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私は飴を最後まで舐めない

口の中でゆっくり溶かすはずだった飴を、私はいつも途中でかんでしまう。耐えきれず、ガリッと音を立てるあの瞬間がなぜか気持ちいい。

子どもの頃から変わらない癖だ。

「ゆっくり味わうのが飴の醍醐味だよ」

と言われても、私にはどうしてもそれができない。飴が小さくなり、舌で転がしているうちに「そろそろいいかな」と、勝手に脳が許可を出してしまう。そして次の瞬間、ガリッと噛んでしまうのだ。

隣で飴を最後まで舐めている友人を見ると、不思議と感心する。「どうして最後まで舐めていられるんだろう」と思う。でも私は、その我慢の時間を楽しめる人ではないらしい。

飴をかむ瞬間には、妙な達成感がある。長い道のりをショートカットした気分。

それは、映画を最後のシーンだけ先に観てしまうような気持ちに似ているのかもしれない。誰かにとっては台無しな行動でも、私にとっては結末を先に知ることで得られる安堵感がある。

一方で、飴をゆっくり舐める人は「過程そのもの」を楽しんでいるのだろう。時間をかけて甘さを感じ、少しずつ変わっていく形を受け入れる。その姿勢には、何か哲学的な深ささえ感じる。私にとっては少し遠い世界だ。

「なんで飴をかむの?」と聞かれたことがある。その時、私は言葉に詰まった。考えたことがなかったからだ。思い返せば、理由なんてない。ただ、我慢しきれず噛んでしまう。それだけのことだ。でも、その癖には小さな価値観の違いが隠れているのかもしれない。

私にとって重要なのは、最後まで耐え抜くことよりも「今、どうしたいか」だ。人生も、きっと同じだろう。誰かにとっては「途中でかむなんて損だ」と思えることでも、私には「我慢せずに今を楽しむ」という選択肢が心地よい。

だから私は、これからも飴をかむだろう。ゆっくり味わうことができるようになったら、それはきっと別の私だ。そんな日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。でも、どちらでもいい。今の私は「ガリッ」というあの音を楽しむ自分であることに、ちょっとした誇りすら感じているのだから。

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Kaede
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