【シニアdeゲーム】ゲームせよシニア。人生は意外と長い
今年56歳になる私。年齢だけで言えば初老だし、まぁざっくりとシニアと言ってもいいかと。
この年齢になってくると、色々とあちこちにガタが出てくる。人体だって経年劣化するのであーる。
顕著なのは認知能力で、老眼が進んだり、会話が聞き取りにくくなったりもする。確実に知っているはずの芸能人の名前がふと出てこなかったり、話をしていて適切な単語がすぐに出てこないなんてことが増えてくる。
身体能力の方は、かなり個人差が大きそうだが、やはり歳をとってくると程度の差はあれ衰えてくる。人によっては、なんてことない段差でつまづいたりもするし、その際に怪我をしたり、ましてや骨折などしようもんなら、その治りはきっと遅いことだろう。
気力や意欲が減退したという人の話もよく聞く。人生の折り返し地点と認識した時(40歳位)から既に長い年月が経っているしから、これから新しいことをする意欲が湧かなくなってくるのも無理はない。今までに培ったスキルや能力だけで、日々の生活を回そうと思えばとりあえず回せるからね。
年齢を経て辛いのは、これらの全てに関わる脳の働きが落ちてくることだ。記憶力が悪くなり、物忘れがひどくなる。それ以上に「新たな記憶の定着」「新たな技術の獲得」は、無理ゲーの域に達する。気力があろうとなかろうと、ダメなものはダメというラインを不可逆的モードで超えていくのだ。高齢者というものは!!!
ところが。
たとえば、自転車に乗るスキルは、子供の頃に獲得した技術で、その動きが身体にしみついているから、意外と高齢になろうとも身体が動く限りは問題なくこげたりする。瞬間的な判断能力は落ちるので事故を起こすことはあっても、「バランスをとりつつ自転車をこいで前に進む」というスキルは意外と失われない。
新しい曲の歌詞を覚えることは無理だけれど、小学校の校歌を覚えていて歌えるご老人もいらっしゃる。
そう。
今まで出来ていたことは、それなりにできるけれども、新しく覚えることは難しい、という状況を、高齢者は誰もが経験する。
高齢者は新しい技術の獲得が難しいということだ。
だから大事なのだ。
若いうちにゲーム機になじんでおくことは、老後の人生を送るにあたって、とてもとても大事な事なのだよ!!
うちの子供たちは、このコロナ禍でもメンタル病まずに毎日ゴキゲンに過ごせている。それは、彼らがゲーマーだからである。
高齢になってくると、時々あちこちで不適切な言動で周囲を不愉快にさせたりする人が出現する。仕事をしている時なら、外で悪態つくよりも、早く家に帰って寝たいと思うような人たちも、リタイア後の人生は、あきるほどに時間があり、その時間を持て余してしまう人もいるだろう。よほどの資産家か、たっぷりの年金を受け取れる人でなければ、使えるお金には限度がある。
自由にお金は使えないが、時間はたっぷりある。足腰弱ってきている。でもイヤミの1つや2つを言うことくらいはできてしまう。
高齢者に対して「世の中に貢献して」とは思わないけれど、「若い人に害を与える高齢者にはなっちゃだめだよ」とは言いたいのである。
自分の機嫌くらい、自分でなんとかして、せめて周囲に寛大なシニアでなくちゃ、である。
自宅でゲームして楽しんだり、ネットワーク経由での対戦仲間がいたりすれば、老後の人生は意外と楽しめるかもしれない。孤独でなくなるかもしれない。
たとえ結婚していても、カップルの半数は、相方に先立たれて一人残される可能性があるのだ。その時に周囲に迷惑かけるような高齢者になっちゃいけないのよ。若い人に迷惑かけないように、がんばんなきゃ、なのよ!
延々とパズルを解くことは、小さな達成感を感じさせてくれるものだ。その達成感の積み重ねは、自己肯定感にもつながる。老化防止にもなるし、意欲の減退も多少は食い止められるかもしれない。
でも、70歳になって初めてゲームをやろうとしても、それはもう無理なのだ。もちろんすべての人がそうではないかもしれない。貴方の知人の高齢者の方が一人できるようになったからといって、他の高齢者がすべてできるわけではない。
「近所の〇〇さんなんか、一回お孫さんに教えてもらっただけですぐにできるようになったよ。だからおばあちゃんもがんばって」と言われて、できるようになるわけない。
「隣のヨシ子ちゃんがT大に合格したんだって。だからあなたにもできるはず。がんばって」とママに言われたとしたら、貴方は素直にがんばれるだろうか。
だからそんな言葉で高齢者を動かそうとしても無理無理。
言いたいことは一つ。
今もしゲーム機に触ったことがない40代、50代の方がいたら、善は急げだ。今すぐに触ろう。今ならまだ新しい技術をギリギリ習得できる年齢だ。
60歳を超えると厳しくなってくるからね。そもそも意欲がなくなってきちゃう。
ゲーム機の扱いに慣れていたら、それはある程度完成された技術として、体が覚えてくれる。新しいゲーム機がどんどん出てきて、それについての習得は難しいかもしれないが、過去のゲーム機であっても、故障しなければずっと使える。もしかするとコントローラーの扱いに慣れていれば、他のゲーム機にも応用できるほどのスキルを獲得できるかもしれない。それがあるのとないのとでは、老後の生活は違うだろう、と私は思ったのである。
ゲームリテラシーは、老後に一人でも日々嬉々として生きるための鍵になるかもしれない。
ところで、冒頭の写真にある通り、任天堂は私のゲーム機へのアクセスデータを保有している。毎日毎日熱心にアクセスしていた私が、ある日を境に全くアクセスしなくなったとして、その情報を任天堂は認知し得る。つまり、一人暮らしの高齢者のアクシデントを、ゲームデータを保有する企業が気づいてあげられるのかもしれない。
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