ラオスのひと昔前に、小さな女の子だったチャンの話 第4話
洪水、そして収穫の時
8月の終わりのころ、ずいぶんと雨が降りつづきました。夜中じゅう、雨は滝のようにザーザー降り、朝になってもまだ降っています。チャンのお父さんが窓から空を見上げて、お母さんに言いました。
「豚を少し高いところに連れていったほうがよかろうな」
豚は高床式の家の、床下の柵の中にいるので、まだ濡れてはいませんが、もし水が上がってきたら柵の中で溺れてしまうかもしれません。お父さんは、暗く垂れ下がるような空をもう一度見上げてから、ハシゴを降りていきました。そして、雨の中へ出るのをいやがる豚たちを、棒でたたいて歩かせ、村の小高いところにある親戚の家へと連れていきました。お父さんが濡れねずみで帰ってくるころには、川の方から水が少しずつ溢れはじめました。
お父さんは言いました。
「洪水になるなぁ、これは・・・・・・」
家の裏手にあるこのフアイスア川には、山からの小さな流れが何本も流れこんでいます。だから大雨が続くと、流れが一気に合わさって、川が溢れだすのです。
チャンは、高床の家から外を見ていました。まるで川が広がるように、だんだん岸へと水が溢れだしてきます。さっきまで、地面を歩きまわっていた鶏たちは、コーッココーッと木の枝へと飛び上がりました。お母さんは大雨の中を小走りに出ていくと、大急ぎで、ひよこたちをカゴの中に集め、ハシゴをのぼって部屋の端っこに置きました。おとなの鶏は木に飛び上がれるけど、ひよこは逃げられないからです。
「トーン! チャン! ちょっと手伝って」
ふたたびハシゴを降りて外に出たお母さんに大声で呼ばれ、トーンとチャンもハシゴを降りました。
「流されちゃいけないものを、高いところへ上げてちょうだい! でも、絶対に川へ近づいちゃダメ。あんたたちが流されちゃうからね」
泥色をした水面はどんどんと広がり、どこが本来の川の流れか見分けがつきません。
トーンとチャンは、雨に打ちつけられてびしょ濡れになりながら、家の周りに置いてある道具類などを高いところに上げました。そうしているうちに、チャンの足のくるぶしくらいまで水が上がってきました。犬のダムが、水しぶきを上げながら駆けまわっています。
「お母さん、ダムはだいじょうぶかしら?」
「犬はだいじょうぶ。ちゃんとわかるから。でも、子犬は上にあげておきなさい。流されちゃかわいそうだもの」
チャンは、床下の柵のそばにいた3匹の子犬たちを抱きかかえると、ハシゴをのぼり、家の中に置きました。
どんどん水位が上がってきて、またたく間に、辺りはまるで湖みたいになりました。水はチャンの膝を超えました。
「おまえはもう家に上がりなさい。妹たちを見ていてちょうだい」
とお母さんに言われて、チャンは高床の家に上がりました。そして妹たちといっしょに、外を眺めました。
いつもとはまるで違う景色です。一面、水・・・・・・水・・・・・・水・・・・・・水。庭じゅうが湖みたいになっているので、いつもなら、ヨタヨタと歩きまわっている場所をアヒルが泳いでいます。アヒルだけは元気いっぱいにガァーガァー鳴いて、スイスイ自由自在にどこへでも行けるのが嬉しくてたまらないみたいです。
「これが海っていうのかなぁ?」
とチャンは思いました。ラオスには海がないから、もちろん、チャンは海を見たことはありません。でも、どこまでも続く水面に、「これが海なのかしら?」と思ったのです。
雨は少し弱まってきました。でも、水かさは増しつづけています。
「稲はだいじょうぶでしょうか?」
お母さんがお父さんに言いました。
「早く水が引けば・・・・・・なんとかなるだろうけどなぁ」
とお父さんは言いました。
この村は、数年に一度は洪水になります。山の方の斜面に作る畑の陸稲や野菜はだいじょうぶですが、どこの家も水田は川沿いにあるので、真っ先に洪水の被害に遭いました。一日ほどで水が引けばいいけれど、何日も水が引かないと、稲はダメになってしまいます。せっかく実りかけた稲が全滅してしまった年だってありました。そんな年は、食べる米が足りなくなって、畑で穫れたスイカやキュウリを大きな道路沿いの市場に持っていっては、米と交換してもらうのでした。
「なるようにしか、ならんさ」
とお父さんは言うと、家のすぐ前で魚をとりはじめました。魚は川から溢れでた水に流されてくるのです。するとお母さんも、
「まぁ、そうですね。心配したってどうにもならないしね」
と言って、お父さんといっしょに魚をとりはじめました。
