みんな一ミリの差もなく完璧
神様(意識)は、完成されていた。完璧だった。
何も欠けていなかった。欠けようがなかった。
だから、体験してみたかった。いろんな感情を。
欠けている感覚を。満たされていない感覚を。とにかくいろんなことを体験してみたかった。味わってみたかった。
だから、完全だった一つの意識を分けて、分けて、分身を作った。不完全な場所をあえて作ってみた。一人では感情の幅が限定されてしまう。もっと多くの気持ちを味わえるように、色んな感性や特徴を持った「他者」というものをあえて作った。
そうやって、私たちはここにいる。
願い通り、私たちはいろーんな感情をこの世界で味わっている。
他者との数々のドラマを通して、悲しかったり、嬉しかったり、怒ったり、虚しかったり、穏やかだったり。私たちは色んな感情を持つことによって、『感情』というものを体験し、理解した。体験がなかったなら、怒りとはどんなものか?喜びとはどんなものか?知らないままだっただろう。
そして今、多くの者が【この世界で体を持ったまま目覚める】という体験をしにきているように見える。
自分が神そのものであるという気づきを体験するフェーズ。
みんなひとつであるということを思い出すフェーズ。
みんな自分であることが腑に落ちるとどうなるか?
みんな自分なんだって気づけば、争いが減っていく。差別が減っていく。
人を裁くという行為は、自分自身を裁いているのと同じということがわかる。
もし、知らない人にいきなり罵られたとして、どう反応するか?
罵ってきた相手が「他者(自分とは違う生き物)」だと認識していれば、「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだー!オラー!」って怒り返す、又は傷つく人が多いだろう。
では、その相手も自分だ、もしくは自分の分身だと認識していたら?
「あー、今日はなんか機嫌悪いね。なんかあったのかな?経験の最中だね」なんて達観しながら、にっこり笑って返す余裕ができる。
そう、全部自分だから、怒りも喜びも、相手に投げかけていると思いきや、全部自分に投げてるの。受け取った感情も、全部自分からもらっているもの。
自分というか、「エネルギー」と言った方がいいかな。
だから、投げたものを受け取るだけなの。
全部自分だって思ったらさ、ジャッジなんてできないよね。全てが愛おしさに変わっていく。目覚める魂が増えれば、世界は平和になるとはそういうことなんじゃないかと。
そんなことをぼーっと考えていた土曜日の朝でした( ´ ω ` )
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