WAYA|今治探求

「おじさんたちの自由研究」をテーマに、地元今治で何かをがんばろうとしている30代3人組

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「おじさんたちの自由研究」をテーマに、地元今治で何かをがんばろうとしている30代3人組

マガジン

  • 桜井漆器のあれこれ

    今治市桜井の伝統工芸“桜井漆器”。 その歴史や現状について調べたり話を聞いたりのあれこれ。

  • WAYAのあれこれ

    「おじさんたちの自由研究」ことWAYAに関する諸々。 進んでること、進んでないこと、なんやかんや。

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【桜井漆器#4】荒くれセールスマンたちの絆が生んだ独自商法、月賦販売の誕生

前編【桜井漆器#3】では桜井が漆器の販売を始めるに至るまでを書いたが、今回後編では「製造の開始と月賦販売の始まり」について記していく。 こんな売れるなら漆器つくろっか 大阪まで買い付けに行っていた漆器は主に九州方面でとても良く売れていたことから、「これなら自分たちで作った方がもっと儲かるのでは…?」と桜井の商人たちは考えた。 問屋だった桜井が、メーカー業も始めたのだ。 このような動きは現代でもよく見られる。 こうして時は天保年間、1830年頃に漆器の製造を開始し、産業とし

    • 【桜井漆器#3】売れりゃOK!商人根性から始まった桜井漆器

      【桜井漆器#2】の冒頭にも書いたが、2024年10月現在、3〜4ヶ月ほど前の出来事を記事にしている。 WAYAと桜井漆器の関わりはただ調べる対象としてではなく、プロジェクト的な感じに進展しているのである。 WAYAのたかはしが仕事で知り合った「実家が漆器店の人」の家に話を聞きに行くことから、事は急展開をみせる。伺ったのは“月原漆器店”さん。 流れ的に月原漆器店さんへ行った時のことは後ほど別記事で書くとして、その際に聞いた話なども織り交ぜ、まずは桜井漆器の歴史やらを記していこ

      • 【桜井漆器#2】まずはここに行くでしょう、いざ桜井漆器会館へ

        実は、というか、初めに記しておかなければならないことがある。 現在この記事を書いているのは2024年10月なのだが、桜井漆器について調べ始めたのは2024年7月ごろからなのだ。 諸々話が手前にあり、noteやってみるかとなったため、時系列が少しずれてしまっている。 過去形で書き続けるのもなぁ… と思い、現在進行形の感じで書いてはいたものの、7〜10月までの4ヶ月間のできごとが2週間くらいに超圧縮されてしまうので、のんびりとか初めに言ってたのにさすがに無理があるなと気がつい

        • 【桜井漆器#1】たまたま決まった調べるお題第一弾。桜井漆器との偶然の再会。

          グループ名決めたりロゴつくったりしていたが、いよいよ本筋の“今治を知る”がスタートすることとなった。 さて、まず取り上げるは“桜井漆器”である。 ほとんどの方はその存在すらご存知ないかもしれない。さすがに今治出身の人は知ってるとは思うが、、 桜井漆器ってなに? まず桜井漆器についてざっくり説明。 今治市には桜井という地域があり、そこで製造、販売されている漆器のことを桜井漆器(さくらいしっき)と呼ぶ。漆器とは漆(うるし)を塗料として塗った器のことである。 桜井漆器は漆器

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        【桜井漆器#4】荒くれセールスマンたちの絆が生んだ独自商法、月賦販売の誕生

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          まずは形から入ったっていいじゃない。“WAYA”ロゴつくったよ!

          初回で「楽しんで続けよう」なんてモットーを掲げたもんだから、ついつい楽しい方へ進んでしまったのだろうか。 タイトルに「!」なんて入れちゃって、いやはやはしゃいでる。 まだなんにも決まってないのにロゴなぞつくってしまった。 とはいえ、実は結構考えてのことだったりする。(多分) これから今治のことを知るにあたって、いろんな人とコミュニケーションしていかなきゃいけないわけだけど、 「すみません、ちょっとお話しいいですか…?」 などと突然知らないおじさんがやって来ても不信感こそあ

          まずは形から入ったっていいじゃない。“WAYA”ロゴつくったよ!

          おじさん3人が地元今治でなにかしようととてもがんばる、それは“WAYA”

          「いつか何か一緒におもろいことやりたいよな!」 なーんてことを地元の友人たちと盆や正月の帰省の際に飲み屋で語り合う。 こんな光景を目にしたことがある人や、身に覚えがある人も多いのではないだろうか。 そしてその多くが果たされることなく、日々は淡々と過ぎていく。 我々もそんなおきまりの話を繰り返し、気づけば20代は過ぎ去り、30代も折り返しまできてしまった。 このままではまずい そう思ったわたしは友人2人に「いい加減なんかしよか」と声をかけ、今治で何かをはじめてみることにし

          おじさん3人が地元今治でなにかしようととてもがんばる、それは“WAYA”