洪水のときは失うものもあるけれど、気をもんでも人間の力ではどうしようもありません。でも、魚だけはたくさんとることができたので、どこの家でもみな、ここぞとばかりに魚をとりました。
しばらくすると雨はやんで、太陽が出てきました。水がキラキラと光っています。重そうに大きくしなった竹が、風に吹かれるたびに、ザザザーと雨みたいに水滴を落とし、少しずつ背を起こします。
トーンもチャンも、ハシゴを降りました。そして、ピッチャンピッチャン跳ねまわりながら、家の前に流されてくる魚を追いかけました。
幸い、今回の洪水は、そうはひどくなりませんでした。次の日の朝には、おおかた水は引き、お父さんもお母さんもホッと息をつきました。水田の稲が全滅すると、やっぱり本当に大変だからです。いろいろな作物や、森で探す野草や薬草・・・・・・あれやこれやを市場へ運んでいっては、米と交換するという大変な苦労をしなくていいと思うと、胸をなでおろしました。でも、雨季が終わるまで、まだまだ油断はできません。また大雨になるかもしれませんから。
木の枝に飛び上がっていた鶏たちはまた地面の上に降り、ひよこたちも親鶏のもとに返されました。水が引くと、あちこちから流れてきた草や苗なんかが、低い木の枝にからみついています。思いがけないところに魚が落ちていることもありました。
お昼過ぎ、友だちのユイが泥でぐじゃぐじゃになった道を、泥んこのはだしの足を交互に大きく上げながら歩いてきました。まったく、ネチョネチョの泥んこは、草履なんてはいていたら歩けるものではありません。草履の底が泥にくっついて、足を上げようとすると、鼻緒が切れてしまうのがオチでした。ユイはシン( 筒型のスカート )もはいていません。ブルマーのようなお母さんお手製の布のパンツだけでした。
「行こうよ、チナーイ(コオロギ)をとりに!」
チャンもパンツいっちょうになりました。どうせ泥だらけになるのですから。ふたりはチナーイ探しに出かけました。
洪水の後には、木々の幹や枝々にチナーイがしがみついています。チナーイはふだん土の穴に住んでいるので、洪水になると、みんなあわてて外に避難するというわけです。村の子どもたちは、こぞってチナーイとりをしました。炒って食べるとおいしいのです。
地面の穴からは真っ黒いサソリもいっぱい出てくるので、気をつけないといけません。サソリだって洪水で大変な思いをしたに違いありませんが、サソリにはあまり出会いたくありませんでした。
チャンたちがチナーイとりをしていると、向こうでトーンと男の子たちの声がしました。見ると、男の子ふたりが大きな木にのぼり、ふたりが下から見上げています。
「おまえ、あっちからたたけよ」
「おまえは、枝先に追えよ」
男の子たちは、ングーシンというヘビをとろうとしているのです。洪水のときには、ヘビも地上から逃げ、木の枝に巻きつきます。ヘビもご馳走です。子どもたちは、このングーシンには毒がないということを知っていましたから、怖くありませんでした。
ヘビはようやっと洪水から逃げ出して、木の上で日向ぼっこをしていたところを、男の子たちに見つかって大変! とうとう枝から振り落とされると、下で待ちかまえていた男の子たちにたたかれて、つかまってしまいました。
「みんなで山分けだぁ!」
男の子たちはつかまえたヘビを振りまわしながら、ワァーッと駆けだしました。
10月に入り、雨の季節が終わると空気が変わります。ベタッとする湿りっ気が消えて、急にカラッとするのです。乾季になったのです。空も青く澄み、いよいよ稲刈りが始まります。
稲刈りは、山の畑と水田の両方でします。年によっては、水田の稲が洪水でダメになっている年もありましたから、2回稲刈りができるというのは、それだけで嬉しいことでした。
まずは山の畑の陸稲の稲刈りです。村のみんなは、今日はこっちの畑、明日はあっちの畑と協力し合いました。稲刈りが終わると、穂を内側にして積み重ね、稲山を作ります。山のいたずらな動物たちも、この稲山を荒らして食べるようなことはありませんでした。若い稲穂は口でこそげて食べてしまうイノシシだって、稲山から稲穂をとって食べるようなことはなかったのです。
陸稲の稲刈りが始まるころ、小さなブン(お祭り)が2回ありました。ブン・ホーカオ・パダップディンとブン・ホーカオ・サラークというもので、両方ともチマキを「目に見えないものたち」に捧げるお祭りです。1番目のチマキ祭りは、お月さまの暦で9月最後の新月となる日で、2番目のチマキ祭りは、それから2週間後の満月の日でした。
