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強くなりてェ


 皆さん、こんにちは。強くなれる理由を知らない木賃もくちんふくよし(芸名)です。
 さて。昨日は「カラテカ」 ひいては空手、武術のお話をしました。

 ワタクシ、武術や格闘技が好きなので、この辺は声を大にして言いますが、


 (´・Д・)」 99%の人間は、
 強くなりたいんですよ。


 強さの尺度は人によって違いますから、それが肉体的な話か、精神的な話か、それとも経済的な話か、あるいはまた別の強さなのかはわかりませんが、


 (´・Д・)」 強くなりてぇんスよ。


 例えば、自分がいじめる側に回るぐらいなら、自分がいじめられる側でいい! なんてのは「精神の強さ」に他なりません。
 「弱くていいんだよ」って考え方は、考え方が強いんです。
 「軟弱でもいい」なんてのは軟弱でもいいから他の何かの強さが欲しいという現れでしかないのである。

 他者と比べない。他人との比較をものともしないってのは、とんでもなく精神や自分が強いんです。
 他人との比較を軸に強くなるか、他人を意識しない自分を強くするか。いずれにせよ、強くなければならない。
 これが「強さ」という言葉で、肉体的な、あるいは暴力的な「強さ」をイメージする人が多いだけで、人は誰しも強さを求めている。

 そして、それは概ね、他人との競争になるだろう。
 あいつよりも速く走りたい。こいつを負かしたい。誰にも負けたくない。そして、それは普通のことである。
 芸術系となると競争じゃない、なんて思う人もいるようだが、実際のところ、

 あいつより巧く弾きたい。誰よりも上手に描きたい。こいつより成功したい。


 そんな意識を持っていない奴を探す方が難しい。そして、前述のように、そういった競争意識から脱却できるとしたら、


 (´・Д・)」 そいつは精神が
 めちゃくちゃ強いのである。


 現実問題、肉体だけでなく、頭脳も、精神力も、経済力も、センスも、その全ては「強さ」に置き換えられる。
 最もわかりやすく言えば、社会的な地位を堅固なものとする力こそがパワー。強さなのだ。

 逆に言うと、どれだけ喧嘩が強くても、それで社会的信用や地位を失うだけなら、強いとは言えない。

 強さとは、端的に言えば「食っていくための力」なのである。


 頭が良いから食い扶持にありつける、と、美貌があるから食わせてもらえる、に何の差もない。食える力こそが強さなのである。それこそが生きていく手段なのだ。

 だが、子供は基本的に、自分で食い扶持を稼ぐ必要がない。だからこそ色んな勉強や経験をし、強さと食っていく手段を学ぶのである。
 そして、子供の強さとは「地位」に直結する訳だ。

 話が上手い。面白い。運動ができる。勉強ができる。絵が上手。何でもいい。そうやって食っていくためのデモンストレーションを行う訳だ。

 塾に行かせるのも、空手を学ばせるのも、音楽教室に通わせるのも、根本は同じ。
 そして、学習とは「自分に向いている事は何か」を知る事であり、同時に、


 (´・Д・)」 何が向いてないか
 ってのを知る事でもあるのよ。


 無論、幼少期と全く違う道に進むなんて事は侭ある話だから、それは絶対でも何でもない。
 しかし、肉体派か頭脳派か芸術派か対人派かの大雑把なグループ分けが覆される事は少ないのである。
 残酷な言い方だが、肉体的に恵まれない子供が、スポーツの世界で成功する事は困難だし、頭の悪い奴が知性派にスイッチする事は難しいのが現実なのだ。

 だからと言って、向いている事だけをやらせるのも正しい訳ではない。
 病弱だからこそ、運動で体力をつける必要があるやも知れないし、頭が悪いからこそ、勉強して学力を補う必要があるやも知れないのだ。

 そもそも、まあ、なんでこんな話をしているか、と言うのは昨日の話の延長なのだが、

 「子供がいじめられないように、怒らせたら怖いぞ」って意味で「空手」を習わせるって発言が物議を醸したからである。
 で。これははっきり言っておくが、


 (´°Д°)」 空手を学んだら、
 強いとか思わない方がいい。


 (´・Д・)」 キミや、キミの周りにも、ピアノを習わされてたけど、嫌いだったし、上達もしなかったって奴、山ほどいるだろ?

 それは絵画教室でも空手道場でもそろばん塾でも一緒。

 向いてない奴の性格や才能がコロッと変われるほど甘くはないのだ。
 だから、単純に「子供がいじめられる」って被害に遭うぐらいなら、


 (´・Д・)」 なんかアイツ、空手やってるらしいし、いじめるのはやめとこう。


 ぐらいの抑止力になれば、それで充分なのである。そもそも、


 空手なんかやったら、
 暴力的な子供に育つのでは?


 ってアホな事を言う奴がいるけれど、


 空手を暴力に使わないよう
 教育するのは親の仕事だろ。


 あのね? 腕力が強がろうが、頭が良かろうが、あるいは絵が上手であろうが、それを鼻にかけて嫌われないように教育するのは親の務め。
 そんなの、料理教室に通ったら、包丁で人を刺す子に育つのでは? ってぐらいにナンセンス。

 で。空手や柔道やら剣道を学ばせれば、


 (´・Д・)」礼儀が身につく
 とかいう幻想はやめなさい。


 コレは武術で礼儀が身につかないって意味じゃない。
 礼儀なんてのは、絵画教室でも学習塾でもスイミングスクールでも身につくのだ。

 強い力を持つ大人と接し、敵わない相手と対戦し、相手の力が判断できるようになり、勝てるようになったり、勝てなくなったりしながら、人は礼儀を学んでいくのだ。
 それは武術に限った話ではないのである。

 そして、ピアノ教室に通ってもピアノが弾けない奴がいるように、どんな習い事であっても、


 (´・Д・)」 礼儀が
 身につかない奴はいる。


 てかね? そもそもですよ? 礼儀を学ばせたいなら、


 (´°Д°)」 マナー教室に
 通わせたらいいんじゃない?


 と言うか、バッサリ切り捨てますけど、


 (´・Д・)」 マナーや
 情操教育なんてのは、
 家庭でやんなさいよ。


 言ってる意味、わかりますか? どんな子に育てるか、どんな子に育つか、その一番重要な位置にいらっしゃるのは、ご両親、あなたたちなんですよ、と。

 (´・Д・)」 でね?


 コレもはっきり言っておきますけど、


 空手道場に通わせたら、
 礼儀が身につくとか、
 その浅はかな発想で、
 礼儀教育を丸投げにしよう
 って時点でもうダメなのよ。


 柔・剣道、空手、それから「自衛隊」 なんかもそうなんだけど、更生施設じゃないのよ。自分の教育がダメな尻拭いを、武道や自衛隊にさせようって考え方が根本的にダメ。

 (´・Д・)」 いいですか? よく聞いてください。


 (´・Д・)」 音楽教室が
 音楽を教えるように、



 (´・∀・)」 空手道場は、
 空手を教える所です。


 親がアホで苦労するのは子供。子に無理矢理勉強させる前に、自分がいい親であるよう、しっかり勉強しましょうね。

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 なお、この先には「例外的に強さを求めない子供」の話が書かれています。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。