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400年前に書かれたSFファンタジーが凄い
皆さん、こんにちは。
ゴセパ ガブルンゲ ババゾロ ヅゴドボ モクチンフクヨシ(ゲイメイ) ザ。
さて。いきなりナニ言ってんだ? とお思いの方も多いと思いますが、あまり気にしないでください。
ちなみに「俺は『悪夢の背中』を持つ男、木賃ふくよし(芸名)だ」と言っていますが、特に気にする必要はありません。
はい。気を取り直して、早速ですが本日は、知られざる名著を紹介致したいと思います。タイトルは、
「クル・カラント・サピプ」
あまり馴染みのない語感かも知れませんが、それは置いておいて。
ご存知の方は少ないと思いますが、一部のSF、ファンタジー好きならピンと来るかも知れません。読んだ事はなくても、「アレの事か!」と目を輝かせている人がいるかも。
さて。この本(タイトルが長いので「この本」で許して)には、人類が何処から来て、何の為に生き、そして、何処へ行こうとしているのか。
地球の存在意義とは? 宇宙の正体とは?
生命とは何なのか。死とは何なのか。これらの全ての謎や疑問を解き明かしてくれる一大叙事詩です。
何だか大仰な話だな、と思われた方もいらっしゃるかも知れませんが、そんなに難しく考えないでください。
物語自体は実にわかりやすい英雄譚であり、主人公の英雄ナナク。彼と試練や苦難を分かち合いながらも、最後には袂を別ってしまう親友のテーバドゥル。
宿命を背負わされ、運命に翻弄され、六度も生まれ変わりながらもナナクと惹かれ合う聖女アシャ。
そして世界を、地球を、宇宙を無に帰そうと人の身でありながら世を呪い、虚無の化身となり果ててゆくバー・イー。
主に、この4人の若者が生まれ、出会い、別れ、死に、殺され、また生き返ったり、生まれ変わったりしながらも、次第に世界の仕組みについてわかり始めていく、というヒロイック・ファンタジーです。
この物語が書かれたのは、なんと1581年。400年以上前なんです。
全8篇に纏められていますが、執筆開始から実に40年以上かけて完成されたと言われている。
もっとも物語の中では主人公たちの冒険は300年以上に渡り、死や転生を繰り返し、国や世界の興亡を見据えて行く事になります。
最終的には不死者となり、更には時を超越した存在となり、宇宙の誕生から人類の行く末を知る事になるので、時間にすると、実に724億年に及ぶ悠久の刻を駆けめぐる。
また、この作品の凄いところは、1581年に書かれたにも関わらず、地球を球体として表現している所だ。
地球球体説自体はそれこそ紀元前6世紀から漠然と考えられてきたとされる。また、マゼランの航海で証明されたのは1521年とこれに先んじるが、まだ、それが知れ渡っていない時期に、宇宙から見た地球が青くて丸い事が書き記されているのだ。
なお、ガガーリンによる人類初の観測は1961年。
小説が現実より遥か先に、それを観ていたのだ。
素晴らしいヒロイックファンタジーだが、知名度が低いのも仕方ない。
この小説が書かれたのは南インド。現在のパキスタンとの国境付近である。
しかも、この小説は正確には小説ではなく、現在はほぼ途絶えていると言っても過言ではない「トラビタ教」の教典としての意味合いが強い。
そもそも小さな地元の信仰であった事に加え、イギリス支配下の宗教対立や分断により縮小し、21世紀となった今、名前と血筋を僅かに残すのみで、これを伝える人は限られる。
1902年にイギリス(後にアメリカ)の宗教学者アザム・クエイドがこの本に出会い、8年の歳月を掛けて翻訳。ブシャルス語で書かれた内容に、翻訳は困難を極めたという。
冒頭の「ゴセパ ガブルンゲ ババゾロ ヅゴドボ モクチンフクヨシ(ゲイメイ) ザ」はブシャルス語を片仮名に無理矢理変換したものだったんですね。ええ。
実際、この本がアメリカで一般書籍(学術書としては1920年に出版)として出版(全12巻)されたのは1961年。奇しくもガガーリンが宇宙に飛び立った年である。
この時に、「ガガーリンよりも先に地球が青いと言っていた本がある」と僅かに話題になるも、出典が「怪しいパキスタンの宗教」だった事から捏造を疑われ、一笑にふされ、忘れられていった。
しかし、全員が忘れた訳ではない。この本に影響を受けた作家はヴィクセン、アーチノリなどが挙げられ、言及はされていないが、ホワーダも影響を受けていると言われる。
そして、なんと、これを拾い上げた日本人もいるのだ。
宇宙開発研究の立役者である安田章(国際鹿児島大学教授)である。
「ガガーリンより先に地球が青いと記した本」という事で興味を持ち、クエイド訳の書籍を入手。あまりの面白さに、宇宙研究の傍ら翻訳を開始し、翻訳自体は二年足らずで校了するも、原書が気になり、そこからブシャルス語を学び、クエイドより、より正確なニュアンスを日本語に翻訳したと述懐している。
こちらは1971年に「大いなる星のみちびきの物語」というタイトルで日本語訳版(全4巻)が出版されるも、特に注目も浴びず、現在は絶版。入手が非常に困難であるとされる。
そう。ファンタジー、SF好きならおそらく耳にした事はある、
「大いなる星のみちびきの物語」
