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京都仕草w
皆さん、こんにちは。京都人と言えなくもない、木賃ふくよし(芸名)です。
血筋的には三代目なので、京都人を名乗れなくない気はします。
生まれたのは京都だし、両親共に2代目だったと思うし。
でも、
(´・Д・)」 育ちが
兵庫なんだよなぁ。
なので、自意識としては兵庫人です。
どっちかと言うと、アイデンティティは兵庫人(播州人)だと思っている。
しかし、状況によって、
(´・∀・)」 京都人を
名乗った方がいい!
って場面の方が圧倒的に多いので、とりあえず京都人を名乗ることもありますね。ええ。嘘を言いたい訳でも、隠してる訳でもなく、話がスムースに進むから。
ぶっちゃけ、兵庫人を名乗った方が得をする事はあまりない。マジでない。神戸ならともかく、それ以外の兵庫には、まずその価値がない。
で。こんな事を書いちゃえるぐらい、別に京都にも兵庫にもコレと言った郷土愛がないので、
兵庫人が悪く言われようが、
京都人がどれだけ嫌われようが、
(´・∀・)」 どうでもいい。
だが、しかし、なのである。
ワタクシは事実と異なることを事実のように触れ回る行為は好まない。
例えば、ワタクシは江戸時代の日本に対して「鎖国」という言葉を使う事を好まない。別に海外との交易がなかった訳ではないし、渡航や交易の主を強く国が管理していただけに過ぎないのだ。
この状態が良いか悪いかは別にして、鎖国(closed country)状態ではない。
別に今だって日本が国交していない国は幾つもある。ゼロでなければ鎖国と言わない! って言いたい訳ではないが、国交があれば必ずしも良い訳ではないし、たとえ鎖国状態でも、それで上手く行っているなら構わないはずである。
それを「鎖国だったから悪い!」みたいな論調が多いと、
(´・Д・)」 せやろか?
と思ってしまうのだ。
で。それが良きにつけ悪しきにつけ、事実に相反する事は、なるべく声に出して「違う」と言いたいのである。
ココで話を京都に戻すが、
(´・∀・)」 京都人は意地悪
とか言われると、
(´・Д・)」 あなた、
どんな直接被害を受けたの?
って思うのである。
無論、逆に「京都の人はみんな優しくて親切に話しかけてくれて」みたいに言われると、
(´・Д・)」 客に優しいのは
観光地として当然だと思う。
とも思うのである。
で。このnoteでも何度か触れているが、TVで面白おかしく伝えられるような、イケズな京都人はもはや、
(´°Д°)」 絶滅危惧種である。
それが普通だった世代は若くても70歳ぐらいで、そんな露骨な京都人は、もはや1%程度だと言っても過言ではない。
てか、むしろどの県でも、
(´°Д°)」 老人は
厄介なのが多いだろ。
って事である。
そして、こーゆーのは実に簡単なトリックがあり、例えば新入社員や転校生に「〇〇は悪いヤツだから近付かない方がいい」って吹き込むようなモノで、植え付けられた偏見は、物事を歪ませる。
特に面倒なのは、世で言う「イケズな京都」みたいに「顔は笑顔でも、心は嘲笑」のような、
『確かめようがない話』を吹き込まれると、
疑心暗鬼になって、本当の親切も嫌味に聞こえる。
そもそも、その人が京都に住んで何年かもわからない。言っておくが、京都は大学が多い割に就職先が少ないから、人口の流入出が激しいのである。
イケズな京都人以前に、生まれてこの方ずっと京都住まいって人を探す事も、案外難しいのだ。
したがって、京都に旅行に来たぐらいで、京都人に京都風の意地悪をされる確率なんて、パチンコの1/316ぐらいの確率だろう。
そもそも、「京都でこんな事を言われた! 酷い!」みたいな声も、
(´・Д・)」 そりゃ単に、
お前さんが非常識な行動して、
怒られただけなんじゃないの?
