新・トロッコ問題
皆さん、こんにちは。ワタクシが面白い!と思ったものは大体ウケない。木賃ふくよし(芸名)です。
早速ですが、あなたの身の回りに、こんな人、いませんか?
なんかもう、とにかく、
どんくさい人。
いませんか? ワタクシは何人か顔が思い浮かびます。ええ。
まあ、どん臭い人と言っても、色々あると思うんですが、ワタクシはドン臭い、と言う言葉で連想する人達は、だいたい善人なんですよ。
困った事に、悪人で鈍臭い人ってのはあんまりいなくて、悪人ってのはズル賢くて、姑息で、狡猾なんですよね。つまり、鈍臭い人は根本的に悪人に向かない。
少なくとも、ワタクシはそう思ってます。
単に仕事が出来ない人は無能とか、技術的に鈍臭い人は不器用な人って分類になるので、鈍臭い人ってのは、どうにも善人なんですよ。
だいたい善意を持って動いてくれてて、しかし、その行動の結果が、
ロクな事にならない。
ワタクシが思う鈍臭い人ってのは、概ねそれなのである。
基本的に、非常にペースがゆっくりしているか、常におどおどしている。裏表がある訳でもなく、善意で行動するが、だいたいロクな結果を生まない。
いませんか? そーゆー人。
間違いなく善意で動いてるんだけど、だいたい余計な事をして、厄介な事態に発展させる。善意からの行動というのがわかってるから、どうにも怒る気になれない。
いや、本当は怒っているのだが、そいつを毛嫌いして怒りまくってる人がいるので、それと同列にはなりなくないから、怒りたくないのだ。
それに、鈍臭いってだけで懸命な人間を笑ったり、怒ったりするのは、人道的にも問題がある気がする。
だから怒らない。だが、本当はフラストレーションの原因だったりする。
職場や学校にいると、まずいじめの対象になる。
自分はいじめる側には行きたくない。見て見ぬ振りもしたくない。しかし、鈍臭いが故に皆の怒りも充分に理解出来てしまうのだ。
そんな時に、こう言われたんです。
「自分は鈍臭くて、どうやら皆に迷惑ばかりを掛けているみたいだ。
だから今後は、自分で考えたりせず、指示された事だけを、なるべくひっそりやろうかと思う」
さて。皆さんはどう思いますか?
確かに、会社の損害を考えても、職場の空気を考えても、自分の残業時間を考えても、その提案はプラスだらけだ。
人道としては、今まで通りに働け、と成長を信じて見守るとか、より一層丁寧な指導で成長を促すとかした方がいいのだろう。
だが、こちらもまた、人間なのである。わざわざ苦難の道を選ばなければならない道理もない。
さて。あなたなら、彼の提案に賛成するか、反対するか。
いわゆるトロッコ問題です。あなたなら、どうしますか?
では、次のトロッコ問題です。
トロッコではなく、トラックに撥ねられたあなたは流行りの異世界への転生をしました。そこは古代のエジプトのような世界です。
身元不明のあなたはすぐに捕らえられ、奴隷として働かされました。
このまま一生奴隷として生きるのかー!?
と思ったけど、別に拘束される訳でもないし、割と自由は利くし、ちゃんと給料は出るし、生活も保証されてるし、労働もそんなにキツくないし、むしろ、元いた世界より超ホワイトだし、多くの奴隷達も案外楽しそうに暮らしてる。悪くない。
と、そこに、もう1人の異世界転移者が現れ、同僚になりました。
その同僚こそが、
異世界勇者だったのです。
彼は、奴隷制度なんて間違ってる! 領主を倒して奴隷達に自由を! とか企んでいる模様です。
さて、あなたは、
・その通りだ。奴隷制度は良くない。
・いや、別に誰も困ってないし、お前の方がテロリストだろ。
どっちを選びますか。
まあ、皆さんがどれを選んだかはわかりませんが、ワタクシゃ、鈍臭い同僚には悪いけど、尻拭いは御免だし、異世界勇者にも何もしないでいて欲しい。それが本音だ。
さて。実は、ここからが本日の本題なのだが、
先日、「選挙に行かない人は、どんな悪政になっても構わない人」という意見を目にした。語感の問題もあるだろうが、ワタクシはそう断じるのは些か問題があるように思う。
「選挙に行かない奴は、政治に対して文句を言う資格がない」という意見もあった。
「票を投じない時点で権利の放棄だと思う」
ふむ。
概ね賛成である。
いや、問題があるって言った直後だが、別に、どうしても選挙に行きたくない理由ってのがない限り、行くべきだと思うからである。そして、行かない選択に値する大層な理由なんて、そうそう在りはしないのだから。
ただ、行ってないから政治批判する資格がないってのは、少し違う。
教育現場に携わる人間以外は、教育に口を出すな、って事と同じだからである。
医療のプロでもないのに、医療に関して口出しするな、って事なのである。
絵を描けない奴が、人の絵を批判するな、って事なのである。
どんな分野でも、概ねプロの意見の方が正しいし、重い。しかし、業界に染まった考えでは出てこない発想が、在野には眠っていたりする。
それに、殆どの人間は政治のプロじゃない。選挙のプロでも、投票のプロでもないのだ。そして、同じ国民だ。投票の有無だけで発言権を奪うのは些か度が過ぎていると思う。
日本に住んで何年も経つアメリカ人が、日本はこーゆー所が良くないと思うよ、って言ったらあかんのか? って話だろ。
いいじゃん。全然いいじゃん。
(マーティー・フリードマン)
「権利の放棄」って意見だが、これも逆に言えば、「投票しない権利」を行使しただけに過ぎない。詭弁でしかないが、投票した人達は「投票しない権利を放棄した」事になる。
残念だが、日本は義務投票制ではない。世界を見ても、義務投票制を採用している国は少なく、罰則が厳格な国は更に少ないのが現実だ。
繰り返すが、権利は権利であり、義務ではない。
そして、本日の議題である「投票をしてない以上、どんな悪政になっても構わない」って人ばかりじゃない、という話である。
だって、中には「自分の意見より、大勢の民意を信じた方が確かだ」という判断を下した人がいるかも知れないのだ。
え?
いや、それじゃ選挙という一人一人の選択を尊重する意味がないだろ!?
いいえ。「民意に任せる」も、ひとつの尊重すべき意見です。むしろ、多数決の方が民意を尊重していないシステムだとさえ思う。民主主義はあくまで多数派尊重であり、民意尊重ではない。
それに、冒頭の2つのトロッコ問題を思い出してください。
人の足を引っ張るから、自分で考えて動くのはやめる、と言った同僚を止めましたか?
多くの人が望まない行動を取ろうとしている勇者を、止めようとしませんでしたか?
そうです。投票をしないからと言って、それはどんな悪政でも受け入れるという事とは必ずしも同義ではないのです。投票に行かない、という「投票の選択の1つ」なのです、
まあ、大半は結果は変わりゃしねえよって諦観で、ワタクシは投票に行く事を推奨しますが。ええ。
前述のように、投票に行かない大層な理由なんて、そうそう在りはしないのだから。
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なお、この先には特に何も書かれてません。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。