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納得していないエネルギー

たとえば、、、


「 探求が終わった 」というコトバがあったりします。


なにかを達成した!!でも、諦めがついた!!でもいいんですけど、なにかしらの決着がついて、“いまここにない、なにか”を求める心が落ち着いていきます。


けれど、もし、それが終わっていない…としても、
特に問題ないんです。


それよりも、、、

終わっていないのに、「終わっていることにしてしまいたい」そう、がんばって、納得しようとしている

そういう本音の声(かんかく)を
無視してしまう、心のうごき

ここで起きていることに目をつぶって(気づかないふり)をしている、いまここへのウソが不自然さや居心地の悪さとして現れてきます。

そこにはきっと、いまここの「そのまんま」を認められないがゆえの苦しみがあります。

だからこそ、、、その苦しみや違和感という、、、


「 いまここのかんじ感覚 」を
手がかりに、気づいていくんです。


いまここで起きているこのまんま、、、
ありのまんまが認めがたい、、、

ということも、、、

「いまここで認められちゃえればいい」


なんですけど、、、、それと対面できない
(いまここの、そのまんまが味わえない)

それがいわゆる 葛藤 と呼ばれているものです。

あるのにない(としてみたり…)
ないのにある(としてみたり…)
そういう 欺瞞 という矛盾は、
「いまここのツラさ」として現れてきたりもします


でも、、、だから、、、気づけるんです。


それが、まだ自分自身で自覚できるぐらい
顕在化していなくても、なんとなく、、、

「いまここにいることの居心地の悪さ」

として、それはしっかり、いまここで感じられています。
そして、その居心地の悪いかんじ感覚が
「 とっかかり 」になるです。

いつでも、いまここのかんじ感覚が
「 おしえてくれる 」


そのしっぽ(はしっこ)から、
いまここでおきていることに
気づき、認め、味わって、寄り添っていく。

そんなふうに、、、
ただ「ある」ものを認めて味わっていると、、、

なにも解決していなくても……
自分自身がなにも成長したり変わっていなくても……

「いまここにいることの居心地の悪さ」

それが消えてしまったりもします。


ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp


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