私の「自殺計画」について
今回は、私がもしかしたらいつか起こすであろう「自殺計画」についてまとめた。
明日かもしれないし、1週間後かもしれないし、1年後かもしれない。
自殺せずに、ただ計画を練るだけになるかもしれない。
どういった結果になるかはわからないが、文章として残しておきたかったため、書き記す。
まず最初に、私は死にたい日が決まっている。
それは10月18日か、毎月18日か、である。
できることなら10月18日に死にたいが、1年に1度しか訪れない日であるため、計画的に難しい。
なぜ10月18日かというと、2016年10月18日(私が中学3年生の時)に自殺未遂をしたからである。
詳しい内容はまた別の記事で書こうと思うから、今はとりあえず自殺未遂をした日、とだけ覚えておけばよい。
2016年のあの日以降、10月18日が訪れるたびに自殺を決行しようとしてきた。
だが、怖くて死ねず、今まで生きてきてしまった。
私にとって重要な日であるため、これを記念に私は死にたい。
そして、自殺の方法は飛び込み自殺にしようかと考えている。
私は今まで人身事故のニュースを見るたびに、自殺者に憧れていた。
あの高速で走る電車に体をぶつけ、轢かれていく。
想像するだけで怖くて痛々しいのに、実行に移す者は勇気ある人だ。
だから私も、勇気のある自殺者になりたいのだ。
飛び込み自殺が迷惑だと思われたり、言われたりするのは承知の上で言っている。
だが私は、人身事故が起こるたびに「迷惑」「他のところで死ねよ」と言う人が、冷酷で心のない人たちだとわかっているため、今更なんとも思わない。
罪悪感すら抱かない。
人の命が奪われたと言うのに自分のことしか考えない、人の命よりも予定を大事にする人たちが大嫌いだ。
お前らのような人がうじゃうじゃ湧いているから、自殺者が減らないんだと訴えてやりたい。
このような復讐の意味を込めての「飛び込み自殺」だ。
それと、ただ人身事故を起こすだけではつまらないし、私の死として受け入れられない。
よって、飛び込む際に、「遺書」を残す。
遺書というのは、私の別の記事「遺書」である。
私の人生や生き方について詳細に書かれているものだ。
あれを死ぬ時のカバンの中にしまっておく。
さらに、これだけではまだインパクトがないため、飛び込む際に「自殺は迷惑じゃない」と大量に書かれた紙をばら撒いて死ぬ。
これでようやく、私が満足する「自殺」が完成するのである。
飛び散る鮮血に、バラバラになった遺体、「自殺は迷惑じゃない」と書かれたメモが大量に散らばる。
私の自殺は、テロとも言えるだろう。
私の自殺がニュースで流れるか流れないかはわからないが、想像しただけで楽しみになってくる。
また同時に、この自殺を通じて私を知った人がどう思うのか考えるのが面白い。
大半の人は「迷惑」と思うだろうが、もう彼らはどうだっていい。
「かわいそう」「どんな生活をして自殺したのか」「どんな環境だったのだろうか」「どんな過去だったのだろうか」「親は、友達は、仕事は」「どういう生き方、価値観で」
私はこのように、私について理解してくれようとする人がいれば嬉しいのだ。
私の自殺がただの自殺ではない、意味のある自殺だということを、世間にわからせたい。
同時に、自殺しなければならないような状況、社会がおかしいということをみんなに伝えたい。
私が死んだ理由は、確実に存在するのだ。
過去を知れば、自殺は減るのである。
ここまでが、私の自殺計画である。
最初の方で言った通り、私がいつ死ぬかはまだわからない。
しかし、私がいつでも自殺できるように、文章に残すことはとても重要だ。
それと、この記事が自殺示唆になるのならば、遠慮なく通報してもらって構わない。
記事が消されても、警察に世話になろうとも、私は何度でもこの記事をみんなに伝える。
自殺を実行しなくても、私の心の中に希死念慮がある限り、死ぬことを考え続けるのだ。
私の自殺願望は「大丈夫?」の一言で片付けられるほど簡単なものではない。
一生消えない傷である。
私の人生は、私が決めるものであり、あなたたちが決めるものではない。
自殺計画を考えるのも、実行に移すのも、最期を決めるのも、私の人生である。
~終~