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資本主義の「次」の未来とは?『ポスト資本主義-科学・人間・社会の未来』広井良典

本Noteではこれまで、個人の心理構造に焦点を当てた記事を多く紹介してきましたが、今回はその総体であり、現在の共同体を支配する思想である資本主義について再考する一冊をご紹介します。

広井良典氏の『ポスト資本主義-科学・人間・社会の未来』は、資本主義の限界と未来の社会像を多観的に探求した作品です。本書は、現代社会が抱えるさまざまな課題に対して、多面的な視点から新しい社会の可能性を考察しており、その洞察を通じて、皆さんの日々の生き方へも変化をもたらしてくれると思います。

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どんな人におすすめ?

  • 自然や環境問題に漠然とした関心を持っている方

  • 人類史から未来を想像したい方

  • 資本主義に疲れた方

  • 現代の格差や地域の過疎化などに懸念を感じる方

  • 自分の子孫にどんな世界を遺したいか考えている方

著者紹介と背景情報

広井良典氏は、現在は京都大学こころの未来研究センター教授であり、公共政策や科学哲学を中心に幅広い分野で活動する研究者です。
特に「定常型社会」の提唱者として知られ、経済成長を追求するだけではなく、人々が幸福に生きるための社会のあり方を考えています。本書では、資本主義を人類史の中で位置付け、科学、情報、生命、福祉社会など多形に渡る分野や先人の知恵を横断しながら、未来へのシナリオを提示しています。特に、社会が持続可能であるために必要な変革を具体的に論じており、資本主義の限界を乗り越えるための方策を探っています。

本書目次

はじめに──「ポスト・ヒューマン」と電脳資本主義
序章 人類史における拡大・成長と定常化──ポスト資本主義をめぐる座標軸
第Ⅰ部 資本主義の進化
 第1章 資本主義の意味
 第2章 科学と資本主義
 第3章 電脳資本主義と超(スーパー)資本主義vsポスト資本主義
第Ⅱ部 科学・情報・生命
 第4章 社会的関係性
 第5章 自然の内発性
第Ⅲ部 緑の福祉国家/持続可能な福祉社会
 第6章 資本主義の現在
 第7章 資本主義の社会化またはソーシャルな資本主義
 第8章 コミュニティ経済
終章 地球倫理の可能性──ポスト資本主義における科学と価値
参考文献
あとがき

本書のまとめ

1.資本主義は人類の歴史における第三段階である

広井氏は、冒頭で生態学者のディーヴェイや経済学者のデロングの推計をもとに、人類がこれまで三段階で拡大・成長してきたと解説します。

以下がそのグラフ(左が世界人口、右がGDP、横軸は対数軸の時間)です。
① 20年前のホモ・サピエンス誕生からの狩猟採集時代、②約1万年前の農耕革命、③ここ数百年の産業革命による工業化・情報化時代(with 資本主義)、という3サイクルと読むことができます。

Estimating World GDP, One Million B.C. - Present J. Bradford DeLongをもとに筆者加工

そしてこの各段階を、「人間による”自然の搾取”の度合い」の変化として説明します。
第一段階は、狩猟採集による自然物の搾取(ある種の生命連鎖に従った生き方)であったのに対し、第二段階は、現代で言う太陽光パネルのように、農作物を埋めて太陽エネルギーを吸わせて栄養分を作り、それを収穫する形態、そして言わずもがな第三段階は、石油・石炭をはじめ数億年単位で地球に蓄積されてきたエネルギーを搾取している、というものです。

これと併せて広井氏の掲げる興味深い説は、それぞれの拡大・成長サイクルが落ち着いてくると、定常化のサイクルにおいて、精神的な充足や文化的価値への関心が高まる傾向が見られるという点です。

具体的には、「心のビッグバン」「文化のビッグバン」と呼ばれ芸術作品が生まれた約5万年前というのは①の終期にあたりますし、「精神革命」とも呼ばれる仏教や儒教、ギリシャ哲学、旧約思想が生まれた生まれた紀元前5世紀ころというのも②の終期にあたります。
そしてこれらの各思想は、「欲望の内的規制」という意味で共通しており、農耕文明の例では森林枯渇等による資源・環境制約と相まって生じたものと考えると理解しやすいです。

これを私的に発達理論で解釈すると、人間の個においても、人は生まれ、社会に最適化するフェーズ(~他者依存段階)を「外向の段階」、そこから自己実現に向かっていく4・5段階目を「内向の段階」と言いますが、上記の文化のビッグバンや精神革命は、まさに社会自体が内向の段階に至った、とも整理でき、人間と社会のフラクタル構造を実感させます。

