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歴史の分水嶺に立つ日本 敗戦に学び「底力」を発揮する時|【特集】真珠湾攻撃から80年 明日を拓く昭和史論[PART-1]

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する姿勢、メディアが果たした役割を紐解くと、令和の日本と二重写しになる。国家の〝漂流〟が続く今だからこそ昭和史から学び、日本の明日を拓くときだ。

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文・中西輝政(京都大学名誉教授)

明治維新から終戦、そして現在に至るまで、約80年という同じ時間が経過した。いま、我々は何を学ぶのか。世界の潮流を見据え、謙虚に過去を学ぶ重要性を説く。

 いま、日本中に「○○敗戦」の文字が溢れている。いわく、「ワクチン敗戦」、「コロナ敗戦」、「デジタル敗戦」、「半導体敗戦」等々。考えてみれば、平成の時代を通じ、我々は「経済敗戦」とか「第二の敗戦」という言葉をずっと聞かされてきた。あるいは「3・11」、つまり東日本大震災と福島第一原子力発電所事故への危機対応も、「敗戦」の一つとしてしばしば言及される。

 もう、いいかげんにしてくれ、とも言いたくなるが、翻って考えると、「敗戦」について考えることほど〝役に立つ学校〟はない、とも言われる。つまり「敗戦」の真摯な探究は自らを一層高め、敗北を克服する道につながるからである。ただ、その時に一方的に自身の欠点を責め、負の心理回路に陥ることは禁物である。

 第一、この日本という国は客観的に見ても、まだまだ大きな潜在力と可能性を宿しており、そうした根本的な自信を持って、「失敗の本質」を探ることが大切なのである。有名な野球監督が繰り返し口にしていたように、「勝ちに不思議の勝ちあり。(しかれども)負けに不思議の負けなし」ともいう。すなわち、「まぐれ勝ち」ということはあるが、敗因はつねに「自らの欠陥のなせる業」ということだ。

 おそらく日露戦争は前者の例であり、太平洋戦争は後者、それも最大の例と言うべきだろう。となると、日本にとっての「最大の敗戦」、つまり昭和のあの大戦について、この機会にもう一度、深く考えておくことは、この国の将来の展望を切り拓く上でつねに大切な営みとなりうる。

 時あたかも、今再びこの国は大きな歴史の「分水嶺」を迎えつつあるように見える。そのことはまず、時間的なスパンにおいても当てはまる。

 たとえばあの戦争は、ちょうど80年前の1941年12月8日、ハワイ・オアフ島に停泊する米国太平洋艦隊に日本海軍の攻撃機が奇襲を仕掛けたことでその「最大の敗戦」が始まった。

「真珠湾攻撃」である。

 また明治維新から45年8月の終戦までおよそ80年。その後の「戦後」と言われる時代もほぼ80年近くなる。そして奇しくも、世界は今、新型コロナウイルス感染症による大混乱に加えて、急速に台頭する隣国・中国の世界史的な浮上、そして、米中対立の激化といった大きな変化の時代、すなわち世界と日本は今、掛け値なしの「分水嶺」の時代に入っているのである。

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80年前、日本軍はこの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争の火蓋が切られた
(SPHRANER/GETTYIMAGES)

危機の時代に必要な
司令塔の一元化

 この大きな歴史の転換点にあるとき、日本が進むべき道をしっかりと見定めるには、まずもって歴史の教訓を真摯に、そして謙虚に学び直す必要があることは論を俟たない。

 しかし、この約1年半、コロナ禍への対応や中国の台頭による世界秩序の変動に直面している日本自身の危機認識を見るにつけ、今ようやく私は「日本はなぜ、あの戦争に負けたのか」「なぜ、この国はあのような戦争に突入せざるを得なかったのか」ということについて理解できた気がするのである。いや「心底理解できた」と言ったほうが正確かもしれない。

 現代日本はまさに、歴史上繰り返される危機対応の脆さや、日本が不調に陥る時の典型的なパターンが表れる事態に直面している。太平洋戦争や平成の「バブル崩壊」、そして令和の「コロナ(あるいはワクチン)敗戦」を教訓にするならば、共通する問題として以下の特徴を挙げることができよう。

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