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Also sprach Wolfgang:ヴォルフガングはかく語りき

保坂です。
この文章は『美術手帖2004/12 p145-151』に掲載されている「Also sprach Wolfgang:ヴォルフガングはかく語りき」という、2004年10月16日に行われたヴォルフガング・ティルマンスのアーティスト・トークの記事です。
ティルマンスのインタビュー記事は少なく、この美術手帖の記事も二十年前ということで、なかなか読めない内容になってます。
現在の写真を考える上でも、大事な資料だと思い、少々乱暴なことは承知の上で記事を引用し公開します。
読む前に押さえておくべき時代背景を申し上げますと、
デジタルカメラ完成のメルクマールである キヤノンEOS 5Dmk2 の発売が2007年12月ということで、デジタルカメラが仕事カメラとして入ってきてはいましたが、世間はデジタルか?銀塩か?とまだまだ迷ってた時代です。
スマホもSNSもなくて、プリクラと写メの時代です。
銀塩フイルムは500円程度で、100円ショップにもノーブランドのフイルムがありました。現像とプリントも500円程度でできた記憶があります。
写真が現代アートに仲間入りしたのはいつか?と問うと、ティルマンスが2000年にターナー賞受賞したことを上げ、ティルマンス以前/以後を語る人がいます。
写真が全く新しい芸術として、再発見?されていたころです。
そのことを念頭に、このアーティストトークを読んでいただけると幸いです。
最後に著作権者様、全くの著作権グレーゾーンぎりぎりの引用ですが、パブリックユースを思い、この公開を暖かく見守っていただけるとうれしいです。
もしも、問題がありましたら保坂まで連絡をいただければ、即公開を中止いたします。
2024/03/18 2:42

<引用>
Also sprach Wolfgang
ヴォルフガングはかく語りき
W・ティルマンス@東京オペラシティアートギャラリー

そのアーティストにとって日本の美術館クラスで行う初個展は、
私たち美術ファンにとって待望の企画だった。
そうとはいっても、展覧会場で開催された彼のトーク・イベントに
詰めかけた人々の数を、そこまでの人気を、誰が想像しえただろうか。
私たちは、そのロンドン在住のドイツ人が発する声を待っていたのだ。
歓待と好奇、情熱と敬意に満ちた数百人の眼差しが、彼に注がれる。
彼の言葉を紹介しよう。制作、展示、理念、そして生きざま。
ヴォルフガング・ティルマンスはこう言った――。

観察するという行為は、能動的に、
こちらから働きかけなければならない。
僕は、この観察するということが、
自分の作品の根幹にほかならないと
思っています。

〉世界観としての展示方法〈
 僕はプリントのサイズを数種類に決めていますが、インスタレーションでは印画紙やインクジェット、さらに雑誌の切り抜きやポストカードなど、大小をとり混ぜて展示しています。それには、僕の世界観、世の中をどのように見ているのかということが反映されています。世の中はすべてのものが同じような倍率で見えるのではなくて、本来は大きなものが小さく見えたり、小さいと思えるようなものが大きく見えたりするものだということです。
 それに、写真という媒体は本との相性がよくて、写真集として印刷されるとしっくり収まると思いますが、本当のところ、それだけに限りたくなかったという思いがありました。写真を展覧会形式で発表するというのは、僕にとっては制作していく根源に関わることなんですね。だから、展覧会ごとにその空間やスケール感をいろいろといじってみたり、作品と自分自身が直接対峙したときのインパクトをつねに求めてきました。少年時代、アンディ・ウォーホルの実物を初めて見たときに、作品が持っている影響だけでなく、自分はいま“本物”を目にしているんだという感覚を覚えました。それをみなさんとも分かち合えたらと思っています。
 そしてもうひとつ、昔から機械的に制作された作品、あるいは複製された画像に魅力を感じてきたということもあります。子供の頃から、大惨事の写真や気になる人の顔写真が新聞に載ったりすると、じっくり眺めていたものです。レコード・ジャケットのデザインなどが完璧なものに思えて、惹かれていた時期もありました。そうしたことの意味を考えていくうち、86年にキヤノンの白黒レーザーコピー機と出合って、使ってみたところ、びっくりするぐらい完璧な美しい白黒ブリントができることがわかったんです。イギリスの保守的な評論家の中には、写真のように機械的な手段で制作もしくは複製された作品は、本当の意味でアートではないという論陣を張っている人たちがいますが、それが間違った考えだということは、もうよくわかっています。機械によって生み出されたプリントだからといって、けっして命のない、死んでしまった表面ではないからです。
 また、写真を実際に撮っていない人の場合、写真をひとつのイメージとしてだけ見てしまう傾向がある、ということも重要でしょう。僕は、そうではなくて、写真が持っているマテリアルとしての部分を含めて、全体としてつかんでほしいと思っていますし、写真はまさに三次元的なオブジェ、物体なのだということを体験してほしいんです。このことは、99年以降、額装した作品も展示するようになったいくつかの理由のうちのひとつでもあります。
これらが、僕が現在のようなインスレーションを行っている要因です。

