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『tick, tick...BOOM!』、30/90、「テクスト」

普段からよく聴いているポッドキャスト『ゆる言語学ラジオ』のなかで、『tick, tick…BOOM!』が紹介され、思わず声を上げてしまった(1/28配信回の38:40あたり)。そんなきっかけもあり、前々回前回と書いた『Wicked』に続いて、今回もミュージカル作品/映画『tick, tick…BOOM!』を取り上げて、いつものスタイルで気ままに綴りたい。

『tick, tick…BOOM!』

上述の『ゆる言語学ラジオ』のなかでも軽くふれられているが、『tick, tick…BOOM!』はJonathan Larsonの自伝的ミュージカル作品で、2021年に映画化されている(Netflixが手がけたため、現在はNetflixしか映画の視聴手段はない)。
ミュージカルとしてはその20年前、2001年に初演された。Original Cast Recordingのサウンドトラックは以前(少なくとも2023年9月)はCDしかなく、私は中古を探し出して購入したが、いつの間にか音楽ストリーミングサービスで聴くことができるようになっている(Spotifyなど。ちなみに、一部の曲は、Jonathan Larson本人のデモテープから音源化もされている。こちらもぜひおすすめしたい。)
この『tick, tick…BOOM!』の源流には、1990年代はじめにJonathan Larson自身が演じた「ロック・モノローグ」がある(英文WikipediaのHistoryに詳しく書かれている)。そのため、映画『tick, tick…BOOM!』の物語は、『tick, tick…BOOM!』自体を演じているステージと、『tick, tick…BOOM!』を生み出すまでのJonathan Larsonの日々のシーンが入り交じる、回想的な映像・演出で進んでいく。(そしてわずかに、Jonathan Larson自身は見ることができなかった、『RENT』に関するいわばエピローグも映される。)

30/90

Jonathan Larsonの作詞・作曲の才能が存分に発揮されている『tick, tick…BOOM!』のなかでもとりわけ印象的な楽曲は、自伝的作品という性質とも密接に関係する、一曲目の「30/90(サーティ・ナインティ)」ではないだろうか。
1960年生まれのJonathan Larsonが、1990年の30歳になる日が間近に迫っているにもかかわらず、創作としての成果を何も残せずに焦っている、という状況を疾走感あふれるメロディーに乗せて歌い上げるナンバーだ。

そのナンバーのいわゆる二番が終わった後、バンドサウンドから突如祈りを捧げるような転換がはさまる。そこからしばらく、次の歌詞が続く。

JONATHAN
PETER PAN AND TINKER-BELL
WHICH WAY TO NEVER-NEVERLAND?
EMERALD CITY'S GONE TO HELL
SINCE THE WIZARD

ALL
BLEW OFF HIS COMMAND

JONATAHAN
ON THE STREETS YOU HEAR THE VOICES-
LOST CHILDREN, CROCODILES
YOU'RE NOT INTO
MAKING CHOICES WICKED WITCHES, 
POPY FIELDS OR MEN BEHIND THE CURTAIN
TIGER LILIES, RUBY SLIPPERS

ALL

CLOCK IS TICKING-THAT'S FOR CERTAIN

"30/90" from tick, tick…BOOM! original cast recording, lyrics by Jonathan Larson

お気付きの通り、多くのモチーフが『ピーター・パン』と『オズの魔法使い』から引用されている(ここで前々回・前回書いた『Wicked』とも連続性がある!)。
ピーター・パン:PETER PAN, TINKER-BELL, NEVERLAND, LOST CHILDREN, CROCODILES(チクタクワニ), TIGER LILIES
オズの魔法使い:EMERALD CITY, THE WIZARD, WICKED WITCHES, POPY FIELDS, MEN BEHIND THE CURTAIN, RUBY SLIPPERS
この2つの作品のモチーフが入り交じって歌われること(特に「TIGER LILIES」の挿入位置)や、同一人物と思われるTHE WIZARDとMEN BEHIND THE CURTAINが重複しているところに、焦りによるJonathan Larsonの気持ちの混沌ぶりがうかがえる。

