「多様性・個性・違い」を歓迎し、共に楽しむ右脳さん。
BLACKさんが、紹介記事を書いてくださいました!!
左脳って多様性ではなくて
「 没個性・均一化 」が好き。
それは、情報処理をしやすくするための左脳の都合・好みなのかもしれませんが、ちょうど「アイヌの人たちの言語や文化が明治時代に消されてしまった」というようなお話を聞いて、そのことを思い出しました。
左脳って「把握・理解・管理・コントロール」したい衝動がある気がします。
多様性という複雑な状態よりも、単純な「没個性」みたいなほうが管理・コントロールしやすい。だから、そういう状態を好むのかもしれません。
一方で、、、
芸術やアートは 右脳域。
芸術やアート・表現の世界をみてみると
「多様性・個性・違い」を歓迎し、
喜び、共に楽しんでいます。
出る杭は打つ、、、というようなことはしません。
むしろ「出ている杭を歓迎」しています。
「出る杭は打つ」といようなことをしたいのは「状況を平均化したい=効率化させたい」左脳さんなのだとおもいます。
左脳さんは「理解できない・わからない」という状態を避けたいので嫌います。「わからない」というのは、左脳さんにとっては「コントロール・管理できない」ということだからです。
なので「わからない・理解できないものこと」を否定したりして「なかったこと」にしようとしたりします。
それが左脳さんにとっての快適化の手段
(平均化・均一化)なのだとおもいます。
このアドレナリンからの、さらにアドレナリンへと駆り立てられる、これが、
「左脳さんの暴走」
のことなのだろうなあ…… 左脳過剰によりリミッターが外れてしまっている状態・時代、、、ちょうど三脳研で、こんなコメントを呟かせてもらっていたばかりです。
この話ともつながってくる
BLACKさんの記事のこちら↓
これは「右脳優位時代」には
あたりまえのことだったのだろうとおもいます。
参考書籍:神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡/ジュリアン ジェインズ著
いまも動物たちは非言語によるコミュニケーションをフツーにやっていますが、それを「おなじ生き物・動物である人間」ができないほうが不思議。。。「自分・個・自我」が立ち上がったことによって、全体・ひとつから切り出されて、そのような機能が使えなくなってしまった(…だけ =左脳過剰時代なう )
たぶん、左脳過剰状態であるときと右脳優位な状態なときでは、この受信機が「つながっているもの」が違うんじゃないかなあ。
左脳は、動物たちがつながっている自然・いのち・全体性という叡智ではなくて「左脳がつくりだしたストーリー・概念・知識」とつながっています。
左脳過剰のときは「ストーリー:左脳が作り出している概念的なネーミングと意味づけの世界」が濃厚です。
けれど、右脳にはそのようなストーリーがありません。
このストーリーは「左脳内でのみ放映されているドラマ」だからです。ワンネスでないのは「左脳だけ」、、、というより、ワンネスであることに「気づいていない・認知してしない」のは左脳だけ。
けれど、「そういう機能」として左脳さんは働いていて、その機能もなにかしら「必然性・必要性」があったからなのだろうとおもいます。
そのあたりの面白い話・最新情報を、逐一!!
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