ロザリンド・クラウス『アヴァンギャルドのオリジナリティ』を眺める
郡司ペギオ幸夫著『創造性はどこからやってくるか?』の“トラウマ構造”がロザリンド・E・クラウスの「展開された場所における彫刻」の“図”が酷似している、という読書会主催のT橋先生の指摘により、『アヴァンギャルドのオリジナリティ:モダニズムの神話』を手に取った。
いまのところ「展開された場所における彫刻」「写真の言説的空間」しか読んでいないが、非常に面白い。
“写真”を象徴や記号や言語ではなく、絵画の嫡出化≒正当な後継者化することから語ってる。
ここ最近、写真は彫刻だ!と息巻いていた保坂だったが、「展開された場所における彫刻」になんてことは無い“田舎でのハイキングを記録した巨大な写真”p404を彫刻として展示してあった戸惑いが記述してあって、なーんだ五十年近く前から語られていたのか、と思った。
『アヴァンギャルドのオリジナリティ:モダニズムの神話』は写真評論も含めて、1980年代の米国ニューヨークを中心とした絵画や彫刻の一つとしての写真が書かれていて、ロラン・バルトらのテクスト論、象徴や記号、言語としての“写真”ではない、物質性のある“写真”を語っているところが非常に興味深い。
これを機会に、本棚に積ん読してあった、ジョン・バージャー『イメージ:Way of Seeing』パルコ出版を処分した。
いま本棚にあるのは、
『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』の「解説」。
『写真よさようなら』の「森山大道対談中平卓馬:8月2日山の上ホテル」。
『アヴァンギャルドのオリジナリティ:モダニズムの神話』の「展開された場所における彫刻」と「写真の言説的空間」
の三つになった。
手元に置く写真論は、これだけでいいような気がする。
どっとはらい。
2023/10/26 10:05