好きなアニメキャラを語る① 「愛城華恋」の空白 (『少女歌劇レヴュースタァライト』)
私にとって、「好きなアニメ」と「好きなキャラクター」は、必ずしも一致しないのだけど、『少女歌劇レヴュースタァライト』の主人公である愛城華恋については、それが完全に一致する。
愛城華恋は、一見すると、明るくポジティブで前向きな、主人公然とした主人公である。言い方を変えると、つかみどころがないキャラクター、と言えるかもしれない。
華恋を演じた小山百代は、自分とは性格の異なる愛城華恋というキャラクターを演じるのが、すごく難しかったそうだ。
実際、愛城華恋の性格のポジティブ一辺倒な面は、多くの視聴者にとっても、物足りなさを感じる部分だったらしい。『劇場版少女歌劇レヴュースターライト』は、そんな愛城華恋の過去を丁寧に描いたが、それは華恋のキャラクターとしての空白を埋めようという意図もあったそうだ。
だが私は、テレビシリーズの愛城華恋を見た時点ですでに、彼女のことを、ただ明るいだけの性格の少女だとは、全く思わなかった。
たとえば第4話で、突然に寮からいなくなった友人(神楽ひかり)を華恋が探す姿は、一見すると、とてもコミカルに描かれている。華恋はそのとき、そこに人がいるはずもない場所をわざわざ探しているのだが、しかし大切な人が突然自分の側からいなくなったとき、そんな場所を探してみたくなる気持ちは、私はなんとなくわかる気がするのである。
他にも、TVシリーズ第6話で、クラスメイトの花柳香子が京都に帰ると言い出したときも、華恋は泣きながら香子の両足に抱きついて引き留めようとする。これも、一見するとただのコメディ表現なのだが、私にはいたって真面目なシーンに見えた。
華恋は口癖のように、「舞台少女は日々進化中」とか、「アタシ再生産」と口にする。これは、過去の自分を脱ぎ捨てて、何度でも自分は現在に新しく生まれ変わるのだという彼女の信念の表明である。
だがその一見すると単純すぎるほど前向きな信条も、なぜだろう、私には、彼女が「自分が過去と決別した存在であること」を自分に言い聞かせているように思えてならなかった。
それは、本当に彼女にとって、生きるために必要な考え方であり、と同時に、それと同じだけの強さで彼女は、過去に引っ張られているのだと私には思えたのである。
第1話の冒頭の登校シーンで、華恋が、幼馴染である神楽ひかりとの「約束のヘアピン」を寮に取りに帰るシーンがある。部屋に帰った華恋がヘアピンをつけて、ルームメイトの露崎まひるに向けるその笑顔は、決して一面的ではない。そこには確かに、寂しさが宿っている。そしてその笑顔は、第11話で、失意の中、もういちど視聴者にそっくりそのままの構図で示されるのである。
寂しさと、憧れ。呪縛。
それはレヴュースタァライトというアニメにおいて、繰り返し語られるテーマである。9人のメインの少女たちが描かれるが、彼女たちは皆、まぶしいキラメキに呪縛されている。ある者は嫉妬し、ある者は逃避し、ある者は絶望しながら。
幼少期の華恋にとって、ひかりがロンドンに行ってしまうということが、いかなる意味を持ったか。二人で観た舞台、そして何よりも、ひかりを追いかけて、演劇に打ち込んできたその後の華恋。ひかりとの再会の高揚と、再びひかりが目の前からいなくなること。
ここに、愛城華恋の心の空白がある。
それを象徴していると思われるのが、この作品で描かれる舞台少女たちのオーディションの衣装である。特徴的なのは、肩に掛けた外套とそれを胸の位置で留める星のボタン、そして胸に掛ける赤いタスキである。
オーディションで少女たちは、お互いの胸のボタンを奪い合うのだが、もしこの「星」のボタンが、「心臓の代替物」を現しているのだとしたら、少女たちが何を奪い合っているかは明白である。そして、それを失うことの切なさも。だが、逆に言えば、たとえそれを奪われたとしても、なお「決して奪われることのないもの」がある。それは、生まれ落ちた時から自らの力で脈打っている何かだ。
そして、胸に掛ける赤色のタスキが「血液の模造品」なのだとしたら、愛城華恋のタスキだけが白色なのは、彼女が生きるために「必要な何か」を失っていること、あるいは誰かから与えられるのを待っていることを象徴しているように見える。
だがその答えは、テレビシリーズではあまり具体的に描かれることはなかった。それが明確に示されるのは、劇場版レヴュースタァライトにおいてである。
「華恋が何を失っていて、何を取り戻す必要があったのか」、その過程を劇場版は、親切過ぎるほど具体的に描いている。劇場版が、華恋が人間になる過程を描いた作品だとも評されているのはそのためだろう。
だがそれは、華恋自身が、最初から分かっていたことだ。
だからこそ華恋は、「舞台少女はみんな、舞台に立つたびに、新しく生まれ変わるの!」、そう信じて生きて来たのだ。
私たちは、今この一瞬のかけがえのなさを生きているのであり、何かを手に入れることが、その代わりにはならないのだと。
実際、その胸に「必要な何か」など何もなかった。
探し続けた者だけが見つけることのできる空白。
その空白を知るとき、質量のない何かが天秤に乗せられる。
世界を破壊し再生産する溢れる光。
華恋が胸に掛けているもの。それは、失っているものでもなければ、与えられるのを待っているものでもなく、「あらかじめ完全であること」の象徴ではなかっただろうか。
そう、愛城華恋は、最初から人間だったのである。
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