AIからAnI(人工-非知能)へ(14) AIは「意味」を扱えるか?
多義的な声から一義的な文字へ。
同じ文字を大量生産し一方的に伝送するマスメディアへ。
そして、多義的な言葉を復活させつつある電子メディアへ。
歴史上の様々なメディアのあり方は意味が生まれ、保存され、伝承され、再生される仕方を左右してきた。
WebにSNS、そしてAIのような技術を手に入れつつある私たちは、この「意味」ということをナイーブに個人の心の中のものとして放置しておいてはいけない。意味がメディア技術によって徹底的に媒介され、あるいは統御されて、「生産」されたり「配給」されたりするという事実を踏まえ、より自覚的にメディア技術を利用し、設計できるようにならなければいけないのではないか。
メディア技術によって信号に託され、時空を超えて、人から人へと伝送される言語は、私達が祖先から受け継いだ脳神経の機構の奥底に沈み込み「集合的無意識」の流動体となる。個別の人の自覚的で理路整然とした意識とは、その深層の「ゆらぎ」が表面に浮かび上がらせる波紋のようなものである。
来るべき将来に向けて、この言語が無意識から意識(深層−表層)に至るサイクル運動を、マスメディアの時代とは異なる形で、たくさんの人間の間で共振させるよう、メディア技術を設計する必要がある。
仮にマス・メディアの時代が、大量生産と一方通行という方式によって発信源を「一つ」に絞ることで、無数の人々の意識する「意味」を共振させることを目論んだとすれば、近未来の電子メディアの時代は、個々人の間でリアルタイムかつパーソナルに、直接意味の共鳴を引き起こすものとなるのではないか。
話を急ぎすぎたかもしれない。これまで展開したメディアの歴史とは、意味を、だれがどこでどのように固めるか、そのやり方の変遷である。ここで改めて意味なるものについて考えて置こう。
意味とは「置き換え」である
言葉が無意識から立ち上がり、また無意識へと沈み込んでいくサイクル運動を、複数の人間の間で共振させる。
マスメディアとは違ったやり方で、微視的な個人と個人の間で、その共振を引き起こす。そうした一見途方もないメディア技術を発展させる鍵は「意味」をコンピュータで技術的に扱える対象として定義することだろう。
「意味」の定義については、これまでも言語学を始めとする様々な分野で議論が重ねられてきたが、その現象の多様性、動態を前に、誰もが納得するようなひとつの定義は登場していない。
改めて意味をどう定義すればよいのだろうか。
クロード・レヴィ=ストロースによる極めて明快な意味の定義が役に立つ。
レヴィ=ストロースはその著書『神話と意味』において、意味とは「言葉の置き換え」であると述べる。
ひとつの言葉は他の言葉との対立関係の網の目の中ある。ひとつの対立関係の中にある言葉を、他方の対立関係の中にある言葉と置き換えることで、対立関係の網の目自体を重ね合わせること、この重ね合わせの操作こそが「意味する」ということである。
レヴィ=ストロースが大著の『神話論理』で描き出した神話の意味の論理とは、まさにこの意味の「ダイナミックな過程」を捉えている。神話は、いつからかすでに存在している項と項の対立の起源や、その対立が始まった理由を説明するために、あるひとつの二項対立が別の二項対立と延々と重なり合い続けていく過程を語ろうとする。
静的な意味?
置き換えの運動が繰り返されることとしての「意味する」過程はダイナミックな出来事である。ダイナミックではない意味はない。静的に見える意味があったとしたら、それは置き換えの運動がいつも忠実に同じものにしか置き換えられないように管理されているということに他ならない。
私達は日常的に物を書いたり言ったりするとき、言葉の意味はいつも同じもの、安定したものと感じている。あるいは喋ったり書いたりしている個々人とはまったく関係なく、言葉そのものに固定して安定した意味が「宿っている」ようにさえ感じることがある。
しかし、安定しているかに思われる言葉の意味もまた、流動する無意識の層の上にあり、動的平衡を保っている流動のパターンである。
私達が理解する言葉の意味は、ダイナミックな運動である。しかしダイナミックであることは形の定まらないカオスとは異なる。揺れる流動体の表面に浮かび上がる波紋のように、運動はパターンを描き出し、パターンを繰り返し再生する。安定した意味とは、そうしたパターンのようなものである。
システムとしての意味
流動体の運動が描くパターンとして、平衡を保った「もの」が成り立っていると言う考え方をエレガントに展開したものがオートポイエシスのシステム論の理論である。
システムの理論では「システム」を「環境から自らを区別することを繰り返すプロセス」と定義する。システムは静的な物ではなく、特定の要素や特性によってその本質を規定できるものでもない。システムは環境からシステムを「区別する」操作が続くという、その動態のことである。
システム論はシステムと環境の区別というダイナミックに進行する過程から出発する。そしてこの区別はシステムと環境の外に存在する何らかの「区別する主体」が行うことではない。環境との区別はシステムそのものが行うのである。同じ区別を繰り返すことで、そこに環境から区別されるシステムが始まり、進化していく。
ここでシステムの理論でも「意味」という用語が登場する。区別の運動を通じて、システムの内部に生まれるものが「意味」であるという。即ち、区別することは環境に生じている何事かを、システムにとって意味がある情報へと置き換えることである。
本質的に流動的な環境の中で、システムは特定の区別の操作を繰り返し続けることによって、同一性を保ち持続するパターンとして存在するようになる。システムは流動する環境の中に、それと区別されるパターンを生むプロセスである。区別の過程であるが故に、システムは外部の環境の変化、ゆらぎに応じて、柔軟に変化する。システムは進化することができる。生命も、言葉も、システムとして捉えられる。それは同じような区別を繰り返し続けることで、同一性を再生し続けていく。
生命システムは無数の区別の操作を繰り返すことで、複雑な分子の流れをコントロールし、安定した形態を再生産し続けようとする。そして数世代に限ってみれば安定した形態を伝えつつも、時間軸を長くとれば進化し、その姿は次々と変っていく。
言語もまたシステムである。言語とは、言語が言語でないものと区別される操作が連鎖して重ね合わされること以外の何ものでもない。我々が言語と呼んでいる事柄は、ある音は言語として次の音へと繋げられ、また別の音は言語ではないとして次の音には繋げられない。またある平面に刻まれたパタン−は文字として読まれ、別の文字がその後につながっていくが、別の刻まれたパターンは次の文字には繋げられない。後者は文字ではなくなる。この言語システムが行う区別は、意識的、理性的な判断だけで進行するものではなく、無意識の深層に深く根ざした過程である。人間の生命システムと一体となり、無意識の深層の過程で生じる多数の区別が進行している。ある区別の結果が別の区別を引き起こす、区別の連鎖がいつも同じようなパターンを描くところに、我々が意識できるような安定した意味が始まる。
いわば、複数の人の脳が「共鳴」するところに、言語が生じるかのようである。
そして言語もまた生命システムと同様に進化する。無意識の区別の連鎖運動から、表層の意識における動的平衡の相にある意味が始まる。
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