ナンバーの二番まで心情を歌ってきた後にこれらのモチーフが現れたときには(曲の転換も相まって)唐突に感じられるが、その理由は続く歌詞で明らかになる。

SEEMS LIKE I'M IN FOR A TWISTER
I DON'T SEE A RAINBOW-DO YOU?
(竜巻に巻き込まれそうだ
虹は見えない、君は見えるか?)
・・・
THE WORLD IS CALLING-
IT'S NOW OR NEVERLAND
WHY CAN'T I STAY A CHILD FOREVER
(世界が呼んでいる-
今かネバーランドか
なぜ永遠に子どもでいることができないのか)

"30/90" from tick, tick…BOOM! original cast recording, lyrics by Jonathan Larson、独自訳

引用の前半は『オズの魔法使』、後半は『ピーター・パン』の物語を念頭に置きつつ、自身の心情を歌っている。つまり、Jonathan Larsonは、歴史に残る偉大な作品の物語を単に引用するのではなく、自身の心情を伝えるための新たな意味を2つの作品から生み出しているのだ。

「テクスト」

(ここからいつものスタイルになるのだが、)Jonathan Larsonのこの営みと結びつけて、意味形成の実践としての「テクスト text」概念を紹介したい。ロラン・バルトの言葉を借りよう。

テクストとはひとつの生産性である。このことが意味するのは、テクストがある労働(語りのテクニックや文体の統御のために必要とされたような)の生産物だということではなく、ある生産の舞台そのものだということであり、そこではテクストの生産者とその読者がひとつに結ばれるのだ。

ロラン・バルト(1973)「テクスト(の理論)」
(吉村和明訳(2017)『ロラン・バルト著作集8 断章としての身体』p.245、太字は原著傍点)

上記引用の通り、「作品」(=生産物)と「テクスト」は区別されなくてはならない。そして、注意深く理解すべきは最後の一文で、作者ではなく読者こそがテクストの生産者という視座だ。(バルトが主張した「作者の死」とはこのことを指す。)

そして、テクスト概念の生産性の所以を理解するには、「間テクスト性/テクスト相互関連性 Intertextuality」という「テクストの条件」の理解も合わせて必要になる。

テクストは言語を再編成する(テクストとはこうした再編成の場だ)。……すべてのテクストは間テクストである。テクストに、他のさまざまなテクストが、いろいろなレベルで、多かれ少なかれ識別可能な形で存在している。それらは先行する文化のテクストやまわりをとりまく文化のテクストである。すべてのテクストは、かつてなされた引用の新しい織物なのだ。……認識論的観点からすれば、間テクストの概念はテクスト理論に社会性の厚みをもたらす。以前のそして同時代の言語活動のすべてがテクストまでやってくる。だがそうした言語活動は、突き止めることができる系譜、意図的な模倣という道筋ではなく、散種という道筋をたどってテクストまでやってくる──そしてこの散種のイメージは、テクストに、たんなる再生産ではない、生産性というステータスを保証するのだ。

(前掲書、p.249、太字は原著傍点)

つまり、テクストは突然に真空(あるいは天才としての芸術家)から生まれるようなものではない。それは、時代を越えて引用が織りなされ、「社会性の厚み」(=歴史)を持ちつつも、いまここで生産される織物(texture)として捉えるべきものである。
『tick, tick…BOOM!』を創作したJonathan Larsonは、作者というよりも、まさにテクストの生産者の一人として、引用され続けるうつくしい織物を残してくれた。

そして、「ゆる言語学ラジオ」や『tick, tick…BOOM!』を引用したこのnoteも、厳密な意味でのテクストにほかならない。


このnoteは、1990年生まれの私が35歳を迎えた日に書いている。Jonathan Larsonは、36歳の誕生日を迎える10日前に亡くなってしまった。私にとっての30/90は過ぎてしまったが、彼のように何かを残せるよう、この一年を必死に生きたく思う。

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