そこは神の通り道
皆さん、こんにちは。ニーチェがね、神は死んだって言った瞬間から、神は死んだんですよ。(前田日明) ワタクシは、木賃ふくよし(芸名)です。
まあ、ワタクシ無職でして。
コロナで店を廃業して、それから現在まで無職を守り通している訳ですが。ええ。
無職無収入無計画、そして無精者と無しか無いんですが。はい。
とにかく無精者なので、必要がないと出掛けない。出掛ける用事がないと、本当に出掛けない。出掛けたくない。部屋から出たくない。ワタクシの学生時代に「ヒキコモリ」なんて単語はなかったけど、完全にヒキコモリ体質なんですよ、ワタクシ。
もうね、ネットで映画と小説と漫画と音楽とWikipediaさえ自由になるなら、あとはもう24hの定食屋とコンビニさえあればそれ以外に出掛けなくていい。それがワタクシの本音である。
だから、あえて自分で出掛ける用事を作っている。
それが日課の山登りなのである。
一応、ダイエットの為というお題目はあるが、健康にはまるで興味がない。ダイエットの目的も、太ってから睡眠時無呼吸症候群になってて、睡眠の質が悪いのが勿体無いだけである。
だから毎日、伏見稲荷山に登ってるけど、信心なんてこれっぽっちもありゃしないのだ。
なので、
神社の中では
道の端っこを
通りなさい
とか言われても困るのである。
(´・Д・)」 困るのよ。
ぶっちゃけ、無宗教かつ無信仰。宗教学は好きだが、信心はない。教えとして一番ワタクシにフィットするのは神道だが、フィットするというだけである。
なので、時折、「神社内の道は神様が通る場所だから、参拝客は道の端を通りなさい」ってな話を耳にするが、
(´・Д・)」 知らんがな。
って話なのである。
いや、宗教学は好きだし、昭和の人間なので、その程度の礼儀作法は知っている。知ってはいるが、知らんがなって話なのである。
端を歩けとか一休さんみたいな事を言われても、いや、あれは逆か。
無論、あえて破戒しようとかは思わない。可能な限りは大人しく従うし、同行者や、参拝客が神道を重んじていたら、より、それに合わせる努力はする。それは神様ではなく、同行者や宗教者を尊重しているからに他ならない。
とは言え、気を付けたからといって、作法なんてのは一朝一夕で成るものでもないから、失敗もする。
と言うか、ワタクシ的にはアレなのである。
神道的には万物が神となりうる。
動物だって、茶碗だって、石ころだって神様だ。
米なんて一粒に七人の神様が宿ってるらしい。一粒で七度美味しいのか? 神様のバーゲンセールか?
そんな神道において、
人間様が神様じゃ
ない訳ないじゃん?
と思ってしまうのですよ。
そもそもね? 参拝客や登山客ですよ。ね? こう言うでしょ?
お客様は神様だって。
まあ、ワタクシは無信仰なので、お客様が神様でも特別扱いはしませんが、神道的にはみんな神様って事にしましょうよ。ねえ?
女性なんて絶対に神様ですよ、神様。
刑事コロンボも言ってたでしょ、「ウチのカミさんがね」って。そりゃもうカミさまですよ。
だいたい亭主より偉い。主人より偉いんですよ。だから、女性は皆、神様でいいと思います。
え? 男は偉くないのかって?
偉いですよ、偉いに決まってるじゃないですか。
何なら、女性よりも位が上です。
神どころか、大神ですよ、オオカミ。
ね? 歌にもあるでしょ?
男はオオカミなのよ 気をつけなさい
年頃になったなら つつしみなさい
羊の顔していても 心の中は
オオカミが牙をむく そういうものよ
このひとだけは 大丈夫だなんて
うっかり信じたら
駄目 駄目 あー駄目駄目よ
(´・Д・)」 まあ、本音を言うと、伏見稲荷神社って参拝客は多いし、道は狭いし、選んで端を歩いてられねえって話なんですけどね。ええ。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。