〉インスタレーションの決定〈
 実際に展示空間を見ながら作品の立置を決めていくことは、その空間を自分のものにしていくということだと思います。特性をとらえて、その中で自分は何ができるだろうって考えるんです。たとえば、長い壁面が続くとき、そこに単一の方法で展示してしまったら、ひじょうにつまらないものになってしまうな、というように計算しながら展示をしていくわけです。だから今回も、まず大きな作品の場所を決めて、その合間をどのようにつなげて、埋めていくのか、という段取りで進めました。なかでも、自分にとって大事な作品、多くの人に見てほしいと思う作品、新しい作品、自慢の作品、そして自分にとって大切だからみんなにもわかってほしいと思っている作品を選んで、配置していったんです。ただし、それだと多すぎるので、そこから何度も間引きをするという作業の繰りかえしですが。
展覧会の全体像を構築するために大事なのは、こうして自分の本能がどんなふうに反応していくのかを整理して、そこに結びつきを見出していくということ。そうした関係性は、たとえば形態の上だけのことではなくて、作品そのものが含んでいる事実に対しての関連性というものもあります。たとえば、今回の展示でかなり早く決まったのが、ここの作品の並べ方です(148ページ下政右から2番目の写真)。リンゴの木があって、ネズミがあって、そして太陽を横切っていく金星の姿がありますよね。まったく関係がないじゃないかと思うかもしれませんが、どれも観察しつづける行為が持つ力、魅力といったものに対するこだわりがあるわけです。ここで大事なのは、観察するとか見つづけるという行為は、けっして受け身ではないということです。逆に能動的に、こちらから働きかけなければならない行動なんですね。僕は、この観察するということが、自分の自品の規にはかならないと思っています。

最初に思いついたときには
とくに大切とは思えないような、
ちょっとした冗談のような
小さな種から、いちばん偉大な
アイデアは生まれくる。

〉シリーズ 作品の誕生するとき〈
よいアイデアというのは、最初に思いついたときには大したものに思えないものです。とくに大切とは思えないような、ちょっとした冗談のような小さな種から、いちばん偉大なアイデアというのは生まれてくるんだと思います。
 たとえば、僕は94年から95年にかけてニューヨークに住んでいて、そこではネズミが街じゅうを走り回っていました。それ自体は当たり前すぎる光景なんですが、あるときにふと道端に立ち止まって真剣に見てみたら、ひじょうに興味が湧いてきたんですね。それで、ちょっとしたプロジェクトでもやってみようかと考えたんです。それが後に「ネズミ」を主題にした一連の作品(1995)になりました。
「コンコルド」(1997)もそうです。コンコルドには、見るたびに目を奪われていました。空を飛んでいるこの小さな飛行機を見上げては、これは宇宙開発が華やかだった時代の最後の名残なのだと、いつも噛みしめていたんです。テクノロジーと輝ける未来が、ともかく無邪気なまでに信じられた時代の産物といえます。
 このように、何か視覚的な手がかりに引っかかって注意を喚起されたら、それはいったいなんなのだろう、なぜ興味があるんだろう、と追究するんです。僕は、知性による結果ではなく、本能的あるいは非論理的な反応に対して信頼を置いています。それを作品としてどう落とし込むかというのは、意味を成しているかどうかではなくて、その興味をいじっていくことで見えてくるものなんです。
 ですから、「コンコルド」を見て、未来に対する憧憬とちょっと物悲しいメランコリーとを同時に感じる人もいるでしょうし、56枚組のやや抽象的な、カラーの作品である、と見ることもできるでしょう。それはつまり、コンコルドにまつわるアイデアそのものと僕が惹きつけられていた視覚的なものの間として、このシリーズを見てもらえるということだろうと思います。

