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【完全版】『日米リーダー交代からの気づきーコロナが気づかせた不安の時代』(柳澤協二氏)

【道しるべより特別寄稿のご紹介】
柳澤協二元内閣官房副長官補/防衛研究所所長による新連載『日米リーダー交代からの気づき』が、本日すべての論考掲載が完了しました。
https://note.com/guidepost_ge/n/nbdc8eb9bca15?magazine_key=mf156a1081e3b
本日まで計3回にわたりお届けした連載記事各回をこの一ページに収め、完全版として掲載します。

柳澤氏の味のある文章そのままを、どうぞご堪能ください。


諦める日本と、諦めないアメリカ

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 2020年に、日米で政治リーダーの交代劇がありました。安倍前首相もトランプ前大統領も、新型コロナがなければ、続投が確実視されていた中での退任でした。

 わが国の安倍前首相の場合、「他に適任がいない」という理由で安定した支持を集め、その「支持」を背景に、批判を許さない政権運営を行ってきました。コロナ対応では、4月に緊急事態を宣言して5月に収束させるというプランで臨みましたが、より大きな第2波に遭遇し、何をやっても批判される状況となり、ストレスが嵩じて体調を崩すことになりました。

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 アメリカのトランプ前大統領は、コロナを恐れぬ強いリーダーを演出し、徹底的にコロナを軽視しました。しかし、10月までに全米で死者が20万人を超える状況では、その強気の姿勢があだとなりました。二人とも、「無謬・無敵のリーダー」という自ら設定したキャラクターのために、危機に対応する柔軟性を発揮できなかったのだと思います。

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 一方、後継者について言えば、日米ともに「本命」がいたわけではありません。「もし変わるなら石破さん」という世論はありましたが、積極的に変えたかったわけではありません。まして日本人のなかに、「菅さんに変えたい」という意思があったわけでもありません。一方アメリカ人も、地味で高齢のバイデン氏に変えたいという積極的な意思があったわけではありません。
 では、なぜ代わりとなるような候補がいないのでしょうか。


 コロナが明らかにしたことは、効率優先社会の脆弱性でした。誰も今のままでいいとは思っていません。そこで問われるのは、コロナ後に同じ社会構造のまま、社会を以前のように回せるのか、それとも社会の構造そのものを変えなければならないのかということです。リーダーは、そのいずれかの選択を示さなければなりません。それなくして、人々が不安から解放されることはありません。しかし、その答えが見つからない。だから、本命視される候補が出てこないのです。

 奇しくも、ポスト・コロナはポスト安倍、ポスト・トランプと同義になりました。日本では、「安倍路線の継承」以外のビジョンがないように思えます。アメリカではバイデン氏が、トランプ氏の自国優先主義を否定し多国間主義を掲げるものの、他国に譲るカードがなければ自国優先にならざるを得ません。そこに、ポスト・コロナ時代のリーダーシップの貧困があるのです。

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 現代は不安の時代です。自然災害、感染症、戦争などのリスクは、いつの時代にもありました。しかしリスクが現実化しても、国や自治体が何とかしてくれる、あるいは自分で何とかできると判断すれば、不安はありません。必ず来るリスクにどうしたらいいか分からず、国も明確な答えを出せないから不安なのです。

 人は不安に耐えられないとき、分かりやすい答えを求めるため、大きく二つの行動を取ります。一つは、自分が悪いから仕方がないと諦めること。国民が諦め、「誰がやっても同じ」と思えば、少なくとも今より悪くなるリスクを避けようとする。これが、今の日本人の現状維持志向です。

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 もう一つは、自分はやれるはずなのに邪魔するやつがいる、と他人に責任を転嫁することです。トランプ氏のやり方は露骨でした。「アメリカを再び偉大にする」と言うときのアメリカは「白人のためのアメリカ」であり、それをダメにしたのは、内では移民や有色人種、外では中国やただ乗りする同盟国だと訴えました。不満をもつ白人は、諦めるのではなく、邪魔者を排除しようとしました。特にアメリカでは、覇権国の座を中国に奪われる不安と、アメリカ国内で白人が少数派に転落する不安が重なって、白人の焦りを生んでいるのです。一方、排除される側も黙っていません。結果、「ブラック・ライブズ・マター」で対抗し、国が分断されていくことになりました。

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 諦めた日本人と見果てぬ夢にこだわる米国人と、「どちらがマシか」わかりませんが、コロナがもたらしたのは、いつ仕事がなくなるかわからない、誰も助けてくれないといった「社会的リスク」の現実化です。まじめに生きていれば、誰からも干渉されず、社会の片隅で生きていかれるはずでした。だが、現実はそうではありませんでした。まじめに生きるだけでは取り残され、見捨てられるのです。不安は絶望に変わり、絶望のなかで自分を責めれば自殺、他人を責めれば暴力になります。もちろん、大多数の人々は希望と絶望の淵で耐えているわけですが、人々に希望を与えられない政治の罪は最も重いと思います。


