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飛ぶ(という言葉)と「飛ぶそのもの」の違い

YouTube動画のコメント欄でいただいたご質問に対してお答えを書いていたら結構長くながってしまったのでnoteのほうにも(全然更新できていないので!!汗)転載してみようとおもいました。

ご質問

「一瞥体験がないとわからない」って言われますがそれも同じことですかね? 

左脳さんが「一瞥体験がないとわからない」という思考を持ち続けるから右脳的かんかく体験という「一瞥体験」(右脳的には普通のこと)がわからないのでしょか。

https://www.youtube.com/watch?v=toQoFuhZ2RM

お答えを書いてみて、ご質問からはちょっとズレた回答になってしまっているかなともおもったのですが、、、

一瞥体験がないとわからない…というのを、
言い換えてみると、、、

「お湯は温かい」という言葉・情報・思考的概念を知っていることと

お風呂に入ったときの、
あの……(または、この)あたたかさ



という体感という事実(ほんとうの意味での、知っている)は、まったく違いますよね。アタマ・知識・概念として「お湯は温かい」ということを知っていても、まだ一度もお湯に触れたことがない…浸かったことがない…

アタマの中の言葉とその体感のちがい


飛ぶという単語を知っているからといって、
飛べるわけじゃない(そのものを知っているわけではない)

それはアタマ・思考・知識がどれだけあっても
「置き換えることができないもの」 



だから、思考の中には、、、
思考の「わかった」の中にすら、、、

それは「 ない 」ですよね。



飛ぶという言葉の意味を理解できたら「飛べるんじゃないか?」、、、みたいな勘違い(左脳的世界観)によって思考的探求がつづいていっちゃう=終わらない


ウェルカムレイン☆サヤカ  https://lit.link/wrsayaka


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