「情報」は掴めていた日本軍 組織の「作戦」重視が招いた悲劇|【特集】真珠湾攻撃から80年 明日を拓く昭和史論[PART-4]
80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する姿勢、メディアが果たした役割を紐解くと、令和の日本と二重写しになる。国家の〝漂流〟が続く今だからこそ昭和史から学び、日本の明日を拓くときだ。
文・小谷 賢(日本大学危機管理学部教授)
大型の台風が接近するという情報を得ていながら敢えて海水浴に行く、という人はいないだろう。我々個人は日々、さまざまな情報を得て、それを基にして決断し、行動することが多い。
しかしなぜか集団や組織においては、情報を基に決断し、行動するという基本がないがしろにされがちである。その典型例は太平洋戦争の開戦であり、日本は米国に勝てないと分かっていながら、戦争に突き進んだのである。これは歴史上の話ではなく、最近の日本政府による新型コロナウイルス対策を見ていても、さまざまなデータという情報に基づいて対策が検討されているというよりは、泥縄的な対応に終始しているという印象がある。
恐らく日本の組織は、「情報によって何かを決める」というよりは、「組織内で情報より重視される要素があり、それが優先される結果、情報を軽視している」ように見えるのではないだろうか。本稿では日本軍の情報運用を俯瞰しつつ、どこに問題があったのかを検討していく。
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