現代社会においても、ここ十年ほどでいわゆるSDGsや幸福・ウェルビーイング、その指標としてのGNH(Gross National Happiness)など、精神世界に目が向いてきていることも、必然なのかもしれません。


2.資本主義が内在する限界は近い

続いて、広井氏は資本主義を定義したうえで、それがどう変化してきているかやその問題点について触れます。
広井氏は、ウォーラーステインの考えを踏襲し資本主義を市場経済と区別し、市場経済は物々交換の貨幣による延長であり本書の批判の対象にしない一方、資本主義を「独占による大きな利潤をめざす弱肉強食」 「際限ない拡大・成長を志向するシステム」であると整理し、この後の主張に続けていきます。

このように資本主義は「拡大・成長」を志向するシステムとして発展してきました。しかし、現代の資本主義は、その持続可能性に重大な疑問を投げかける複数の問題に直面しています。富の偏在による格差、環境・資源の限界、そして経済成長が必ずしも人々の幸福や精神的充足をもたらさないという現実が、資本主義の限界を浮き彫りにしています。

特に筆者(もりや)が今後より重要になってくるであろうと感じた点は、資本主義はそのシステム上拡大・成長を前提としており、これまで空間的(グローバル展開)・時間的(情報革命)にその領域を拡大してきましたが、既に多くの先進国で人口はピークを迎えており、世界人口においても2100年には定常状態に入ると予測されている点です。

資本主義は「需要の拡大」を前提に運用されてきており、需要が低減した際にはケインズ主義的な国家支出によって強制的に需要を作って乗り切ってきたわけですが、その前提自体がこれからは崩れていく、特に日本は既に崩壊している、ということです。
需要が減る→価格を下げる→価格を下げるために労働生産性をあげる→失業が増える、というループは、今後より一層深刻になっていくでしょう。実際欧州では、「時間政策」として国民1人あたりの労働時間の制限をしたり、今後より希少な資源となる自然資源への課税にシフトしているようです。


3.未来の社会像:超資本主義と緑の福祉国家

さて、ここまで資本主義をある意味悲観的に書いてきましたが、ここからは広井氏が今後の可能性について触れている部分についてです。

まず、広井氏は未来の社会像のオプションとして、「超資本主義」と「緑の福祉国家」の二つのモデルを挙げ、「緑の福祉国家」こそが私たちが実現していくべき道と説きます。

「超資本主義」とは、前項のような現在の資本主義の停滞のブレークスルーを起こす方向性であり、広井氏は具体的には、①人口光合成(人間自身が光合成することでのエネルギー資源問題の解決)、②宇宙開発/地球脱出(空間的拡大)、③ポスト・ヒューマン(人間そのものの改変)、といったものを可能性として挙げます。

対して「緑の福祉国家」は、持続可能な福祉社会を目指し、現代の資本主義から、① 「時間政策」による生産性概念から転換し過剰を抑制、② 再分配を強化(老年でなく人生前半における教育機会の均等などの社会保障と土地や資産などのストック性の富の再分配)、③ コミュニティ経済化(ローカルの自然やコミュニティに依拠した市場経済) の3点を掲げます。

「緑の福祉国家」では、人々は地域における再生可能な自然エネルギーなどを利用し環境を大切にしながら食料などの物質的生産対人ケア(コミュニティにおけるサービス産業)を中心に少時間働き余暇でコミュニティや自然に時間を消費することに価値を見出すような社会と言えるでしょう。ドイツのような環境と、北欧のような社会保障が組み合わさったイメージと言えるかもしれません。


本書から得られる気づき

1.需給バランスの大崩壊が始まる

昨今、生成AIなどの技術進歩により、生産能力/生産性はさらに加速してきています。一方、先進国を中心に人口は減少傾向にあり、2100年には地球規模での横這い化が予測されています。
こうしたマクロトレンドの中でも、資本主義は「r(資本収益率)」 を旗印に無限の成長を企図し続けています

少し話はそれますが、筆者(もりや)は、スタートアップを資本主義にイノベーションを押し付けられた存在として 「ジャンク債」 と呼ぶことがあります(ちなみに悪い意味ではありません)。

スタートアップというのは、「ベンチャーキャピタルからお金を調達して早く成長する企業」、というのが一般的な見方かと思いますが、これを逆側の資本家側から見ると、「通常の大企業でもう投資先がないから、新しいアセットクラス(投資領域)を創ろう」とした結果、「成功確率は低いけど超伸びる企業がいれば回収できる」という「貸し倒れがたくさんある高利貸し(ヤミ金?)」みたいなものとも言えるのです。