データで見る日本社会の「大変」

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 報道されたデータをあげれば、日本では、生活保護申請が4月に30%増、自殺は8月に15.7%増となりました。生活保護を好んで受ける人はいません。人は本来、まっとうに働いて自分で自分の生活を支えることで誇りや喜びを感じるものだと思います。つまり、コロナでそんなことを言っていられる状況ではなくなったということです。毎年減少傾向にあった自殺が増加したことは、絶望のストレートな表れだと思います。

自殺者数の年次推移(厚労省)

[画像]減少傾向を見せていた年次自殺者数が、コロナ禍による緊急事態宣言が発令された令和2年以降上昇に転じた。
(出典:厚生労働省自殺対策推進室/警察庁生活安全局生活安全企画課「令和2年中における自殺の状況」P.2 https://www.mhlw.go.jp/content/R2kakutei-01.pdf)


 振り返れば米国では、1980年代のレーガノミクスで富裕層への減税を行った結果、貧富の格差が拡大しました。上位1%の富は、80年に約2割でしたが、2014年には4割になっています。残り99%の富は8割から6割 に減っています。格差社会の元凶です。

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 日本における格差は米国ほどではないと思いますが、アベノミクスの結果、通貨供給は2010年の98兆円から2019年の572兆円 と5倍以上に拡大する一方、家計消費支出は月29万円のままです。トリクルダウンはおこらず、暮らしはよくなっていません。国と自治体の借金は、GDPの2.7倍に膨らみました。GDPを500兆円とすれ借金は約1500兆円、1億人で割れば国民一人あたり1,500万円です。国民がそんなお金を持っていないとすれば、子・孫の世代まで返済すべき借金になります。自分が払わないから、平気で借金をする。それが政府の現状なのです。

 これで子供を産みたくなるはずはありません。出生率は年々低下し、少子高齢化と人口減少が進んでいます。そして減った人口に家計消費をかけ合わせれば、消費は減少します。需要と供給能力のギャップはすでに10%もあるそうです。供給能力を拡大する成長戦略をとっても、家計が潤わなければ格差が拡大します。そういう経済成長に、一体何の意味があるのでしょうか。経済とは、「経世済民」です。目的は、人々を幸せにすることであって、パイを大きくすることではないのです。

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 最近驚いたニュースが二つあります。一つが、コロナ禍の真っ最中に株価が最高値を付けていることです。実体経済を全く反映しているとは決して言えないこの状況の中、日銀と公的年金原資が最大の株主となりました。市場の「見えざる手」に委ねておけば、最大多数の最大幸福が実現するという自由主義経済の基本原理が崩壊しています。市場にも任せられず、国にも任せられない経済がどうなっていくのか、誰にも分かりません。日本の株も国債も、タダの紙屑だと気付いたとき、日本は破綻します 。

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[画像]第二次安倍政権誕生から菅政権までの日経平均株価の推移。コロナ禍の2021年に最高値を更新している。
(出典)Smart Chart PLUS 日経平均株価
https://www.nikkei.com/smartchart/?code=N101%2FT&timeframe=10y&interval=1Month&upperIndicators=sma&lowerIndicators=volume&eventsShow=0)

 もう一つ、霞が関の若手キャリア官僚の離職が増えているニュースにも驚きました。18年には84人で、毎年採用数の約1割に相当します。「やりがいを感じない」という理由だそうで、政策よりも忖度重視の人事の影響が大きいことがうかがえます。忖度に生きがいを感じる人間はいないからです。
 転職先は、おそらく外資系金融やIT関連企業だと思います。こちらのほうが高い報酬が約束されるでしょう。でも、それが「やりがい」と言われると、抵抗感があります。社会にどれだけ役立っているかではなく、利益と報酬で人生の価値を決める。知的エリートと言われる一握りの人々がそういう人生観を持つとしたら、残り99%に目を向けることはない。


 そこに、IT技術革新に重点を置く政府の「成長」戦略が作用すれば、社会はますますエリートのための社会になり、成長(パイの拡大)が行きわたらず、生きがいを持った1%の「勝ち組」と、生きがいを持てない99%の「負け組」に分裂していきます。

デジタル社会形成基本法案の概要(デジタル庁)

[画像]菅政権の看板政策の一つであるデジタル庁創設の根拠となる「デジタル社会形成基本法案」の概要紹介。
(出典:デジタル庁「デジタル社会形成基本法(令和3年法律第35号)」
https://www.digital.go.jp/laws )