同じようなお祭りが続けてあるのは、「チマキ」を捧げる相手が違うからです。1回目の「ホーカオ・パダップディン」の日には、チマキは、家の周りにいるだろう名も知らぬ目に見えないものたちに捧げられました。
ラオスの人たちは、この世の中には、目に見えるものだけでなく目に見えないものもいて、みないっしょに住んでいると思っています。目に見えなくても存在しているものたち、それが「ピー(霊)」です。家の周りを彷徨っているピーの中には、弔ってくれる親戚たちがもういないピーもいるでしょう。また、知らず知らずのうちに殺してしまったかもしれない命…小さな虫や動物たち…も、ピーになって彷徨っているかもしれません。まずは、そのものたちがおいしいご馳走を食べられるように、「チマキ」を捧げました。
そして、2回目の「ホーカオ・サラーク」の満月の日には、家族の先祖のためにチマキを捧げました。もうこの世にはいないひいお爺さん、ひいお婆さん、お爺さん、お婆さん…なかにはお父さんやお母さんを亡くした人もいます。あの世に行ってしまった先祖がおなかを空かせぬようにと、チマキやご馳走を捧げたのです。その日、亡くなったご先祖さまは、カゴをかついでご馳走を楽しみにやってくるそうです。
ブンのために作るチマキは、ラオス語で「カオトム」と言います。バナナの葉っぱに、もち米と、サトウキビを煮詰めたお砂糖や、お豆やバナナなどを包みこんで、蒸すのです。どの家でも自慢のチマキをいっぱい作ってお寺に捧げたり、訪ねてきた人たちにふるまったりしました。
その日、子どもたちは夕方になると、ずだ袋を肩からさげ、連れ立って出かけました。家を1軒1軒まわって、「コォ・カオトム・デー(チマキちょうだい!)」と言うのです。そうすると家の人はハシゴを降りてきて、子どもたちの手にチマキをいっぱいくれました。釣り竿のように、竹の棒にひもをつけている子もいました。高床のハシゴの上の方に、その釣り竿をビュンと飛ばして、「チマキをつけて!」と言うのです。すると家の人は、ひもの先にくくりつけてくれました。
子どもたちはチマキで重くなった袋をさげて、家に帰ります。ふだんは、おやつが十分にあるわけではないので、この日は子どもたちにとって、とても嬉しい日でした。
となりのお姉さんは、わざといたずらをしました。お母さんといっしょにチマキを作るときに、もち米の中に、唐辛子やマッケーン(山椒の実)やパデーク(魚醤)なんかを混ぜるのです。こっそり笑いをこらえながら、5〜6個そんなのを作りました。それをバナナの葉で包んで竹ひもで縛るのですが、このとき自分だけにわかるよう特別な縛り方にしました。ほかの普通のチマキといっしょに蒸してもわかるようにしたのです。そして、仲良しの若者たちが来ると、その唐辛子入りのチマキを素知らぬ顔でわたすのでした。
大口をあけて頬張り、「なんだよコレェ〜」と大声を出している若者と、楽しそうに笑いころげているお姉さんたちの声が、夕闇に響きました。
チマキのお祭りは、まだまだ続く農作業の間の、ひと息つける楽しい時でした。
そのあと人びとは、こんどは水田の稲刈りに精を出しました。水田の稲刈りはずっと遅く、11月から12月にかけておこなわれました。水田の稲刈りもみんなで協力し合いました。
水田で刈った稲を稲山にした後、陸稲そして水稲の順で、脱穀の作業にかかります。土地を平らに整地して、水牛の糞をセメントで床を塗るように塗っておきます。固くなった地面が脱穀の作業場です。稲束を、持ち手をつけたひもで絡めて頭上高くに振り上げては、板や固い地面にたたきつけて、籾粒を落としました。その後は、風のある日に、高いところから籾粒を落とします。藁くずや実入りの悪い軽い籾が、風で吹き飛ばされ、実入りのいい籾を選ぶことができました。
水田や畑から、米を米倉まで運ぶ作業は、またみんなでやりました。ガブンと呼ぶカゴに入れて、天秤棒で何往復もして運ぶのです。運んでもらう家では、鶏をつぶし、ラープ・ガイ(鶏肉とハーブの葉を混ぜた料理)や冬瓜を入れた鶏肉のスープなんかを準備して、みんなのおなかを満たしました。
村では、みんなの米倉に米が入るまで、おたがい助け合って作業をしたのでした。
第5話につづく(11月11日配信予定)
〈関連サイト〉
ラオス山の子ども文庫基金のHP(~2015)
パヌンのかぼちゃ畑(個人のHP ~2015)
ブログ 子ども・絵本・ラオスの生活 (2014~ )
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