〉写真作品と映像作品の違い〈
 写真が持っている最大のパワーと利点は、写真にはそれ以前もなければ以後もない、実在しているそのものだけがある、という事実だと思います。何かを説明的に紹介していく必要も、何かをまとめていってそれにけりをつける必要もないんです。
 一方、動く映像作品を考えたとき、僕自身は、リニアな構造の、たとえば「起承転結」的なもので何かを語ることには向いていない人間だと思っています。でも、一枚のスクリーンの中で、一連のスチールを使って語ることはできる。ですから、僕が手掛けた映像作品で落ち着きがいいのは、始まりも終わりも明確には定められていないオープンエンデッドなものじゃないかと思います。今回出品したビデオ・インスタレーション《光(身体)》(2000~02)も、そんな作品です。その意味で僕のビデオ作品は、シネマ(映画)ではなくムービング・ピクチャーズ(活動写真)だといえます。

社会や周りの人々は彼らが大事だと
思うものを与え、押しつけようとします。
ですが、人間は自分にとって価値あるものを、
自分の目で自由に選ぶことができる。
それは素敵なことだと思います。

〉なんのためのテクニックか〈
 僕にとってテクニックというのは、自分が意図としたものを実現する手段として、徹底的に使い込んでいく、使いこなしていくためのものです。イデオロギー的な要素がまったくないような取り組み方ともいえますね。いちばん高いカメラや大型のカメラが、いちばんいい結果に結びつくとは限らないのです。実際、僕が日常的に持ち歩いているカメラはかなり小型で、10年ぐらい前に使っていたのはコニカのビック・ミニでした。ちょっと操作することで露出オーバーにできたり、シンプルなアマチュア向けだけではないおもしろさがあったんです。でも、コニカが製造中止にしてしまったので、いまはコンタックスのT3を使っています。別の35ミリ・フィルムのカメラを使うこともあ
りますが、なぜ35ミリかといえば、動きやすくて自分の生活の邪魔にならないうえに、自分の世界の見え方にちょうど重なっていくような粒子のレベルを実現してくれる、という理由からです。大型のカメラを用いたスーパーリアルな画像を好む人たちもいますが、それは僕にとって、自分に見えている世界とは違うものなんじゃないか、と思うんですね。つまり僕は、自分が見ているものをみんなが自然に体験、体感できるような作品をつくるために、テクニックをできるだけ“隠す”という技術を使っているんです。それが僕の「カメラ哲学」です。
 その意味で、自分が望んだとおりのイメージを実現できる媒体として、写真を完全に使いこなせるようになってきたことに満足感を持っています。とくに、あくまでもアナログの技法しか使っていない、という点で。僕の作品はいずれも光、写真材料、印画紙といったものの効果と性能を駆使して生まれたもので、デジタルによる加工や処理はまったく行っていません。もちろん、いわゆる抽象的なイメージの作品も同様です。

