2005年当時の香港モバイル環境
1980年代に学生の頃、ワープロのキーパンチャー(&テープ起こし)のアルバイトをしていた。
当時の現場には腱鞘炎になる人が続出。が、マジでそういう仕事であった。ちなみに肩凝りというものを認知したのもその頃で、肩凝りが高じてバイト先のお手洗いで嘔吐したこともある。
元々は母が在宅でその仕事をしていたのがきっかけだったので、当時からプロ用のOASYSマシンが自宅にあったが、自分用にOASYS LITEというポータブルワープロも購入し、大学に持ち込んでノート取りに使おうとしたが、バシャバシャと力強く鳴る打鍵音に、横に座っていた男子学生(友達だけど)に「それうるさい、やめろ」と言われて断念(汗)。卒論はもちろんOASISワープロで作成して印字したものを綴じて提出したけれど、今考えてみると、その大学で活字で卒論を出した初めての学生だったかも。
その後、Macintosh IIsiをはじめ複数のMacintoshや、女性用バッグにも入るサイズのOASYS Pocketという携帯ワープロ(パソコン通信機能付き)、SonyのVaio、NeXTを載せたPCなど色々なマシンを使ってきた。
仕事でJunetというネットを使っていたのが1990年代初頭、自分自身が自宅からインターネットに接続したのが1995年という、初代の(ネットではない)デジタルネイティブ世代だと自分では思っている。
2002年に豪州に引っ越し、2003年にTAFEという専門学校でのレポートはMac上で作成して印刷して提出、2004年の大学院では、すでにシラバスも資料もネットからダウンロードする、世界中の論文も大学のアカウント経由でネットでダウンロードできる状態だった。そしてレポートのオンライン提出が可能な科目もあった。教授によっては印字したレポートを教授室のボックスに入れるスタイルも残っていたけれど。
この2004年に、大学の友人の招待を受けてGMAILのアカウントを使い始め、その後、カナメや子供たちも招待したので、我が家の子達はGMAILネイティブ世代とも言える。
そして2005年よりなぜか成り行きでIT関係の翻訳者としての仕事をするようになったわけだが、4人の子供のママとしては子供関係の用事も多く、その度にラップトップと通信機器を駆使して、いつでもどこでも、なりふり構わず仕事をしていた。
その時のカフェワークの実態について、書いておこうと思う。
カフェに到着すると、おもむろにラップトップに、Vodafone Mobile Connect Cardというものを差し込み、ネットに接続し、必要なメールをチェックして、添付ファイルをダウンロードして、メールの返信を返す、そしてすぐに接続を切る、ということをやっていた。当時は従量制課金だったので、クレジットカードでアカウントに事前チャージするスタイルだったと思う。
TRADOSやSDLX(この2つは、当時別プロダクトだった)という翻訳ソフトを使っていたのだが、スタンドアロンで使えたし、当時のファイルサイズはそれほど大きくはなかったので、データのやり取りも、このレベルのモデムでも問題はなかった。
これ以上に大切なものは、Blackberryだった。
当時、香港にいるホワイトワーカーは全員が持っていたんじゃないかと思うほど、ビジネスマンにとっては必須アイテム化していたBlackberry。私の様なフリーランサーにとっても命綱であった。
この小さなデバイス1個で、メールを常に受信して、すぐに返信できるその環境が担保されるわけだ。うちには香港では一般的だったヘルパーさんがいなかったので、子供関係の用事についても自分が動くしかなく、ドタバタとあっちこっちに出かけていき、その先でラップトップを広げるということを続けていた。
翻訳ファイルを納品すると、ほどなく翻訳会社から次のオファーが入る。単語数と納期、簡単な内容の書かれた英文メールがBlackberryに届く。街中で立ち止まり、とりあえずOKの返信をすると、即座にファイルが届く。
そこから最も近いカフェに駆け込み、前述のカードを差し込み、ファイルをダウンロードして接続を切り、作業に取り掛かる。
そしてスマホとポケットWiFiの時代に突入。
私自身が初めてスマホを手にしたのが、iPhone 4sだったので、それまではどうしていたのかというと、ずっとポケットWiFiを持ち続けていたのだ。仕事のニーズとして、BlackberryとポケットWiFiがあれば必要十二分だったわけだ。
ちなみにタイムゾーンも違うクライアント企業から電話がかかってくることはほぼない。すべてメールで、それを今で言うSlackのメッセージのようにポンポンと送受しまくっていた。その時のクセで、自宅を出る時にラップトップとポケットWiFiを忘れることはないが、スマホだけはいつも家に置き去りにしてしまっていた(汗)。
ところで、実際に自宅外で仕事をする際に、常にカフェに陣取れるかというとそうでもない。必要があれば、いつでもどこでも瞬時に仕事モードに没入せねばならないという環境であれば、人間、意外となんでもできる。
救急車で運び込まれた子供の手術室前のベンチで仕事したことあるし、
亡くなる二日前の父の入院先の病室で仕事したこともあるし、
子供の武道の習い事の畳の上でも、
子供の学校のカフェテリアでも、
時には炎天下の校庭でも(画面がマジで見えない)、
駐車場に停めた自分の車の後部座席で仕事をしたことも多々ある。
まさに髪振り乱して仕事してきたわけだが、過ぎてしまえば大した苦労でもなかったなと思うわけで。楽しかったことしか覚えてないというのは不思議なものよね。
インターネット老人会的話題はここまでにしよう(汗)。
さて、ネットに繋げるのに苦労したあの時代の私に、今の状況を伝えたらどう思うかと考えたら、大して驚かないと思う。だって誰もが想像しうる未来だったし、津々浦々までネットが届くというのは、万人の希望でもあったわけで。
音声や動画がオンデマンドになることも想像できたけど(ハードとしてのテレビやラジオはすでに存在していたので)、意外と想像できなかったのが「ブラウザと検索エンジン」というテクノロジーの方。
NetscapeもGoogleも、それはそれは偉大に思えたものよ。今でも偉大だけどさ。
大規模言語モデルベースのChatGPTや同等製品のお陰で、デジタル界隈で桁違いのレベルアップを目撃することになっているけれど、これが各種ハードウェア(ロボット含む)に搭載されて、多方面に活躍するとなると、それぞれの分野の外れ値に細々と対応する人間が必要になるのだろうなぁと漫然と思うのである。
セルフリノベをやってみて思ったのは、ロボットは、新しい建物を建てることは得意でも、既存の建物の内装リノベは苦手かもしれないなということ。古い建物のリノベは、現場ごとに状況も課題も違いすぎる。それをロボットに丸投げできるようになるまで、まだもう少しかかりそうである。それまでは、ロボットが不得意な部分を人間が補うような未来が見えるようだったわ。
最後に本のご紹介。kindle unlimitedで読めるよ!
私は2016年に購入して読んだけど、飲んでいたコーヒーのカップを落とすほど(コーヒー持っていることを忘れてw)に衝撃を受けたわよん。
韓国の書店で翻訳本も出ていて、それがビジネス書の一等地エリアに平積みされていて、びっくりしたわ。