古参の幻想小説ファンなら垂涎モノ。
また、何にでも何処にでもオタクはいるもので、ドイツの言語学者であるH・シュターゼンが同じくこの本に魅入られ、ドイツ語訳版を1990年に自費出版。
なお、彼の評価によると、「クエイドが発掘した事は最大の功績」なれども「翻訳は最悪で原書の魅力を殺している」
また「安田訳はクエイドより詩的ではあるが、ローカライズが酷く、読めたものではない」と酷評。
シュターゼンは自分の翻訳は限りなくブシャルス語をそのまま訳した、曰く最高の翻訳と称するものの、しかしそれでは魅力が伝わらない。可能ならばブシャルス語の原書で読んで欲しい、としている。
なお、こちらの「クル・カラント・サピプ」だが、残念ながら安田訳日本語版の入手はほぼ不可能だと言われている。
しかし、シュターゼン版のドイツ語訳版は、なんと電子書籍で無料で公開されている。
紹介が長くなったが、
めちゃくちゃ面白いので、ぜひ読んで欲しい。
興味がある人は是非に。
いや、興味がなくてもファンタジー好きなら外せない作品です。
読もう。
うん。
ドイツ語で。
今なら機械翻訳で割とちゃんと読めますし。ええ。
ワタクシは苦労して読みましたよ?(独→英→日で)
読んでみりゃわかります。本当に面白いので。当時のインド・パキスタン文化にも触れられますし。読まないと後悔しますよ、ってか、いや、これを読まずにファンタジー小説好きとか名乗れませんよ。
これぞ超本格正道ファンタジーですよ?
(´°Д°)」 読め。
ドイツ語で。
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(´・Д・)」 という訳で、そろそろ本日のお話を始めたいと思います。
ええと、この「大いなる星のみちびきの物語」は、
存在しません。
はい。全部ウソです。
書きながら全部テキトーに作りました。はい。
いや、昨日ね?
「キミらは本格ファンタジーを読んだことがあるのか?」 ドヤァ…!
「今のラノベはファンタジーじゃない(笑」
「古典も読まずにファンタジーとか^^」
「本格ファンタジーはかくあるべし」ドーン!
みたいな吐気を催すレベルのツイートを見てしまいまして。ええ。(リンクはしたくないレベルだし、該当ツイートが全削除されていたので、リンクなしです)
先日、評論家って必要なの? って話を書いた直後にこーゆーのにブチ当ると、本当にもう何だかなぁ、って感じである。
ハッキリ言うけど、小説も音楽も映画も漫画も、ジャンル分けは無意味。
消費者をどれだけ喜ばせたか、だけの問題なのである。
ジャンルは好みの作品を見つけ易くする道しるべに過ぎない。
どれが本格派とか、どれが正統とか、何が本道なんて無意味なのである。
分類はその専門筋か分類学の人間にまかせりゃいい。
自分でやるのは結構だが、好みではなく明文化しろ。
内容にどれが含まれたら分類されるか、含まれないと分類されないか。
生物学みたいなハッキリしたものでも分類が二転三転するのに、素人の好みだけで小説のジャンルが分けられると思うなよ。
と、あまりにも吐気が凄かったんで、つい、届きもしない皮肉を込めて、今日の記事にしてしまいました。
ぶっちゃけ、ワタクシはファンタジー小説を読み漁った類の人間で、彼らの言い分はわかると言えばわかる。
昨今のライトノベルってのも好みではない。それが正直な意見だ。
しかし、果たして本当にそうだろうか。
ワタクシは非実在の物語をドイツ語で読めと迫った。
今のライトノベルってのは、現代ナイズされ、ローカライズされただけで、それもまた小説なのだ。
タイトルで内容を説明するのも、肌も露わな美少女が大勢出てくるのも、アニメ絵柄なのも、異世界転生するのも、ハーレム展開ラッキースケベなのも、オレ様つえーなのも、セリフばっかりなのも、全部、今の読者に読ませるための「翻訳」「現代語訳」なのだ。
この言葉を使うのも気恥ずかしいが、「スタージョンの法則」に従ってれば、そもそも
あらゆるものの90%はカス
なのだ。
それは実録でも純文学でもライトノベルでも変わらない。
小説の90%はカスだし、低俗な作品を読んでる読者もカスなのだ。例外なく90%はカスなのに、90%のカスを見てカスだと嘆く。そんなトートロジーでしたり顔をしている事自体がカスである。
だからこそ我々は10%を探し求めるし、その10%に出会った時に無上の喜びを見出す。
そして、その10%は人によって違う。
見方を変えれば、インテリぶって小難しい本を読んでりゃ偉いと思ってるカスに見られてるし、実際そうなのかも知れない。
低俗なのが悪い訳でもないし、高尚なら良い訳でもないのだ。
だが、そうやって自分の価値観を押し付けて他人の「楽しい」を侵害する権利などない。
そう。
自分の価値観が理解されない時、
社会において、その90%は、
自分の方が間違っているのだ。
って「大いなる星のみちびきの物語」の2巻に書いてあったよ。(´・∀・)」
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なお、この先には、件のツイートに対する愚痴が書かれていますので、読まない方がいいです。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。