「わからない」をどこで扱うか???
「わかった!わかってる」ときより
「わからない」ってときのパワフルさ
アタマで解決してしまわないで
わからなーーいに、くつろぐ。。。
そんなツイートからの追記、、、
意識の焦点が
アタマにあるか?
ハート、ハラにあるか?
みたいなハナシも最近よくしているのですが
「わからない」も、、、
どこで扱うか???
「わからない」をアタマで扱えば、
ご存知の通り(?)
・ それについて「思考」する
・ それを「考え」で扱っていく
= 考える 思考する
ってことが起きていくわけなんですが
この 「わからない」 を
アタマより下(かんかく)で扱っていくと、、、
・ そのまま、、、このかんじ感覚をあじわう
・ 「わからない」っていうかんじ感覚のまま
= わからないにくつろぐ
・ 観察
・ ただ眺める
・ 定点観察
「わからない」も無常、、、
勝手に、自動的に、移り変わっていく。
( わたしがどーこーしなくても… )
わたし、、、それを
観察・眺めている「だけ」担当大臣
それを
「ネガティヴケイパビリティ」
とも言ったりしてて
マインドフルネス
瞑想的な「 反応の仕方 」です。
わからない…もどこで扱うかによって
「 体験=体感=受け取れるもの 」
が変わってくる。
あと「わからなーい」ってなるときって
既存(わかった・わかってる)が
壊れるとき、、、、というかんじもしてます。
なので、それが「わかってる」から、
積極的にその流れに乗っていこう(=抵抗しない)
ってふうにもなれるのと、
この「わからない」をアタマで扱っても
ドツボにハマるだけ…
というのも、もう十分やってきているからです笑
そういう時のポイントは
「ひらく」
なんですけど、
これもアタマじゃできない「かんかく」
、、、ひらく、されんだー、流される
流しそうめんの「そうめん」笑
その流れが、勝手に「わたし」を運んでくれる。
で、わからないにくつろいでいると、
それが自然と起きちゃってる。
それはとてもウェルカムな現象なので、既存のお気に入り・安定感を守ろうとするよりも、その流れにのって移行していったほうがいいやつ、、、
移行する前は、その移行先がどんなものなのか「わからない」ので、ソワソワ・不安・落ち着かなかったりするんですけど
、、、ゆずる。
それは、きっと、
いいようにしかならないので「お任せする」
というかんじです。
実際、、、“じぶん”にはどーにもならんことなので笑
抵抗することが
そのまま「苦しみ」なので、
わたしは苦労は買ってまでしません笑
“じぶん”というものの無力さ
この事実を理解することは、
ラクに生きるためのポイントな気がします。
がんばっても、じぶんががんばっているようでいて、
やっぱりじぶんは「そうめん」でしかありません。
ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp