激突!暴力民主主義‼︎
皆さん、こんにちは。戦争は数だよ兄貴! 木賃ふくよし(芸名)です。
あのですね。これ、よく勘違いされてるんですけども、
戦闘力100の人間1人と、
戦闘力40の人間2人が
ガチで殴り合いの喧嘩したら
白い方が勝つわ。
(´・Д・)」 2人の方が勝つのよ。
足し算でね? 40+40で80じゃん? 80>100なんてありえないじゃん?
でも現実は40×2が勝つのよね。
さすがに戦闘力30だと2人じゃ勝てない。しかし、30×3人なら、100に勝っちゃうのよね。
悲しいかな、それが現実なのである。まあ、現実はドラゴンボールじゃないので、戦闘力なんてモノは計測できない。しかし、簡単に考えて欲しい。
1人が足元でも何でも死に物狂いでしがみついて動けなくすれば、倍ぐらいの戦闘力差は簡単に埋められるのである。
これだと計算が合わないけど簡単に言って、2人だと40+40を1.2倍。3人だと1.3倍。4人だと1.4倍〜という風に増えていくと考えてもらいたい。
ちょっとぐらい喧嘩が強くても、多勢に無勢なのである。無論、烏合の衆では勝てない。
花札じゃないから、カスはどれだけ集めてもカス。
先頭の1人がブチのめされたら蜘蛛の子を散らすようにして逃げる連中ではダメだ。
そして最低限度の作戦や統率力は必要。さらには勝利の暁の報酬ぐらいは用意せねばなるまい。何もないのに真剣に殴り合うなんて、フツーの人間ならやらないだろうから。だから、
30人 vs ミルコ・クロコップ
勝てば賞金3億円!
ぐらいに設定しないと成立しないとは思うが、1人が約1000万円貰えるなら、素人でもミルコには勝てるのである。
ちなみに、約1000万円な理由は、ちゃんと作戦を立てた上で、危険な役回りほど賞金の割当を多くしないと、やはり作戦が成功しないからだ。
しかし、30人 vs
ミルコ・クロコップ & エメリヤーエンコ・ヒョードル
になったら、まぁミルコ&ヒョードルが勝つ。それもまた現実なのである。
で。ここでハッキリしておきたいが、我々は99.9%の確率で、
30人の素人側なのである。
多少は空手をかじった事があるとか、鍛えてますとか、喧嘩は負け知らず(笑)とか、そーゆー人もいるだろうが、所詮は素人の側である。
一般人の戦闘力を50と想定した場合、52とか53とか、ひょっとしたら55の奴が混じってるかも知れないが、プロ格闘家の戦闘力が200とかそーゆーレベルなので、向こうからしてみたら、
(´・Д・)」 所詮は
誤差でしかない。
そこを念頭に置いてもらいたい。
将棋で言えば、一般人など所詮は歩兵。ひょっとすると香車や桂馬が混じってるかも知れんが、プロ格闘家の飛車、角行に勝てる訳がないのである。
これでおわかりいただけるだろうか。歩兵を犠牲にすれば、香車や桂馬で飛車角は討ち取れる。それが作戦の意味と、数の力なのだ。
そして多くの歩兵、つまり、我々一般人は、
(´・Д・)」 自分を
飛車角だと勘違い
しやすいんだよな。
ムリムリ (ヾノ・∀・`) ナイナイ
さて。前振りが長くなってしまったが、本日は少し真面目に、
(´・∀・)」 民主主義の
話でもしようじゃないか。
先に言っておきますが、ワタクシは民主主義はあんまり好きじゃありません。
だって、民主主義なんて、
(´・∀・)」 数の暴力じゃん。
しかも、世の中ってアホばっかりですよ? 数で決めるなんて、
(´°Д°)」 愚民主主義。
そんな愚かな制度がまかり通るなんて、嘆かわしい限りです。くたばれ民主主義! 愚民に政治を委ねるな!
(´・Д・)」 と、思うでしょ?
実際ワタクシもそう思ってるよ? 思ってるけど、最初に言ったように、
我々は自分を飛車角だと
勘違いしている歩兵に
過ぎない存在なのである。
つまり、民主主義なんて愚かだと感じてる時点で、自らが歩兵である事を告白しているに過ぎないのだ。
何故なら多くの人は、民主主義の本質を理解していない。まるで理解していないと言っても過言ではないレベルだ。
(´・Д・)」 民主主義が愚民主主義?