政治への注文・多様性のなかの希望

 菅義偉政権への支持率が急落しています。感染防止と経済の両立は、難題です。だれが首相であっても苦労すると思いますが、「GoTo が感染拡大につながったエビデンスがないからこの政策を続ける」との言い方は間違いです。感染症や気候変動など、「因果関係が十分証明されていないけれども結果が深刻だとわかっているリスク」に対応する基本原則は、「有害の証明がないから政策を続ける」のではなく、「無害と証明されるまでは政策を中断する」ことだからです。

gotoトラベル事業の概要

[画像]コロナ禍での経済政策の議論を呼んだGoToトラベル事業の概要資料。(出典:国土交通省/観光庁 GoToトラベル事業関連情報「GoToトラベル事業の概要(2020/11/12更新)」https://www.mlit.go.jp/kankocho/content/001358665.pdf )


 政治は、ときに科学的なリスクを承知したうえで、リスキーな政策を打たなければなりません。それが国民に理解されるためには、科学的リスクを国民に告知し、共有しなければなりません。医療の世界でいう「インフォームド・コンセント」です。病状を正しく認識し、投薬の副作用や手術のリスクを納得したうえで、患者にとってより良い選択の機会を与える。コロナ禍の国民生活も同じことです。それが、後により厳しい政策に転換する場合に国民の理解を得る基盤となります。それを怠るから、安倍政権のコロナ対応の誤りを繰り返すことになるのです。福島第一原発事故のときの菅直人政権でも、同じようなことがありました。

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 いずれにせよ、日本は今大変なことになっています。「コロナのせいで」そうなったというより、「コロナによって大変さが分かった」というのが私の実感です。つまり、一方で危機における日本社会の脆弱性があり、他方でそれを乗り切る国民の活力が見えないのです。いわば、もともとリスク体質があるところに、さらに基礎代謝レベルも低下している状態です。

 「リスク体質としての効率優先」で作られてきた医療態勢は、崩壊の危機にあります。コロナに対応できるということは、コロナがないときには余剰な状態であることです。それは、経済的効率性を超えた社会的必要性の問題として、国が取り組まなければなりません。もちろんカネはかかりますが、例えば、毎年1000億円の支出で数10兆円の経済損失を防げるなら、それは経済的にも合理性があります。コロナで人の移動や営業を停止したのは、医療体制の崩壊を防ぐことが大きな目的でした。

 一方、それで感染症に対して脆弱でない社会ができたとしても、国民の活力の問題は解決しません。活力が生まれない原因は、多くの人々が「やりがい」を感じられる仕事、努力が正当に評価される仕事に恵まれていないからだと思います。「働き方改革」の名のもとに非正規雇用が拡大して正規雇用との格差がある状況、シングル・マザーなど弱い立場にある人々が真っ先に雇い止めにあうような状況では、生活保護で命をつないだとしても、「やりがい」を感じるはずはありません。「一億総活躍」は結構ですが、それは、「一億の低所得者を作る」ことではなく、「一億のやりがいをもつ人々」を作ることだと思います。

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 政府は、コロナで流行ったIT化やスマホ決済の普及を通じて新たな成長のタネにしたいようで、そこに重点的に補助金を投下しようとしています。しかし、そのような業種選別では、上流にある一部企業にカネが流れるだけで下流まで潤わないことはアベノミクスによって既に証明されました。成長や競争力を政策目標にする固定観念から脱却して、生活保障と同一労働同一賃金、最低賃金の底上げによる家計の活性化に舵を切る方がよほど斬新だと思います。

 安易な消費税ではなく、富裕税(法人を含むストックへの課税)を考えることも必要です。額に汗した富ではなく、異次元金融緩和のマネー・ゲームで蓄積された富は社会に還元されるべきだからです。

 現代は夜警国家の時代ではありません。行政サービスへのニーズが広がった結果、「大きな政府」が避けられません。それでも、民間への余計な介入をしないことが政府本来の姿だと思います。国民の最低所得(ベーシック・インカム)と医療を保証し、あとは国民の活力に任せる。戦後の日本は、そうやって焼け跡から復興してきました。人々には、貧しい中にも活気がありました。他人に迷惑をかけない限り、やりたいことをやりたいようにやらせれば、全体として明るい社会になります。市場原理が崩壊した今、政府が下手に介入するより国民を信じて1からやり直すという選択肢を持った政治家が出てきてもいいはずです。多分、アナーキストと言われるでしょうが、そういう政治家が待望されているのだと思います。

 活力のキー・ワードは多様性です。その観点から言って、日本学術会議の任命拒否 はまずいでしょう。政権批判が気に入らないのはわかりますが、自由な言論や研究には、夢と社会を活性化する力があると思います。というより、そういう批判の存在を守るために政府がある。価値の多様性、人の生き方の多様性のなかに、収縮し沈滞する日本をよみがえらせる希望があるのではないでしょうか。

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【執筆者紹介】
柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)
東京大学法学部卒。防衛庁(当時)に入庁し、運用局長、防衛研究所所長などを経て、2004年から09年まで内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)。現在、国際地政学研究所理事長。

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