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「売れない詩人、隣の造花」

僕は鳴いて飛び立ちたかった。
泣きながら跳び降りる前に。

僕は僕の詩篇に報いる事が天命だと思っている。
僕が書いたせいで、スポットライトに当たる事が出来なく成った、余りにも不憫な僕の詩篇に産まれて佳かったと思わせたいのだ。
確かに、流行らなければ、廃れる事は無い。
書くなら書くべきだ。
雨が降れば独りぼっちだし、暑さは最高の夏を押し付けてくる。
軀を絞ったら、大学時代のアームカットの痕が浮き上がってくるし、僕の詩集は相変わらず殆ど売れない。
でも、他人の詩篇に僕の詩篇が劣っているとは思ってないし、誰彼が誰彼の悪口を言ってるのを聴きそうに成ったら、耳を塞ぐ。
年齢や性別や貌や病気に突っ込まれると多少は不愉快だし、僕が書いた詩篇くらい自分の美感を大切にしたい。
周りの人々はドンドン大人に成っていくし、同窓会は悪魔の刑務所だ。
若く死んだ人に感想を持たない様にしてつつ、詩篇の韻を踏む事を考えてたら一日が終わる。
自殺はヤッパリ自殺だと感じるから、鬼束ちひろ先生を師と仰いでる。
可愛く無い恋愛ばっかりしてきたけど、親戚関係は滅茶苦茶だ。
嫌いな詩人は多いが、好きな詩人は殆ど居ない。其の分、小説や物語で心を水飲み場に案内している。
自信は無いが、自負は有る。三日に一度はインターナショナル・クライン・ブルーに成って、一ヶ月に一度は自分を佳きモノの様に思える。
嫌な感じの笑い方しか出来ないし、会話と言う行為に恐怖を感じる。
他人の薄倖の御蔭で、一番惨めで楽な生活を送れているし、古本屋さんのポイントカードは半分まで捺した儘、財布の奥に仕舞っている。
つまりは、人を殺すくらい美しい詩篇が書きたいのだ。

傷塗れに成らないと、降りて来ない文学も存在するのは周知の事実だと信じたい。
往った事の無い場所の文化も歴史も、只の装飾の様に感じる。
僕には成れないモノが多過ぎて、愉しく評価される他の詩人を観ると、血のシャワーを浴びた感覚に陥る。
一番ゾッとするのは、自分が書いた詩篇の法則が乱れていた事に気付く時だし、ペットロス症候群が辛過ぎて、キットもう二度と動物は飼わない。
帽子とマスクをしないと街へ出る勇気は涌かないし、音楽を聴いてないと、周辺の声で脳が誤作動を起こし始める。
不正確でアカラサマで只主張をする様な詩篇の必要の無い詩篇を憎んでいるし、未だに他人の機嫌を窺って目配せをしている。
作った詩集を心の底から愛しては、信号無視をする誰彼に中指を立てている。
断煙はそんなに難しいとは思わなかったし、斧を持って追い掛けられるより、キュウリを持って追い掛けられる方が怖い。
子供に廊下を奔るなと注意するのも憚られるし、小さな世界に篭って吐き出している独り言を知ると、無性に耳を峙て応援したく成る。
以前は護りたいモノを護ろうとしてたけど、今では僕みたいに成るなと言う相手も居ない。
言葉の羅列の蓋然性は半端無いし、日本語でしか書けない詩篇、日本語だからこそ美しい詩篇、しか想定していない。
詩篇に感情や想いや主張と言ったノイズを入れたくなくて、只々言葉と相談しながら新しい概念を作りたい。
悔しいが、僕は未だに詩集を作る上でタンジブルと言う言葉を重宝している。
つまりは今の僕の限界で在る奇書詩集「https://g59_TefUtEFu.org/」を世の中にバラ蒔いて、僕の世界にユックリと変遷させるのだ。

其れでは、改めて札を付けて散布する。
詩集のタイトルは「https://g59_TefUtEFu.org/」。
購入できるurlは、


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