魂が入ってる
皆さん、こんにちは。特に魂は入ってないけど、苦労は色々詰められてる、木賃ふくよし(芸名)です。
昨日ワタクシ、ツイッターでこんな話を書いたんですよね。
ネコ缶には、ねこのご飯が入ってる。forねこである。
その割にドッグフードが入ってる缶はあんまりイヌ缶って言わない。whyである。
でも、カニ缶とかツナ缶にはカニとかツナが入ってる。in カニ、in ツナである。
ドラム缶は、太鼓のドラムと形状が似ていることに由来する。likeである。
スチール缶やアルミ缶は材質である。made ofである。
同じ〇〇+缶なのに、随分と方向性が違う。
我々はコレを当たり前の事として受け入れ、当たり前のように使っているが、割ととんでもない事である。うむ。
いや、無論、そんなに難しい事ではない。単に助詞(あるいは副詞)などの接続語や後置詞、前置詞を省いているだけで、まるで通じないなんて事はないだろう。
「私は病院に行く」という言葉にしたって、
「私 病院 行く」と省略しても、まず通じない事はない。仮面ライダーアマゾンっぽくはなるが、まあ通じる。てか、子供向け番組としてアマゾンが成り立ってた訳だから、通じてしかるべきである。
「病院行く」にしたところで、前後の文脈なしでも、だいたい通じる。若干コミュ障感は出るが、コミュニケーションは成り立つはずだ。
「病院」にしたって、前後の文脈さえあれば、まあ、通じる。そーゆーもんである。
だからそれと同じだ。ネコ缶ツナ缶ドラム缶スチール缶という言葉を知らなくても、ネコ缶と言われてネコが入ってると考える人は少ないし、ツナ缶と言われてツナで作った缶だと考える人も少ない。
何が言いたいかと言うと、人間は記憶や経験から瞬間的にそれを引用したり応用したりして言語を理解しているのだと思うと、これは相当に高度な能力だな、と言う事である。
関西人は、チャウチャウちゃう? チャウチャウちゃうんちゃう? ちゃうちゃう、チャウチャウちゃう。で、まず何を言ってるのか理解できる。
割とこれらは高度な能力ではなかろうか。とワタクシは思うのである。
けっして、アンパンには餡が入ってる。ジャムパンやクリームパンやチョコパンにはそれぞれ名前のものが入ってるが、
メロンパンにメロンが入ってねえだろ!とかそう言う話ではないのである。
ロールパンはロールさせているからである。
うぐいすパンは微妙だが、うぐいす餡が入っている。
フランスパンやイギリスパンはそれぞれの国に由来した、という意味である。焼きたて!!ジャぱんなのである。なんやて!?
しかし、焼きたて!!ジャぱんが精魂込めて日本オリジナルのパンを作ろうとしたように、
フランスパンには
フランスの魂が
入っているのだ!
という説があり、ちょっと納得すると同時に、
¥200ぐらいで
切り売りされてる魂
ってのも少し悲しい気がしてしまった。
さて。ここでいきなり話は変わるが、
唐揚げにレモンをかける奴は
ギルティ or ノットギルティ?
って話題が度々出てくる。
ワタクシはかけない派だが、「かけていいですか?」って言われたら「どうぞ」とは答えるレベルのかけない派。
いや、そもそも唐揚げにレモンが合うとも思ってないし、かけるにしても食う直前に食べる分にだけかける方がいいんじゃね?派である。
どっちかと言うと、唐揚げを食った後にレモンを嚙りたい派である。
なので、ぶっちゃけ「かけない派」と言うより、「かけるの否定派」なのだが、「かけていいですか?」って言われたら「どうぞ」って答える。
別に内心で怒ってたりもしない。
逆に言えば、唐揚げにそこまでの情熱がないのである。いや、唐揚げは好きだけど。
「馬鹿野郎! ここの唐揚げにレモンをかけるなんて言語道断!」って程に美味い唐揚げに出会った事はないし、「この店の唐揚げはレモンがけが最高に美味い!」なんて唐揚げにも出会ったことがない。だから自分からはかけないし、誰かがかけるなら受け入れる。
論理的否定派だが、過激派ではない。ハト派なのである。鶏の唐揚げだけど。
知り合いに、
(*'▽'*)b 「レモンかけていいですかー?」
って聞いて、
「いいよ」って言った奴の顔面に
レモン汁をプシッってする。
そーゆー過激派もいるが、ワタクシは穏健派である。うむ。
また、「パブリックレモン?」という問い掛け方もあるらしく、つまり「レモンかけていいですか?」と同じ意味である。ただし、返答は「パブリックレモン」ないしは「プライベートレモン」の二択になるらしく、なるほどこうすれば角が立たない素晴らしい落としどころかも知れない。
しかし、ネットでどれだけ調べても、「パブリックレモン」「プライベートレモン」に関する話は見つからなかった。嘘だろオイ。
まあ、そんな訳で唐揚げに関しては、割と冷めた目で見ている。弁当の冷凍唐揚げ(自然解凍)ぐらいの冷たさである。
だが、焼き鳥は違う。
焼き鳥の身を串から外して食うのは好きにすればいい。そんなのは個人の自由だ。
だが、
(╹◡╹)b 「串から外しておきますねー」
とか言う奴がいたら、
なんだァ (´°Д°)」 てめえ、、、!?
と愚地独歩並にマジギレしかねない。マジで。
食いにくいし、危ないし、大口を開けるのがはしたないし、と、そんな理由で外すのは好きにしたらいい。
だが、こっちも好きにする。
焼き鳥は串のまま食いたいんだよ。
串のまま食うのが
美味いんだよ。
いや、串から外しても味は変わらんでしょ? と言う意見もあろうが、ワタクシに言わせりゃ違う。
お茶の淹れ方ひとつにも色々あるように、ほんのちょっとした事が少しずつ味を変える。その結晶。それが料理なのである。
基本的に、串の身なんて少量である。つまり、冷めやすいのである。串に連なっている事で温度が冷めにくいのだ。
いちいち串から外してたらあっという間に冷めてしまう。だから串のままでいいのだ。
ってな話をしていたら、
(´°皿°)」 串を抜いた穴から
肉の旨味が逃げるだろうが!!
って主張する、ワタクシ以上の過激派がいて、死ぬほど笑った。いや、肉汁が串から流れ出るのを見た事がない気はするけど。
(´・Д・)」 まあ、旨味は逃げないと思うけど、串の一本一本に込められた職人の魂ぐらいは抜けるかも知れんな、と思った次第である。フランスパンにもフランスの魂が入ってるらしいし。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。