って話である。
そもそも、京都人の京都仕草(真綿で首を絞める、持って回った表現)に「そんなのわかるかよ!」って憤る人たちが、普段の社会生活で、
(´°皿°)」 空気読めよ!
とか言っちゃってるのを見ると、「ユニークな方どすなあ」と思ってしまう訳だ。
そもそも京都人の嫌味ってのは、
(^-^) こんだけ
わかりやすうに言うたげてんのに
通じひんて、憐れなお人やわ。
と、本人が溜飲を下げてくれてるんだから、そこで完結してる訳だ。(むしろ迷惑を被るのは、その後、こんな非常識な人がいたって愚痴を聞かされる周囲の人間である)
そんな訳で、京都は別にイケズじゃない、とワタクシは言いたいのである。
無論、イケズな人がいない訳でも何でもない。出くわす事はある。
そして、ワタクシに言わせれば、京都人ってのは、イケズかどうかよりも、
(´・Д・)」 出不精。
何故か、と言うより理由ならハッキリしてるが、京都に長く住まうと出不精になる。
と言うのも、京都は市内でとりあえず何でも揃う。
和食洋食中華エスニック映画館動物園美術館ショッピング観光。昔は水族館だけなかったのだが、今は作られてしまった。
そして、車が不便な町である。そこから導き出される最適解は、
(´・Д・)」 京都から出ない。
ってな事の方が「京都人だな」って思うのである。とりあえず「遠方からは来てもらう前提」の考えが強い。
他にも幾つかあって、玄関先での別れ際の会話が異常に長い、とか。
客間で話してて「そろそろ帰ります」で、玄関先のお見送りのタイミングになってからの話が、下手すると客間での話より長い。
また、酒場でのいわゆる「バー・ホッパー」が多い。
※ バー・ホッパー。一軒の店に長居せず、軽く飲んで次の店、次の店、と河岸を変える人のこと。世界でも珍しい様式だが、街の広さが違うと思うと納得はする。
これは私見だが、いずれも「相手にとっての自分の価値を確かめたり、高めたりする意識」が行動に現れているのではないかと考察している。
また、土地の狭さなども影響しているのではないだろうか。
そう言えば先日、交流のある漫画家のTAGRO先生と一緒に飲む機会があったのだが、軽く一杯を二軒だった。
まあ、バー・ホッパーの文化は東京にも多いので、京都に限った話ではない。
ちなみに、TAGRO先生は「たこさんウインナー」を注文したのだが、
![](https://assets.st-note.com/img/1669298069264-1t5CnHXCaa.jpg?width=1200)
そこでふと関西圏、特に京都に見られる「遠慮の塊」と言う文化を思い出した。
TAGRO先生の経歴に詳しい訳ではないが、関西にもいた事があり、東京に長く住んでおられたはず。京都に移り住んで3年ほどだったと思うが、「遠慮の塊」という文化についてどう思われているのだろうか。
博識なTAGRO先生の事だから、「遠慮の塊」について知らないって事はないと思う。
ちなみに「遠慮の塊」とは、
3人で飲んでる時に、
ソーセージを注文したら、
4本で1皿だった。
あまりの1本は誰が食う?
俺が食う! とは言い出しづらいし、自分が辞退するとしても残りの2人の奪い合いになる。そしてずっと誰も手を付けない皿が残る、、、と言う状態。ひいては、特に数なんか数えてないけど、残り少なくなった時に「自分が手を出すのは卑しく見えるのでは?」という状態を広義で示している。
これをTAGRO先生に尋ねてみるのは面白そうだ。ワタクシが残り2本のうちの1本を食べて状況を作り出す。あとはタイミングを見て、この話を振ろう、、、!
と思った瞬間、先生がフツーに最後の1本を食べた。
(´°Д°)」 計画失敗。
失敗したが、特にその概念がないっぽい事はわかったから成功と言えなくもない。
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なお、この先には「期待されてるイケズな京都人」に会う方法が書かれてます。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。