この世の中にある「自分が知らない物事」の果てしなさに眠れなくなった深夜
ビル全体がまるっと書店で、何フロアにもわたって本が並んでいるような書店に行くと、気が遠くなる。
ここにある本のほとんどを読むことがないまま、私は死んでいくんだなあ、と考えてしまうから。
岡本雄矢さんも私と同じ感覚に陥ることがあるようで、「わかる!わかる!」と頷きながらこの本を読んでいた。
自分の見えている範囲が世界のすべてだった頃
自分は正直、学校での勉強は出来たほうだった。
クイズ番組や雑学に関するテレビ番組も好きだったので、10代の頃の私は、自分は物知りなのだとなんとなく思っていた。
そして、私の価値観が「ふつう」で「正しい」と思っていて、疑うことすらなかった。
中学・高校時代は、休み時間に女友達同士で連れ立ってトイレに行くことが馬鹿馬鹿しいと思っていた。
プリクラでみんながよくやるポーズが可愛いと思えなかった。
大学時代は、飲み会でお酒を飲んでワイワイ楽しむことが好きじゃなかった。(今も好んでそういう場に行くことはないけれど)
「飲もう飲もう!」と盛り上がる人たちを冷ややかな目で見ていた。
「誰と誰が付き合っているらしい」といった噂話が好きではなかった。
自分がいかに男と遊んでいるかを武勇伝のように語る女友達とは、距離を置いた。
みんな、おかしいんじゃない??
と思っていた。
世界の見方を変えてくれたあの歌詞
そんな大学時代のある日、SEKAI NO OWARIの "Dragon Night" の歌詞に、世界がひっくり返ったような気がした。
私が嫌いなあの子のあの発言にも、あの子なりの理由がある。
私の思う「正義」や「価値観」が誰かを傷つけている可能性がある。
ああ、私の考えや、私がこれまで見ていた世界は、狭くて偏っていたのだと気付かされた。
そして、「知らないこと」が怖いと思うようになった。
「知らないこと」を知っていく
もともと好奇心は旺盛だったから、新しい知識や、自分にはない考えを知っていくのは楽しかった。
小説を読んで、自分の体験したことのない職業を覗いてみる。
こんな世界があるのか、感情を持つ人がいるのか、と想像する。
ビジネス書や自己啓発本を読んで、新しい概念や、自分のコンディションを良い方向に持っていく方法を知る。
特にこの本は、私の情緒不安定さの原因を暴いてくれて、その後の生き方がだいぶ変わったと思う。
オリンピックで様々な競技をテレビで見て、「自分が触れたことがないだけで、こんなに面白いスポーツがあるのか!」と感動する。
SNSでバズった投稿についているいわゆる「クソリプ」に目を通して、「正義」がひとつではないことを実感する。
いろんなことを知っていくことで、10代や20代前半の頃からは想像ができないほど視野が広がった。
「知らないこと」に足を引っ張られている今
世の中には、自分の知らないことがたくさんある。
だから、「知る」ことは楽しい。
でも、ときどき怖くもなる。
今まで見えていなかったことが見えてしまうことで、これまでの自分が間違っていたと突きつけられることが怖い。
どこかで誰かを傷つけていたことに気付いたら、立ち直れないかもしれない。
知らないままでいたほうが幸せだった、ということもきっとあるはず。
それに、以前と比べて、自分の意見を述べることが怖くなった。
こんな浅はかな知識の中から生まれるアイデアなんて、たいしたことがないに決まっている。
もっといい考えがあるに違いない。
そう思うと、どんどん自分の意見に自信がなくなっていく。
今、そんな渦の中にいる。
世の中のことを、自分は何割知っているんだろう。
そもそもどこまでを「知識」としてカウントするの?
答えが出ない問い。
どうしたら自分に満足できるようになるのか。
これも、いつか「知る」ことができるのだろうか。