〉自分の価値観を信じつづける〈
 学生の頃を思い返すと、鍋の中に入ったソーセージだとか苔のクローズアップなどを撮って、同級生に「ふまじめだ」とむちゃくちゃ非難されたことがありました。でも、かえって元気が出たぐらいでした。というのは、どうでもいい人たちから何をいわれようが、そんなに残念がる必要がないと思うんです。似たような話として、ベルリンの学校に通いはじめたとき、先生が最初に叫んだのが「いままでのことはすべて記憶から消し去れ」ということだったのですが、6週間ぐらい経ったところで、やってられないと思ってやめました。自分で記憶を株消するなどということは、とうていできませんからね。
 僕がいいたいのは、人の話に耳を貸すなということではなくて、批判されても、自分を信じつづけていく自信を持つことが大事だということです。ただし、盲目的な自己への過信や自己満足的な過信は禁物。そのバランスが重要なんだと思います。
 それに、自分にとって大事なものを「価値がある」とする自由な権利を、人間は持っています。みなさんもそうかもしれませんが、僕の人生で最初の大きな衝撃は、両親が大事だと思っていることと自分が大事だと思っていることは違うのだと思い知らされたときでした。社会や周りの人々は彼らが大事だと思うものを与え、ときに押しつけようとします。ですが、人間は自分にとって価値あるものを自分の目で自由に選ぶことができる、というのが素敵なことだと思います。しかも、“もの”というのは、一見したときと実態が違うことがよくあるということを忘れてはいけません。世の中で大きな確信を持ってこれは上品である、これは格式がある、これは価値がある、これは美しいとされている基準というのが、じつはなんの根拠もなかったり、偽りの根拠に基づいていたりする場合が住々にしてあるんです。僕自身、ゲイなので、自分が美しいと思うことが世の中では罪だと見られてしまうことに、本当に若い頃に気づきました。そういうふうに、一人ひとりが自分のことをちゃんと見きわめ、ある何かを頑迷に思い込まないことが大切なんだと思います。

〉生きることと制作すること〈
 具体的なテーマに取り組んでいるとき以外は、作品をつくるときにとくに細かい計画があるわけではありません。そのほうが自然で、自分の生き方にも適っていると思います。作品はけっきょくふだんの暮らしの中からできてくるものですし、自分の生活にはこのような部分とこのような部分がある、というふうに厳密に整理しているわけではないからです。
 ただ、アーティストであれば、自分の傑作といえる作品が、なぜそうなったのかということを分析していくものだと思います。よい作品ができれば誰だって、もう一度それに比肩する作品を生み出したいと思うんじゃないでしょうか。そしてこれは、撮影した枚数とか、撮影のしかたとかいった外的な要因で定められるものではありません。人間としていつも変化に対して柔軟でありつづけ、変化しながら流れつづける存在であることが、むしろ大事だと思っています。
 また、今回の展覧会のポスターに書かれている、「僕は写真を撮る。世界を知るために、つながるために」というフレーズに関して会場から質問がありましたが、突き詰めていえば、ひとりぼっちになりたくない、孤独になりたくない、というのがその出発点だと思います。爪先が写り込んでいるものとか、やたらと足にこだわって撮影している作品がありますが、そういうのはすべて自分の足なんですね。これらは、自分がいったいどこにいるのか、自分の立ち位置を確認したい、という欲求がつねにあったからだと思います。
 今日はちょっとまじめな話ばかりしてきた気がするんですが、最後にひとつ付け加えたいと思います。大切なのは、僕がやっていることすべての根底にあるのは、「遊び心」「楽しみたい」ということなんです。ただし、そこから始まりはするけれども、最終的にはきちんと向き合って分析をするという作業が必要です。仮に本能のまま何も考えようとしないなら、ただ果てしなく生産するということにつながってしまいますから。遊び心に身を任せながらも、どこかできちんと理論的に検証することを忘れてはいけないんです。

○現在、東京・初台の東京オペラシティアートギャラリーで、ヴォルフガング・ティルマンスの個展「Freischwimmer (フライシュヴィマー)」が開催されている(12月26日まで)。この記事は、会期初日である10月16日に会場内で行われたティルマンスのアーティスト・トークでの発言(逐次通訳=横田佳世子)をもとに、本展キュレーターの飯田志保子と編集部が加筆修正を行い再構成した。

ヴォルフガング・ティルマンス
1968年ドイツ生まれ、ロンドン在住。ファツション雑誌を中心に、90年代のユース・カルチャーを被写体とした写真作品を発表し、93年の初個展以降、本格的なアーティスト活動を開始。2000年にターナー賞受賞、03年にテイト・ブリテンでの個展開催など、現在、美術界でもっとも注目され人気の高い写真家。

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