図書館の思い出(自己紹介も兼ねて)
私はこの春、新卒から13年間勤めた会社を退職し地元に戻ってきました。
(これについてはいずれ詳しく書くかもしれないし、書かないかもしれません)
実家に身を寄せながらゆるく転職活動していますが、基本的には毎日ぼーっと過ごしています。
数字を間違えられないプレッシャー、上司にムリ案件を押し通さなければいけないプレッシャー、風邪を引けないプレッシャー…そんなものから開放されて、例え眠れない夜があったとしても、「朝まで起きてりゃいいじゃん」と開き直れる日が来たことにホッとしています。
娯楽のない街で
私が高校卒業まで育った街は、人口3万人にも満たない北陸の小さな市。
ですが観光地として一応全国に名を馳せており、教科書にも載っているので、名前を言えばたいていの人は「あー!あの!」と言ってくれたり、時には「行ったことあるよ!」なんて嬉しいお言葉をいただいたりすることもあります。
だけどとにかく、子どもにとって「娯楽がない」街でした。
小学生の頃はかろうじて本屋もCDショップも歩いて行ける範囲に何軒かありましたが、中学に上がる頃には音楽・出版業界の衰退とリンクするようにそれらもなくなり、でもネット通販なんてものはまだまだ一般的でもなく、私にとってはひどくつまらないものでした。
(ちなみにもちろん映画館なんてものはなく、地元の文化ホールへ半年に一回ほどアニメ映画が巡業にやってくる程度)
そんな私の好奇心を満たしたのが、テレビ、新聞、教科書(新学年が始まる前に舐め回すほど読んでました)、そして図書館でした。
小説、紀行文、漫画、スポーツ新聞全紙(笑)…生粋の「知りたがり」だったので何時間でもいられました。
見返しのポケット
図書館に通うようになったのは1990年代の半ば頃だったでしょうか。蔵書の貸出しは、現在のようにまだバーコード管理されていませんでした。
当時の名残で、見返し(裏表紙からめくってすぐのところ)に紙製のポケットが貼り付けられた本が今も数多く残されています。
本を借りるときは、恐らくそのポケットに差し込まれているカードを司書さんが抜き出し、貸出人ごとにつくる「個人カード」と一纏めにして管理していたような気がしますが、今となってはなんだかよく思い出せません。
思い出すのは、貸出カウンターで司書のおっちゃん・おばちゃんが、大量の個人カードを指で繰りながら私の名前を探していた場面です。
母のカードの直後に私のカードが置かれていたようで、私のカードを探すためなのか母の名前が小さく呟かれると、ちょっと照れくさくなったりしました。「あ、お母さんの名前だ」って。
見返しのポケットには、貸出日(返却日だったかも)がゴム印で押されており、ゴム印が少ない割に面白い本にあたると、ちょっとした優越感を抱いたりしたことも覚えています。
秘密の椅子
本棚には角ごとに椅子が据え置かれていて、開放的なソファー席よりも人目につかない椅子がお気に入りでした。ブラインドから差し込む陽の光がだんだんと傾いていくのを感じながら、何時間でも活字を追うことができた。
その「秘密の椅子」以外にも昔の図書館には死角となる場所が多く、ちょっと背伸びした本を読むときはこっそり死角に移動してドギマギしながら読み耽りました。誰も覗き込んだりしてくるはずないのに、ソワソワしてしまうのはなぜでしょうか。
話はそれますが、背伸びといえば「日本の犯罪史」的な分厚い本を借りようとして、司書のおっちゃんに「お母さんが読むの?」と心配されたこともあります。
優越感の消失と
さて、なぜわざわざこんな雑感をnoteにしたためたかと言えば、先日、改めて貸出カードを発行してもらおう(もちろん今はバーコード管理です)と申し出たところ、私のデータがまだ図書館には残っており、どうやら相当な古株であることが会話の端々から窺い知れたためです。
私が子ども~青春時代を過ごした後もその図書館の蔵書は増え続け、本は棚から溢れて置かれています。新品のように美しいものばかりで、本を読む人が減ったのかな、と勝手に寂しくなっていますが、もしかしたらマナーの良い人が多いだけなのかもしれません。
コロナ禍のため長時間の滞在ができなくなった図書館は、連日ガランとしています。
見返しのポケットがなくなった今では「私だけがその本の面白さを知っている」優越感を感じることもなく、死角を配してレイアウトされた明るいフロアでは、物陰に隠れてこっそりドギマギすることも間々ならなくなってしまいました。
…なんだかセンチメンタルな流れになってしまいましたが、唯一あの頃と変わらないものもありました。薄暗いトイレです。
節電のため蛍光灯が切られたその場所は、今でもひんやりとした空気が漂い、ちょっと気が抜けない雰囲気です。大人になった今でも何だか気味が悪くて、できれば近寄りたくない。
もしかしたら今の子どもたちも同じように思っているのでしょうか。だとしたら、同じ気持ちを共有できたようで、ちょっとだけ嬉しいな。なんてね。