最も愚かだが、最もマシな選択?
所詮は多数決でしかない?
どこまで行っても数の暴力?
(´・Д・)」 いいえ違います。
(´°Д°)」 民主主義は、
暴力そのものなのです。
いいですか。
民主主義とは、最も野蛮で紳士的なシステムなのです。
さあ、冒頭の話を思い出して頂きたい。
ガチで殴り合えば、数で質を圧倒できると。
歩兵を犠牲にすれば、作戦で強敵をも倒せると。
(´・Д・)」 意見が分かれて、どうしても譲れない状況があるとしましょう。
だったら最後は殴り合って決めるしかない訳です。
(´・Д・)」 それが喧嘩であり、
とことんまで行くと戦争だ。
しかし、喧嘩や戦争をおっ始めちまったら、双方の犠牲者は増えまくる。で。数の論理で言えば、基本的に数が圧倒的に多い方がまず勝てちゃう訳ですよ。
(´・Д・)」 ハイそこ!
ここで歴史上の例外はいくつもあるなんて寝ぼけた事は言わないように。
それを例外と挙げる時点で、もう負けてる。例外だからこそ有名になっただけで、基本は数が多い方が勝つし、どちらにせよ犠牲者を出さない戦争なんてほぼ皆無だ。戦死者の出なかった戦闘はあっても、犠牲者の出ない戦争なんてありえないと言った方がいい。
たった45分で終結した最短のイギリス・ザンジバル戦争でさえ犠牲者はいるからな。
おわかりいただけるだろうか。
つまり、民主主義とは暴力そのもので、仮に、お互いがガチで衝突したら、まあ数が多い方が勝つよね?
だから、実際の殴り合いのシーンはスキップして、犠牲者を出さず、
(´°Д°)」 戦争の
結果だけを出すの。
つまり、最も紳士的に野蛮なシステムなのよ。
ん? 民主主義と多数決は違うだろ? うむ。似ているが、違う。そのぐらいの事は理解している。てか、それぐらいは理解してないとこんな記事は恐ろしくて書けない。
ちなみに多数決は明確に数の暴力だが、民主主義は少し違う。
理念としてはやはり、不満を持つ者を極力減らしていくという点が多数決との大きな差だと言えるだろう。
なお、民主主義自体に「不満を持つ者を減らす」という概念はない。民主主義なんてのは所詮、独裁主義や貴族主義に対する言葉でしかないからである。
では何故、民主主義は多数決と違って、少数派をケアする方向になったのか。
(´・Д・)」 そりゃ自分が
いつ、少数派に回るか
わからないからである。
少数派はオミットすりゃいい。ってなやり方だと、いずれ自分が少数派に回った時に厄介なのは明白。
だから少数派もケアする。簡単な事だ。
なお、不満を持つ者を減らすとは言ったが、全員が満足な方法などありはしない。だから妥協点を探すのが民主主義だ。
だが、ここで勘違いして欲しくないのは、
(´・Д・)」 全員が
妥協できる方法は、
全員が不満なのよ。
わかるよね。全員が妥協できるって事は、誰も満足してない。つまり、不満が続出する。いや、噴出と言ってもいい。
だから、多数派の意見が採用され、少数派がケアされるシステム。それが最も不満を減らせる。これが民主主義。
そもそも、多数派と少数派ってパターンにも、99:1から、51:49まで様々だ。
そこで51:49のケースを考えてみよう。
多数派51の選択を採用して失敗が目立とうものなら、「それ見たことか」と立場が逆転して諍いが発生する。
この際に逆襲の痛手を負うぐらいなら、妥協案を提示する必要もある訳だ。多数決で勝てば官軍という訳ではない。
だいたい、賛成派と反対派だけの二元論ではない。プランA,B,Cの場合もあるし、その「どれでもいいよ」派も存在してしまう。
つまり、少数派がケアされるのは、何も自分が少数派になる危惧だけではない。
少数派がブチ切れて
殴り合いを始めたら、
殴り合いをなくした
多数決の意味がない。
(´・Д・)」 おわかりいただけるだろうか。
民主主義は愚民主主義ではあるかも知れないが、同時にとにかく武力衝突を避けるという意味では、実に完成されたシステムではあるのだ。
つまり、民主主義が愚民主主義であると否定するならば、それはかの有名な、
議論なんて
そんな野蛮な…
ここは穏便に暴力で…
って事になるのである。
(´・Д・)」 実際と、少数派がテロを起こす訳でな。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。