そうなると、スタートアップというのは、「他社がつぶれてもいいくらい圧倒的なスピードで成長しないと投資家にリターンを返せない生き物」というのがその生まれから宿命づけられており、社会に色々なひずみを生んでいると感じます。数年前に時代の寵児となったスタートアップが苦しむ昨今の状況からも、そうした感を強く受けます。

このように、スタートアップという事業モデル自体、資本主義が生み出したある種の 「時間的拡大」 の限界の現れの一つと捉えると、資本主義による成長というのは限界が近づいている、とも言えるのかもしれません(未来は分かりませんが)。

私はこうした課題認識もあり、資本主義と併存するオルタナティブとしての社会・コミュニティ・組織のあり方を模索し始めているのですが、広井氏の「緑の福祉国家」は、その一つの確かな方向性であると感じています。

先日私も20年後の未来を妄想する機会があったのですが、そこでは情報レイヤーは現在で言うGoogleやChatGPTなどがグローバルでドミナントである一方、日本人はローカルで食料生産やサービス業で支えあって生き、その中で1ドル500円(適当です)の為替で40万円(800ドル)する海外製のスマートデバイスと月額1万円(20ドル)となったLLM(大規模言語モデル)を使って働いている未来を想像しました。

別にそれが不幸せな生活だとは思いませんが、少なくともそうした未来に備え自分や自分たち(地域・日本・世界)の在り方を考えていくことは、2024年を生きる私たちには非常に重要なことのように思えます

2.1,000年後の未来に対する責任

1,000年後というと、皆さんはどのような印象を受けますか?
自分には関係ない遥か未来のように感じる方も多いのではないでしょうか。

ただ、本書の終章で広井氏は、『神社は警告する』の著者である熊谷航氏の以下の言葉を挙げます。

「千年前からある地域の神社に思いを騒せ、さらに千年後の地域社会に何を伝えられるのかについて考えることは、地域づくりの根幹だと思う」

確かに千年前の平安時代の人々の暮らしを想像することは難しいですが、今そこにある千年前にできた神社や遺跡、著作などは、確かに現代の私たちに語り掛け続けています

つまり、現代における我々が遺す世界やモノは、千年後にも確実に引き継がれる、というのは、非常にハッとさせられる事実です。

皆さんは、「炭鉱のカナリア」をご存じでしょうか。
カナリアは人間より有毒ガスに敏感なため、炭鉱労働者が地下に降りるとき、行列の先頭にカナリアのカゴを持って入り、カナリアの歌声が止まったり、力を失って死んだりすると、炭鉱内に有毒ガスが多いと判断し、炭鉱員を危険地域から逃げさせる役割を持たせていた、という話に由来します。

人間社会においても、カナリアのような人は存在します(必ずしも先に死ぬという意味ではなく)。
現在の社会システムの中で、それに適応できない人がカナリアだとすれば、社会システムが限界に近づくとき、カナリアは鳴きだします。

未来はその時の権力者や偉人数人、あるいは特定の出来事が変えるものでなく、我々一人ひとりがカナリアのように社会に生きる中でその違和感(内的自己の訴え)を声に出すことで、それが大きなうねりとなって未来を創るのだと私は考えています。
(より詳細に言うと、「自分の考えはこうで自分は正しいからこうするべき」というのではなく、人の数だけ世界の形があり、その共通部分が一定規模になったときに「共同幻想」としての新たなコミュニティや社会システムが生まれる、というイメージです)

逆に言えば、我々一人ひとりが、自分たちの現在生きる社会がどういう前提のうえで成り立ち、何を犠牲にして何を求めているのかを自覚的に生きることが、より早く、より善い社会へ繋がると思うのです。

そうした意味でも、本書は、資本主義だけでなく人類の未来を考える上で、私たちに深い洞察と行動を促してくれるのではないでしょうか。

おしまい。まじめに語りすぎました。

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私の気づきが、少しでも皆さんの幸福に繋がれば幸いです。

これまでのキャリア経験(大企業・戦略コンサル・スタートアップ)を通じた示唆や、性格理論・成人発達理論・自己実現・自己超越などの知見をもとに、キャリア・ライフコーチングを行っています。
人生・人間関係・キャリア・成長・成熟など、お悩みの際はいつでもご相談ください!ご相談はこちらから。
https://note.com/wellbeinglibrary/n/na756d1a160db

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