私は思うのである。


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