オンデマンド授業から考えたこと
オンデマンド授業を4月から5月一杯まで続けました。その中で、さまざまに考えることがありましたが、オンデマンド授業のメリットについては別記事ですでに述べたので、それ以外のことについて雑感めいたことを記録しておこうと思います。
3月の状況からみる学校のあり方
勤務校の場合、コロナ以前では、毎日学校にきて、6ないしは7時間の間に授業をしたうえで、部活動、分掌業務などをするというふうになっていました。言ってしまえば、「ふつーの学校教員の生活」ということです。土日に部活動もあれば、残業もあたりまえ、という状態でした。
コロナによる休校が発表され、3月は一時凌ぎ的な空気が世間にも流れていたこともあり、特段、何を考えるということもありませんでしたが、一つだけあるとしたら、学年主義の発想が強いということでしょうか。例年、3月は3学年の指導も一段落し、比較的3学年教員の時間があるので、入学生に関わることがらはすべて3学年が担当します。通常でしたら、それでよいのですが、昨年度に限っては、2月末で休校になったため、実は1・2学年の教員の方が時間があるという想定外の事態が発生しました。そこで、入学者準備について、全校教員で協力して行うのか、と思いきや、そんなことはなく、3学年教員のみが行うという慣例でそのまま進んでしまいました。少し考えてみればわかることですが、後期二次試験が3月12日ごろにあるため、3学年教員はそこまで生徒の指導に当たります。しかし、1、2学年教員は生徒がきていないため、その期間中、することがない。それはそれである意味では、指導要録などの事務仕事が進むからよいということのようです。しかし、担任ではない教員となると、いよいよすることがなく、結果的に普段はもっとも時間が取れるはずの3学年教員が最も忙しいというわけのわからない状況になってしまったわけです。念のため、急いで補足しておくと、これが不満だということではなく、学校というのはフレキシブルな対応が苦手なのだということをまざまざと見せつけられた気分になったということです。教育は性急な変化をしない方がよいとは思いますが、こうした事務作業レベルのことでの融通が利かない感じ、そりゃ、働き方改革もうまくいかないわ、と思ってしまいます。
ちなみに、先にも触れましたが、1・2学年の先生としては、要録などの事務作業が進んだのがよいということで、丁寧な所見が書けていたようです。こうしてみると、普段の3月20日ごろまでの授業期間というのが、するべき事務に対して見合わないのかもしれません。通常に戻っても、2月末で締めて、3月いっぱいの春休み、というのもありな気がします。
4月、5月の状況から見る学校のあり方
4月になって、学校が再開したと思ったら、また休校というせわしない感じになりました。休校が長引くことが予想されたため、休校期間中も学びを止めないように、オンライン授業を進めていたのは別記事の通りです。
オンライン授業では、オンデマンドで動画配信をして、小テストをGoogle formを活用して行う、という形式で授業を行っていました。やってみた感想としては、教材研究レベル向上、指導内容の精選、というメリットがあり、生徒としても比較的好印象を持ったようです。
一方、明らかな格差も生まれます。教員による直接指導が入らないため、動画を見ようとしない生徒は、学びが全く進んでいないケースがありました。これは、予期されたことなので、学校が再開されたおとといからケアを始めているところです。要は、学校が手を掛けすぎていたせいか、3学年であるにも関わらず、自主的に学ばない(学べない)生徒が一定数、しかもそれなりの割合で存在してしまっていた、ということです。
ただ、ケアさえできれば、かなり効果的なことができそうだ、という実感ももちました。生徒の授業内容理解度は比較的高まったような感覚も得ましたし、教科内容をじっくり考えられて、普段の授業より、ある意味では洗練された授業にすることもできました。他者との関係で進めなければいけない分掌業務などと比べ、どうしても後回しになりがちな授業準備に多くの時間がさけるようになったのは、非常によいことだと思います。逆に言えば、やはりコロナ以前の学校では、高等学校教育の本丸である教科指導がおろそかになっていたことがありありとわかったということです。
今後の学校でできそうな(できたらいいな)ということ
さて、確認しておきたいことは、この期間中、教員生活に何が起こっていたかということです。生徒がいないため、当然、定時出勤、定時退勤です。しかも、コロナをさけるための時差出勤をしていました。時差出勤の間は、昼間の数時間を多くの教員が共有する時間とします。また、在宅勤務と出勤を隔日で行っていました。この期間中、極めて人間的な生活をしていました。仕事とプライベートの区別がかなりはっきりとして、「この時間がきたら、お仕事おわり!」と言える状況でした。コロナ以前の学校にいると、生徒がいる限り、そして生徒の完全下校時間は、教員の勤務時間を大幅に超えるところに設定されているため、「正規の勤務時間外」という概念がほぼ消滅してしまっているわけです。5時ごろが定時で、6時半まで拘束される、とか言われたら、民間企業の人は怒るのではないかと思います……。こうした普段の状況を鑑み、今回のコロナによる休校中の生活を振り返ってみると、今回、蓄積された知見を再開後の学校生活に活かせないものか、と思います。
教員の勤務時間ということについて言えば、たとえば、時差出勤を導入して、朝のSHRに行く教員と、午後のSHRに行く教員をわけることも考えられます。その担当を日替わりで交代制にすることで、午後の生徒の質問が受けやすい時間に対応する教員を交互に配置し、「この先生に聞きに行けない」という状況を作らなければ、退勤時間を幾分か早めることが可能になるでしょう。当然、その場合、部活動の指導は外部指導員を活用するなどの何らかの手立てが必要ですが。業務の精選も言い古されたことですが、していかねばならないでしょう。いずれにせよ、今回のように「人間的な生活」を教員が送れるようにするためのヒントが、この2ヶ月の中に詰まっているような気がします。
また、現状では難しいのではありますが、いっそのこと、隔日登校というのも手ではないかと思い始めています。生徒にとって、「オンデマンドで自分に合った時間で学習する日」と「学校にきて指導を受けながら、軌道修正をしていく日」というふうにしてしまえば、案外、生徒の学習に対する自律性が高まるのではないかと思います。ほうっておくと、教員はどうしても「してあげたい」が先に立ち、手を差し伸べてしまいます。それも、余計なほどに。こうした状況では、当然のように「課題を与えないと生徒は学ばない」という発想が生まれます。これが大きく生徒の自律性を損なっていると個人的には思います。生徒からも「課題が多すぎて、自分のことが全然できない」という声を何百、何千回と聞きました。真面目な生徒ほど、こういうことを言います。隔日登校にすることで、生徒の自律性を高められ、結果的に今求められている「主体的・対話的で深い学び」につながっていくのではないかとも思います。主体性がなければ、深い学びには行き着きませんので。ただ、年間授業時数の縛りがある以上、現実的ではありません。ここがなんとかなれば、多少、学校の授業のあり方も変わっていくのではないでしょうか。
おわりに
コロナ禍によって、学校の授業・生活や業務のあり方が見直されるか、と思った矢先、緊急事態宣言が解除され、「普通の学校に戻れる」という考えがトレンドになってきました。「普通の学校に戻る」ことを否定するわけではありませんが、せっかくこのイレギュラーな2ヶ月で得られた知見が捨て去られてしまうのではないかというふうに危ぶんでいます。想定外に弱い学校という場にもたらされた、イレギュラーな事態から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。
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