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複合意識は劣等感ではない。


 皆さん、こんにちは。言葉の呪いは無意識に人を侵食する。木賃もくちんふくよし(芸名)です。
 さて。コンプレックスと言う言葉がある。COMPLEX、すなわち「複合」 複合や複合体を意味する言葉だ。

 そう。シネコンといえばシネマコンプレックス(シネプレックスと略す場合もあるが)、かつての劇場はスクリーンが1~3程度だったのに対し、近年の劇場は大小合わせて7~10あるいはそれ以上と言うような大型劇場が増えた。
 人気映画1本に沢山の客を入れる時代は終わり、またリスクも高い。
 そこで、今は色んな映画を上映し、どれか1つぐらいは観たい映画があるだろう? ってスタイルに変化してきている。
 アクション映画もコメディ映画も恋愛映画も子供向け映画も上映中。その複合的劇場こそが、シネマコンプレックスなのである。

 複合。それがコンプレックスだ。
 しかしどうにも、日本人が使用するコンプレックスと言う言葉には、

 劣等感の意味が
 強く含まれている。


 マザコンだのロリコンだのファザコンだのショタコンだのに始まり、学歴コンプレックス、白人コンプレックス、容姿コンプレックスなど。
 マザーコンプレックスを例に取ると、マザコンってのは「母親に対する複合意識」なのである。
 つまり、母親に愛憎がごちゃ混ぜになった状態。あるいは、それが社会生活を送るのに支障がある状態だ。
 単に母親を好きなのは、

 (´・Д・)」 良い事だよね。


 駄目なのは、夫が守らなきゃならない妻よりも母親を溺愛してるとか、母親がいなきゃ何にも出来ないって状態なのである。
 あるいは、母親憎しで価値観が歪んで一般社会に馴染めない。わかりやすい話、虐待を受けた所為で、自分も虐待に走るなんてケースも。

 要するに、どれだけ好きでもフツーに生活できてりゃいい。逆に嫌いでも、接点を持たず、健全に暮らしてるなら、何ひとつ問題はないのだ。
 居もしないのに求めてやまないとか、呪縛から逃れられない状態。それが愛憎絡み合うコンプレックス。

 単なる子供好きとロリコンの差がコンプレックスと言える。


 学歴コンプレックスなんてのが一番わかりやすいかも知れない。
 自分の学歴での失敗が延々と尾を引くパターンは割とよく見る。

 学歴が低い故に他人の出身校で人柄までを判断したり、自分が出身校で判断されていると妄想してしまう。
 学歴が高くても、他人を見下したり、学歴で劣るだけで勝てないと思い込む。あるいは、学歴しか誇るものがないとか、学歴でしか判断されていない気がする。
 中には、普通の人が過ごした「普通の青春」時代を勉強に費やしてしまったが為に、人生がうまく行かないのだと思い込んでしまう。

 こーゆーのがコンプレックスである。
 上下愛憎どれでも、どれもがマイナスに作用する状態をコンプレックスと呼ぶのである。

 わかりやすい話、「複雑な思いを抱えている」ことがコンプレックスなのだ。

 実際、英語では劣等感を「inferiority complex」(複合劣等感)あるいは「inferiority」(劣等感)と呼ぶ。
 外来語的には「インフェリオリティ」の方で呼ぶべきだったのに、「コンプレックス」の方が残ってしまった感じである。

 で。日本人は舶来コンプレックスとか外来語コンプレックスでもあるのか、無駄にカタカナ用語を使いたがる傾向がある気がしてならない。
 アグリー、アサイン、アジェンダ、アセット、、、ア行だけでこんなに出てくる。
 同意。任命。議題。資産。日本語の方がわかりやすいし、文字数も少ないのだが、使う必要はあるのだろうかとしばしば疑問に思う。

 また、トラウマだのアスペルガーだのスペクトラムだのメンタルだの、そしてコンプレックスだのという精神的なカタカナ用語や、ADHDだのPTSDだのACだの略語を使いたがる傾向にある気がする。

 ワタクシはコレには良い感情を持っていない。
 と言うのも「病は気から」なんて言うように、「心の病は言葉から」だと思ってる部分があるからである。


 わかりやすい話が、


 犯罪の手口をTVで紹介した途端、模倣犯が急増する


 と言うものだ。

 わかるだろうか。
 「こんな心の病がある」って報道があると、「自分のことだ」と思いたがる人が多いのである。


 実際、世界でも数件しか発症が認められていない難病奇病(心の病ではない)の類をTVで紹介すると、翌日の医院は「先生! 私、昨日紹介されてた〇〇って病気じゃないかと思うんです!」って患者だらけになるそうな。

 無論、そうやって疑うことで病気の早期発見に繋がる(紹介された病気じゃなくてもいい)訳だから、悪い事とも言えない。
 しかし、それで混雑して本当に救済が必要な患者へのケアが遅れる事も忘れてはならない。ワタクシはコレが嫌なのである。

 それと一緒で、トラウマだのコンプレックスだのアスペルガーだのって言葉に踊らされ、自分で自分を「心の病なのでは?」と追い込んでいる人を数多く見たように思うのだ。

 だから、自分が家族想いや子供好きってだけで、コンプレックスがあるなんて思って欲しくないのである。
 好きと言う感情を、みだりにマイナスだとは思って欲しくないのだ。

 そりゃ、社会生活を送るのが困難な程に強い欲求が長期に渡って存在し続けるのであれば、何らかの対処は必要になってくるだろう。
 だが、コンプレックスなんて言葉で、コンプレックスを生じさせて欲しくないのである。

 愛しているのは良い事だ。
 その愛は狂おしいほどなのか? それがすべてなのか?

 いいかい? コンプレックスってのは、


 愛してるのさ 狂おしいほど
 会えない時間が 教えてくれたよ
 もうはなさない 君がすべてさ
 BE MY BABY BE MY BABY



 (´・Д・)」 コレは間違いなくCOMPLEX。




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 なお、この先にはCOMPLEXではなく、BE MY BABYについて、少し書かれています。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。