クリスマス礼拝

クリスマス礼拝。中高で、私が好きな行事の1つ。色々なクリスマスの賛美歌を歌って、ハンドベルや聖歌隊の奉仕を聴く。年に一度の特別な時間。この礼拝に向けて、クリスマスの賛美歌を練習していく。ただでさえ歌は上手なのに、磨きがかかっていく。正直、説教を聞くのはだるかった。だけど、それ以上に、歌える楽しさがあった。

しかし。高2のとき、この礼拝でパニックになった。人知れず、耐えていたけども。うまく息が吸えない。呼吸が苦しくて、意識しないと呼吸ができない。あれ、呼吸ってどうやってするんだっけ。心臓がバクバクする。自分が自分じゃなくなっていく感覚。怖かった。
それよりも前、11月頃かな。コロナでできていなかった講堂での礼拝が、分散ながらも再開した。再開一発目の礼拝、私は泣いた。わからないけど、泣いた。多分、怖い、とかそっちの感情。音が怖かった。耳を塞ぎたいけど、塞ぐのは失礼かな、とか考えて、塞げなかった記憶がある。

高3のクリスマス礼拝。これは、かなり不安があって、SCさんと話して、事前に担任に座席の配慮をしてもらうことにした。コロナで指定席で、たまたま端の席だったから、座席はそのままにした。やばかったら抜ける、とも話していた。
いざ、礼拝が始まった。その日は、朝から調子良くなかったのに、高2を思い出しての不安で、さらに調子悪くなっていたと思う。座席に着いて、前奏が流れ、礼拝が進んでいく。やばい、結構まずいぞ、これは抜けるの不可避だ、とかなり序盤で思った。式を楽しむことなんてできず、いつ抜けよう、どうしよう、と考えていた。耐えに耐えて、ついに聖書朗読と説教。これも、5分は耐えた。内容なんて聴いていない。どうしよう、また息苦しい、意識しないと呼吸できない、心臓バクバクだ、自分が離れていきそうだ。抜けたいけど動けない、通路挟んだ左後ろに座ってる担任、気付いてくれないかな、だめだ、寝てる、どうしよう。これと5〜10分格闘して、覚悟が決まり、講堂を出た。担任は気付いていない。ドア前に座っていた副担と目があった。
講堂は脱出できた。よかった、廊下は音がしない。一安心。落ち着くまで、ここにいよう、合唱のときに戻れたらいいな。そう思っていた。だけど、落ち着くことはなかった。講堂の外の廊下で、一人膝を抱えて座り込んでいた。なんで、なんで落ち着かないの。どれぐらい経っただろうか。たまたま、元数学担が通りかかった。どうした?立てる?寒くない?先生呼んでこようか?。私は、立って、大丈夫、と言った。何も大丈夫じゃないのに。オルガンの音が聞こえてくる。あぁ、説教終わったんだな。歌いたいけど、今の状態で戻るのも、しんどいや。元数学担が、保健室行く?と聞いてくれて、私は頷いた。元数学担は事情は知らない。お腹痛いの?と聞かれ、私は、講堂にいるのしんどくなっちゃって、と答えた。それ以上は何も聞かれなかった。
保健室に着いた。まだ苦しいままだ。コンコン、講堂の前で丸まってました、と養教に伝えられた。養教は、礼拝中?と聞いて、私が頷くと、いつもの個室に通した。少し、冷たかった。
個室のソファーに座って、上履き脱いで丸まって、深呼吸してた。なのに、苦しいのは治まらない。安心基地に来たはずなのに。あぁ、歌いたかった、悔しい、苦しい、最後だったのに。そんな思いがぐるぐるぐるぐる。そして時折、どうして治まらないの?と考える。
養教が個室を覗きに来た。礼拝、終わったよ、と。あぁ、終わってしまった。歌えずに終わってしまった。悔しい、悔しい悔しい。どうしてこうなってしまったんだろう。息苦しいの治まらない。どうして。先生、助けて。この気持ちは届かないけど。私は、動けずにいた。
もう一度、養教が覗きに来た。終わったよ、戻って、と。私は、小さな抵抗で首を振った。だめ、戻って。まだ落ち着かなくて、息苦しいままだった。渋々靴を履き、立った。あぁ、まだ苦しい。どうしてだろう。
その後の記憶は、あまりない。教室戻ったら、机の上に聖書と賛美歌が置いてあって、誰かが持ってきてくれたんだ。友達には、何事も無かったかのように振る舞う。何も言及されなかったし。
終礼後、多分、皆でご飯を食べに行った。

今でも、あの時、ああしていれば、とか、考えることがある。過去を振り返っても何にもならないけど。もっと早く抜けられていたら、落ち着けたのかな、とか、養教に話を聞いてほしい、と言えていたら違ったのかな、とか。
過去に振り向いて、ある意味後悔して。
もう二度と戻れないからこそ、この選択は間違っていなかった、とも思いつつも、後悔し続けるのかな。

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