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ボタンホール屋のおっちゃん

後悔はしたくない。

けど心残りが一つ。

服を作る工程にボタンホールを

開けるという工程がある、

うちでは

生産枚数の少ない商品に関しては

専門の職人さんにお願いをしている。

ちょうど10年前、大阪の下町で

ボタンホール屋をやっている

おっちゃんと出会った。

ザ・大阪のおっちゃんという感じで

よー喋る人だったが、

何だかこのおっちゃんとは

気が合いそうだなという気がした。

そこから10年、多い時で一週間に3、4日通い

沢山の話をしてもらい、

日曜日は仕事をしない人だったが

無理を言って何回も開けてもらった。

自分の親父が病気になった時は、

何も言わず話を聞いてくれた。

口は悪かったけれど、僕が

今まで仕事をしてきた中で、

誰よりも優しく笑顔が

素敵なおっちゃんだった。

ある日いつものように

ボタンホールを開けてもらい帰ろうと

した時、

「お前次いつ来るねん?」

というので、

「んー10日後くらいかな?

また電話するわ」

「そうか、じゃまた電話くれ」

「おっちゃん体調気をつけやー」

「ありがとうー」

いつもと変わらない会話をした10日後

約束通り電話をしたが電話に出ない。

あれ?おかしいなと思いながら

何回も電話したある日、

ご家族が電話に出られた。

「いつもボタンホールを

お願いしているものなんですが、、」

「ウチは廃業しました、

もう電話してこないでください」

ガチャっと直ぐに電話を切られた。

色々な考えが頭の中に浮かんで、

動揺したのだが仕事は待ってくれない。

急ぎ別の職人さんを探し

挨拶に伺い、事情を説明した。

同じ職人さん同士、狭い業界なので

話は直ぐにまわってくる。

おっちゃんは、

突然亡くなったらしい。

どこか予感はしていたけれど、

やはりショックだった。

呆然としているとその職人さんが、

「僕はその方にお会いしたことは

ないんですけど、でも一つだけ。

狭い業界やから色んな噂あるじゃない

ですか、でもその方の悪い話は今まで

一度も、一切聞いた事がなかったです」

そう言われて、

泣きそうになった。

ほんと、、口は悪かったが

優しさの塊みたいな人だったなぁと。

・・・

どんな業界でも職人さんの

高齢化という事情はある。

何処どこの職人さんが廃業したとか、

亡くなったとか日常の会話のように聞く。

それでも物作りを続けていく覚悟ならば

くよくよはしていられない。

前を向く以外にない。

今思い返すと、おっちゃんが

ミシンを踏みながら

口癖のように話していた。

「お前、俺が死んだらこんな仕事

どこでやってもらうねん、

やってくれるやつなんておらんぞ!」

「えー、ほな死んでもらったらこまるな、

あと20年は元気でいてもらわんとな笑」

そう言いながらその時は

二人で笑ったものだが、

本当にいつ何が起こるかなんて

わからないのだ、

コロナ騒ぎだってそうだ。

後悔をしない為に。

日々頭を使って動くしかない。


でも、いつか

おっちゃんの

墓参りに行こうと思う。

おっちゃんの好きだった

ショート缶のビールを持って。

杵築
















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