趣味はピアノを弾くことなんだ
と彼は言った。
私「わああああ、ステキステキ!ピアノいいよね!」
そばにいたママ友も同じようにノリノリで話の続きを聞こうと身を乗り出した。
彼「今年から、少しずつなんだけど、ピアノの練習をするようになったんだ。それが自分でも驚くんだけど、すっごく楽しいんだ。」
彼の両手の指が、エアピアノを奏でた。
ママ友「いいなぁ。私もなんかやろうかな。サックスとか。」
いい話だ。とってもいい話。
オーストラリアにいた時の話だ。
彼とは、長女セリのクラスメートの女の子のパパである。小説を書いていて、ママとは別居中。私はそのパパのお家にも娘さんを送り届けたことがあるし、もちろんその奥さんのママ友のところ、なんなら彼女のお祖母ちゃん宅にもお邪魔したことがある。
そのパパが、最近ピアノを弾きたいと思って練習を始めて、それがとても楽しくて、その喜びを私たちにシェアしてくれた。横で聞いていたママ友も、なにか楽器をやろうかなと言い出して、私は彼らのニコニコの雰囲気が楽しくて、なんとなく良い日だったなと思った。帰りの道のりを上機嫌でドライブしたのを覚えている。
そこで、ちょっと思い出したことがある。
まだ長女が日本の幼稚園に通っていた頃の話だ。私を含めた複数人のママ友で立ち話をしていた時のことだった。
「ちょっと聞いた?○○さんが、ピアノが趣味だって言うから聞いてみたの。青帯かと思ったら全然そんなことなくて。私だったら恥ずかしくて、ピアノが趣味なんて言えない。」
青帯って知ってる?
全音出版の出す楽譜には、当時、一般の書籍の帯のような色付きの帯がついていた。
初級1,2課程:赤帯
中級3,4課程:黄帯
上級5,6課程:青帯
つまり、彼女のセリフを要約すると、「上級レベルにある人のみが、趣味はピアノだと自称できる」ということだ。
おかしいよね。スキルのレベルの話じゃなくて、趣味の話なのだ。でも、こういう話は日本では頻繁に耳にする。
趣味というものは、ある一定のレベルを超えないと自称してはいけないという暗黙のルールがあるのかな、と思うほど。
そしてある対象の人物や物事について「ファンです」と言った時には、ある一定の期間、たとえば多くの人に認知されない時期からずっとファンであった人のみに市民権が与えられていて、それ以外のひとは「にわか」といって嘲笑される。
正直に言うよ。そうやって相手のレベルを値踏みするのは、単なるイジワルで、性格が悪いよ。自分が優秀であることを言いたいなら、もっとストレートに言えばいい。自慢するのは全然いい。受賞経験を語りたいなら存分に語っていい。それは間違いなく本人の偉業であり、誇っていい事実だ。
でも、それを言いたいがために、他人を落とすのは正しくない。絶対に。
値踏みされると思えば、年をとって何かを始める時にメンタルブロックが発動されたりする。趣味にレベルなんて必要ないし、自分が望む方向を目指している時に、外野に色々言われたくはないがな。
趣味の世界にまで、他人との比較を持ち込まれたらしんどいわー。
ということで、どんどん新しいことを始めてみよう。上級者は横槍入れたらダメよ。